2026 7

2026.7.1(水)
やばい!もう七月である。数えたところ、上半期で僕は、77冊の本を購入していた。 去年の倍くらいは買えている。これくらいが健康なペースだ。友達もい過ぎず、ボスの形相も穏やかであれば、これくらいは読める。 子どもが出来たりしたら、そうはいかないんだろうが。ひとまず、あと二年くらいは、これくらいは読めそうだ。 まだまだ知りたいことがある。元町映画館の年間サポートにも入って、定期的に映画を観ようとも思う。 学びたいことがたくさんある。本当は一級の勉強をした方が良さそうだけど。眠い。5日の入稿をなんとか乗り切りたい…!その想いひとつである。 みんな買ってくれるのかな…?買ってもらえるといいな…。
2026.7.2(木)
ついにあと四日。今日は屋上のモデリングを終わらせる必要がある。 詳細図(詳細図と呼べる代物ではなく、ただ寄ったスケールで描いているだけ)を描くのは楽しい。 後、屋上のモデリングが終われば、それに伴い、断面図を修正、断面詳細も完成、平面図も少し修正、屋上パースもエクスポート…。 ここら辺までを金曜日までのうちになんとか終わらせたいけど、終わるかな…。 ティーハウスには夏休みがあるらしい。三日。連休と上手く繋げると、一週間くらい休める。 どこ行こうかな…。どこかへ行こう。富士山登る、とかかな…?なんかひとつ、落語とか裁判傍聴とか、大相撲とか、他にはどこかな、九州とか行ってみたいな。 楽しみにしておこう。はやく入稿して、ソープに行きたい。いやほんとにソープか?違う気もするな。普通にひきゅう食って、銭湯入って、本読んで寝たい。 そっちかもしれない。もう少し、誘える友達が欲しいかもしれない。ひとりかふたりくらい。 どっか、そんなにひとりじゃモチベが足りないところに、誰かとふたりで行きたいな。
2026.7.3(金)
若手芸人のお笑いライブというものを、西浦さんに誘われ、竹本さんや篠崎さんたちと一緒に、初めて見てきた。 今までに僕が行ったことある劇場のライブは、面白いことが確約されていて、笑う事だけに集中してみておけばよかった。 でも若手ライブは、そんなに笑い声がきこえるわけでもない。彼等はきっと僕と同世代くらいで、このひとボケに生活がかかっている。 しかしウケない。これは…これは大変なことである。僕にできることではない…と感じた。これしかない、と本当に思えないと、こんなことはできない。 これしかないとは思えない。別に他の道もあるもんな…と思ってしまう。だからできない。 ビートたけしも「他に道なき ふたりなのに」と歌っていたが、それは必要条件でもあるのだろう。(必要条件であっているだろうか?) 僕がこのライブに置いて重要だなと感じたことは、「世界観を信じる」ということである。 世界観を信じるというのは、自分が設定した世界を信じるということだ。しゃべくり漫才は例外である。 まずはそれが重要なんだと思った。ボケが面白いか面白くないかは、まあ別に今あの場では、そこまでシビアに期待されていないだろう。 でも、世界を信じ、そこに入りきる事はできる。それは徹底するべきだなと感じた。それは設計課題とかでも言えたことだと思う。 世界線を設定しているんだから、お前だけはその設定を信じなきゃ、みたいな。大事なことだと思う。 発表とかでモジモジしてはいけない。「あんまり進んでいないんですけど…」って言ってはいけない。 それだけは口にしないようにする。それが板の上でのマナーである。 難しいけど…。堂々と。改めて再確認した。 篠崎さん、とは初めて会った。あまりにも興味深過ぎる人間だった。喋る間(だるまさんが転んだをしながらしゃべっているみたいに、会話中に突然沈黙が挿入される)、喋っているときの手の動き(どうしてそんな電車の中で、大きな手拍子を打つのだろう?) ふしぎだった。誰かになりたいといっていた。ダメだ。忘れてしまった。