2035年のキャッチボール
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男は父親であった。父親であったということは、今は父親ではないということを指している。
男には二人の息子がいた。そのうちのひとりは今頃成人しており、彼にとても良く似た顔をしている。…
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あああああ
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男はまた水っぽいシチューをつくってしまった。
自分では全く同じようにつくっているはずなのだが、どうしてか息子たちのために作ったときとは何かが決定的に違ってしまっていた。
ファミリータイプの台所から、単身用の台所に変わってしまったからだろうか。
もう少し煮込んだらとろとろになるかかもしれないと期待を込めて彼はタイマーをもう五分セットし、ソファに戻り手紙の続きを読んだ。
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2008年は僕の人生にはじめて灰色の雲が姿を見せた年であった。小学三年生になった僕は、はじめて好きという気持ちを言葉にできず困惑していた。
好きになった子は、途方もなく白い肌と、ため息が出てしまうような黒い髪の持ち主であった。白い肌と黒い髪はまるでネガポジ反転をしたかのように、全く正反対でありながら分かち難く結びついたひとつの存在であった。
その存在こそがその子だった。僕が好き、という気持ちを口の中で転がしているうちに、その子は転校していった。蝉の声がある日からふっと聞こえなくなるように、それはあまりにも自然で唐突であった。
夏休みに入る前に点灯していた阪神の優勝マジックナンバーは、秋頃には寿命を迎えた便所の電球のように、消えたり灯いたりを繰り返していた。そして寿命を迎えた電球と同じように、消えた。
ラジオではリーマンショックによる不景気と、首相が漢字を読み間違えたことを繰り返し放送していた。年末になると大きな公園にはぐりとぐらに出てくるような大きな鍋で豚汁をつくり、その豚汁に向って多くの大人が列をなしていた。
声と顔にモザイクをかけられたTVのケイヤクシャインたちは、突然来月から職と家を失う事を繰り返し嘆いていた。
モザイクを外してひと泣きしたらあっという間に誰かが駆けつけてくれそうなほど、彼らの言葉と部屋、その部屋の中の食器、冷蔵庫、布団からは悲壮感が漂っていた。
僕は、おかずの皿の端でプチトマトが赤を主張する食卓からそれを眺めていた。そしてその夕食が終わると、母親に言われるがままにピアノの練習をした。
右手だけ、左手だけだと上手くいくのだが、両手を揃えて引き始めると、メロディは壊滅的な様相を呈していた。
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毎日野球をする人がプロ野球選手だとしたら、僕の弟はプロうんち選手だった。
彼は次男坊の特権である食わず嫌いのためか、毎日さまざまなタイプのうんちを披露していた。
ある時は波が引いた後の砂浜のように滑らかなうんちを排泄し、またある時は波が粉々に砕けてしまう岩壁のような硬さのうんちを排泄した。
その間の波打ち際の全てを、彼は一つのお尻の穴から表現した。その才能は我々兄弟ふたりの秘密で、もっとも重要な共有事項であった。
弟のうんちのレパートリーの豊富さは、熱心な教育ママが愛息子を思ってつくるお弁当のそれと全く同じであった。
もしその二つを毎日写真に納め、それぞれの一ヶ月分を並べられたら、多くの人はそれらふたつの違いを見つけることが難しいに違いない。
母親は出勤直前の三分に、毎朝いつも便座に腰掛け試みるが、ぽちゃんの音を聞くことはできなかった。
どうやら母親は便秘気味であるらしい。クレヨンしんちゃんの漫画から便秘がちな人間は狂暴な人間でもある可能性が高い事を学んでいた僕は、母親のトイレ事情が芳しくない時は、なるべく厄介事を起こさないように心掛けた。
そういう時には右手と左手も悪くないコンビネーションを見せ、かろうじてメロディと呼べるかたちを見せた。
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こんにちは。お久しぶりです。お元気ですか。
連絡が遅れてしまってごめんなさい。どうしてもうまく言葉にできなくて、そんなことをしているうちにこんなに日が経ってしまいました。
今こうして書いていますが、言葉は蝶々のように指と指のあいだを抜けていってしまい、未だに捕まえることができていません。
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「冷たいとわかっていても座らないといけない便座みたいですね」
「立ってするという選択肢も君にはあるんだよ?」
「母が怒ります」と彼は答えた。
「そうか」「君の言う通りだ」