空間が空間でないものたちの集積によって生じるように、文章も、正確には文章を書くことによって表現したいことも、文章でないものの集積によって生じている。 書いたもの、口にしたもの、それらは全てウソである。ウソではないが、それは本当からはかけ離れている。 もしくはそうやってかたちを与えることで、どんどんウソに近づいていくのかもしれない。 僕が書いていること、喋っていることも全てウソである。 いや、ウソを喋っているというつもりはないが、どんなにそれを表現しようとしても、正確に表現し得たという手応えがない。 そうなると、沢山書いて書いて書いて書いて、その末に残った書かれていないところだけが本当なんじゃないか、と思う。 書いていないから本当である、というのもあるが、それ以上に最後まで書かれなかった、書けなかったということが、本当度合を高めていると思う。 どんなに恥ずかしいことを書いても、もっともっと本当に本当に恥ずかしいことはまだなにひとつ書いていない気がする。 だから僕は生きている限り、書いて書いて書き続けて最後に死んで、そして死んだときにスっと、まるで焼かれて出てきた白い粉々の骨のように、本当のことがひとつ浮かび上がってくるように、書き続けていきたい。