でも篠崎さんは、もっとすごい人になれそうな気がする。 竹本さんにも会った。充実してそうである。進み始めている。僕も負けていられない。そういえばもうすぐ竹本さんの誕生日である。 何かあげようかな…。あ!そういえばあの子の誕プレ、忘れていた。どしよう。まあまたあとで考えよう。 久しぶりに研究室の感じを味わえて、なんだかとても楽しかった。あそこはとても居心地のいい場所だったのだなと思う。 果たしてそれが良い事なのかはイマイチ分からないが(芦田は良くない事だ!!と言いそう)、まあでも事実として認める他ないだろう。 なんだろうな。居心地が良すぎて尖りが低減されてしまうみたいなのが良くないのかな。僕はまだ、あんまり芦田のダメだしの意味が分かっていない気がするな。 どういうことなんだろう。僕はもっと追い込まれて、一人ぼっちになって、そこで変なことを永遠とやり続けている方がいいのかな。 まあでも、そりゃそうか。もっとひとりで遠くまで行かないとな。ハイブリッド。気遣わず、媚びず、笑いに走らず、頭を振り絞った方がいいのだろう。鈍くなる。そうしないと。 もう少し孤独の時間が必要な気がする。それに適応していく必要を感じる。どこなのだろう。瞬間への没入みたいなのが、電話とか、バイトの子がいたりすると、やっぱりうまく切り替えられない。 打ち合わせとかも苦手だ。疲れちゃう。仕事とそれ以外のバランス感も、あまりまだ掴めていない。まあ試行錯誤である。 ついにあと三日。反省は多いが、まあそういうもんだろう。僕一人では超えられないところがたくさんあって、純粋に感銘を受ける。 北岡くんも西浦さんも普通にすごい。僕がやりたいと感じているが、中々できていないことをやってくれる。 もっといろんな面で貢献したい。ふたりもそう思ってくれていると良い。世界観の拡張、表現手段の向上、作業への没入、進捗速度上昇…。 成長期だ…!7月は販売に注力して、8月から9月くらいは、写真を撮ることと、HPづくり、新聞づくり、次の構想、執筆者探し、取材旅行計画など、をやってみたい。多すぎる。 うーん。雑誌以外のところからかな。まずは。まあその時の気分が決めるだろう。
2026.7.4(土)
(雑誌入稿のため休載)
2026.7.5(日)
(雑誌入稿のため休載)
2026.7.6(月)
(雑誌入稿による寝坊のため休載)
2026.7.7(火)
良く曇った七夕の日である。雑誌が無事入稿された。僕の口座残高は3万円くらいになってしまった。 しかしよく売れて、120部くらいはもう予約がきた。これは非常に喜ばしいことである。 しかし予想以上に売れてしまって、読んで欲しい人に届いているのか、怪しい。 まだトクちゃんやおっちょは買っていない。新しい友たちが、この雑誌の出版によってできているかも怪しい。 予想の外側に雑誌は届いていない。買って欲しく、買ってくれる可能性が高い人が買ってくれている状況である。 これでいいのだろうか……?? しかし、150部はそれなりに売れるということが分かった。これは大きな収穫である。 北岡君と西浦さんは慎重だが、僕から見ると、まだ二人の人的資源は使い果たしていない、余力があるように思える。 だから、まだ売れる余地があると思う。今回も頑張ったら200部くらいはいけただろう。しかしこれは結果論に過ぎないので、まあしょうがない。 難しい。ところだ。うーん。引き続き模索していこう。セカンドアルバムが、ファーストアルバムと同じくらい売れるとは限らないしな。 でも300-500くらいのスケールは目指したいところである。もうちょっと、輪を広げたい。売る、ということではなく、それは友達をつくる、ということにおいて、それくらい売れないと目標が達成できない、というところだ。
中尾くんが、スリーアーキテクツの本をくれた。僕はそもそも、スリーアーキテクツの存在を知らなかった。 しかしこれは、ビル活動に似た、非常に参考になる先人たちの活動である。 スリーアーキテクツは、奇数月の三日に、「スリーペーパー」というものを発行していて、三人がそれぞれ、1200文字ずつ書いている。 ファミマでそれが印刷できるようになっている。面白い。し、僕たちがやりたいのはこういうことである。 丸パクリしてもいいのだが、それだと面白くないので、何か少し+αをしたい。 A4一枚のシンプルさは素敵だが、もう少し書きたい気もする。しかし、あまり作業量が増大するのも良くない。バランスだ。 どうしようか。これは楽しい悩み事である。どうしようっかな~♪である。
分からん。眠い。唐突に眠気がやってきた。ガラガラヘビみたいなものである。どうしよう。今日はちょっと早起きし過ぎた。 ミスった。早寝しよう。
でも、雑誌をひとまず入稿し終えて、久しぶりに、自分の中が空っぽになった気がする。空っぽになるまで出し切ることが出来た。 嬉しい。結局、どんなに売れたって、どんなに売れなくたって、この満足感というのは、大きく変わらない気がする。 そう思うとまた、この気持ちを味わえるように、来月くらいからふんすかふんすか、やっていきたい。 色々なアイデアが噴出してきている。久しぶりに、写経ノートを開いた。まど・みちおの詩とかを読んで、あぁ、僕も本当に、こんな素晴らしい詩が書きてぇ、と改めて思った。 まだまだやってみたいことで溢れている。第二号が楽しみだ。その前にZINEフェスか。まあ上手くいくだろう。 でもちょっと、出展のアイデアは練らないとな。
2026.7.8(水)
松岡修造の激励動画を結構真剣に見ている。それを周りの人に伝えると概ね鼻で笑われる反応が返ってくる。 確かにこんな動画、真剣に見るものではないだろうが、しかし僕は、松岡修造をそんなオモシロとして聞き流すことができない。 松岡修造は本気で喋っている。ヒトカドの人物が、こんな滑稽なメッセージを繰り返しメディアなどで発信するのは一体、どういうことなのだろう。 もっと皆に嘲笑されることなく生きていく手段なんて、御曹司の松岡修造にはいくらでもあるのに、しかし、熱血おじさん(笑)で生きている松岡修造は凄い。 そんなことを、最近思った。生徒に、舟木先生の日記はどこで読めますか?と問われたが、恥ずかしいから読むなと逃げてしまった。 こんなのを14.15歳が読んでも問題ないのだろうか。僕には判断し兼ねる。まあいずれ見つかるだろうし、読まれたら、その時はその時だろう。 たしかに、アイツには、僕たちと同じようなニオイを感じる。し、向こうも同じニオイを感じて、僕たちにそういう接近の仕方を試みているのを感じる。
今回の挑戦で、買ってもらえなかった人は、新たに6人。もう少し挑戦したかった。もう少し踏み込んでいく必要がある。 関係性を広げていく必要がある。いろんなひとが会おう、手渡しでと言ってくれたが、しかし僕は、本当は東京なんて一瞬で通過して、ひっそりひとりで田舎にこもりたい。 誰にも会わずに消え去りたい。難しいな。限られた休日って、そんなに人と会っている場合では、なくないだろうか。何日も旧交を温めるなんて、おかしな過ごし方じゃないだろうか。 まあ九月になったら考えよう。それまではどうせ休まない。八月は、ドナルド・ジャッドみたいなベッドフレームをつくりたい。それは見開き2ページでまとめて、雑誌に載せよう。
あぁ。楽しくない!!!!なんか楽しくないなぁ。
2026.7.9(木)
中尾くんとスープカレー屋で盛り上がって話をした。あの国のあの建築のこととか、本のこととか。 中尾くんは、どんな文章を書くんだろうか。楽しみである。はやく第二号をつくりたい。薬が切れた中毒者みたいな気分だ。 快楽物質をお預けされている。
つっきーは相変わらず楽しそうに仕事をしている。本当に大きなガキみたいだ。クソ頭いいけど。 僕はやっぱり、楽しそうに仕事をしているっていうのは大事なことだなと思う。子供の頃に出会った人に対して、そういう感情を持つことはなかった。 その人自身と、仕事内容にはやはり(それは当然なのだけど)なにかしらのズレのようなものが存在していて、その差を、大人たちはあえてそれに言及する事はないけれども、でもやっぱりその差について拭えない違和感のようなものがああると、なんとなく僕は感じていた。 つっきーみたいな働き方は、大学教員と自営設計事務所だから成立することではあるだろうが…。 でもなんだろう。働くことが、そんなに自分自身の存在と切り離さなくても良かったのではないか。 と母親を見ていて思っっていたような気もする。母親が自我を殺して働いてくれたお陰で、僕は物理的に不自由のない未成年時代を過ごす事ができたのだが…。
あんまり深く考えられない。脳みそが軽い回転モードになってしまっているようだ。パラパラと、考え事が思いついては、浅い腰掛けですぐに立ち去って行ってしまう。 梶山さんのいやぁな感じの受け答えとか(久しぶりに会った梶山さんはやっぱりなんかいやぁな人間だった。いや、これは少し不正確な表現かもしれない。 梶山さんは自分が線引きをして、その線の下側に位置する人間に相対したとき、自分の中にある見下げる感情を、隠そうともしなくなる。 別にこれは梶山さんに限った話ではないだろうけど…。その、人を人と思っていない様子を、躊躇いもなく表象に浮かべて来るあたりに、それが自分に対してであれ人に対してであれ、僕は一定の嫌悪感を抱く。 自分にもそういう一面があるのは自覚している。でも一応、あまりそれが出ないようにしているし、まずそもそも、そう思ってしまう人間には遭遇しないように生活するように気を付けている。 一応自分の醜い部分に対して気を遣っているつもりだ。でもそれを、積極的に、攻撃的な形で前面に出されてしまうと、僕の気遣いはなんだったのだろうという気持ちにもなる。 …余りにもまとまりのない文章になってしまった。このことについては、引き続き考えていく必要がある。 梶山さんは世界に嫌われているほど別に嫌な奴ではないが、しかし僕なりに決着をつけたいと感じる部分がある)
(かっこ)が長すぎて何の話だったか忘れたので仕切り直し。 人間たちの忌々しい記憶の蓋をあけて臭いを嗅いでしまったみたいな、そういう気分である。 何も食べていないのに、不味い感触が口の中に拡がる。地獄の釜のような人だ。ふぅ…。。。 久しぶりに侮辱的態度の人間に接して、不快な気持ちだ。六月の、一年間使われなかった屋外プールに沈められたみたいな、お風呂のコーナーの、真っ先に赤くぬめり始めるところに押し付けられたみたいな、小学校の先生が職員室に何故か怒って戻っていったので、それを呼び戻しにいくときに歩く廊下みたいな、横の温かいおかずにつられて温くなったプチトマトを口に含んだ時みたいな、電気をつけた瞬間に台所の隅へ走っていくゴキブリを目の当たりにしてしまったときみたいな、柔らかい犬のうんこを足の裏でゆっくり踏んでしまった時とか…。 不愉快さそのものである。なるべく会いたくない。しかし、今回会ってしまったのを機に、もう少し自分の在り方というのも考え直そう。 とにかく尊敬していない人には会わない!これは重要なことである。そして、なるべく生物に対する基本的尊厳を忘れない。これも重要なことである。 どんなに睡眠時間が足りていなくても、忘れてはいけない。本当に気をつけよう。そしてやっぱり、傷つけられたらば、牙をむかないといけない。 どうやって牙って剥けばいいんだろう。口角を持ちあげて、犬歯を見せつければいいんだろうか。おそらく違うだろう。 石橋みたいに「ガルルルル…」と低く唸るのだろうか。これまた違いそうだ。牙の剥き方の語彙が足りない。 子どもの頃は、相手の二の腕に歯型をつけるだけで良かった。簡単でとてもよろしい。噛みつきてえな。 歯型がちょっとついて、ちょっと相手の肌が赤くなってたら、そのくらいの復讐で満足なんだけどなあ。
ぶりぶりタイムに突入したくなったので、ここでお終い。お昼休みにタルコフスキーを見に行くかどうか、迷っている。
2026.7.10(金)
自分の身体を痛めつけるようにブリーチをしてしまった。飛び散った化学物質が、目や耳の中に入ったようで、チクチクと痛む。 どうしてかは分からないが、でも昨日の夜は、髪をブリーチせずにはいられなかった。不思議だ。 もう少し上手く生きていきたい。やはり心と身体に隙間があると、途端に揺れが迫ってきてしまう。情けないことだ。 鏡を見ながら髪を脱色しているとき、貧相な身体つき(以前にもまして貧相になってしまった気がする)の自分の姿も鏡に映っていた。 特に運動もせず、納豆ご飯しか食べていないからかもしれない。大豆と米以外、ほとんど何も口にしていない。 おそらく今日にも村上春樹の新刊が読み終わるから、そしたらば前買った筋トレの本を読もう。プリズン・トレーニングみたいな題名であった気がする。 囚人のような限られた環境でも、いかに継続して筋トレをするかといった内容であるはずだ。 夜型に流れる周りの時間に流されぬように、なるべく早く寝ついて、そして十分な睡眠時間が取れるように、夏になった街を窓の外に眺めながら、過ごしていこう。 ひとつずつ。子どもの頃にみた、「三匹の子豚」の実写ビデオ(?)に出てくる、末っ子豚のレンガの家を思い出す。 それは丁寧に積んでいったために、一面しかまだ積み終わっておらず、しかし狼側もなぜか馬鹿で完成していると警戒し?、一枚のレンガの壁を挟んで双方にらみ合っていた。 鬼ごっこで木の両サイドでにらみ合っているときみたいな。結局、その睨み合いがどうなったのかは忘れてしまった。 まあいいや。しかし一回、どこかでちゃんと休まないとな。今週末は休めず、来週も打ち合わせが二回ある。展示什器も、製本も来週はしないといけない。 大変だ。どうスタディを進めて行ったらいいかも、正直分かっていない。 どうやって話し合って検討を進めて行くのか、何を持って良し悪しを判断しているか、あんまりピンと来ていない。 周さんと中尾くんが何をしゃべっているか、なぜそういう風になっているかが、まだ僕には分からない。 シンプルにインプットの量の問題なのだろうか。まあ分からないものは分からないので、分かるまで気長に待つしかない。 どうして分かんないんだろう。それも分からない。しかしまあ、僕の特性として、オンタイムで理解に至ることは殆どなかったから、それは気にすることはないのかもしれない。 仕事だから問題だが、しかしだからといって、突然俊敏な判断を下すことも出来なさそうだ。困った脳みそである。まあしかししょうがない。着いたら10分くらい模型を睨みつけてみよう。 中尾くんは昨日、模型を観ながら「正解に辿り着いたな…!」みたいに言っていたのだが、僕には上手くその輪郭を把握することが出来なかった。 でもどうやら、世界ではこれが「セイカイニタドリツイタナ」とされているらしいというのは、二人の空気から感じられた。 僕にはまだ魔法に見えている。何かどこかが噛み合っていないようだが、それは一体僕のどの部分なのだろう。探し当てて修正改善したい。と思っています。 あとは普通に、三人で行動するのが苦手なのかもしれない。ww 三つでやるお手玉みたいになってしまって、うまく落とさずに回り続けることができない。まあそのうち時間が解決する。かもしれない。仕事って難しい。 やはり僕には根本的に、人間と足並みをそろえて何かに取り組むということが、致命的な規模で下手くそなのかもしれない。 もしそうだったら、どうやって生きていけばいいだろうか。でも少なくとも、都市社会で上手くやっていく術はないように感じられる。 そして最近気づいたが、どうやら僕は寂しいから本を読むのだなと思った。何かで、本を読む必要があるのは孤独な人間だけだ、みたいに書いてあって、確かにそうなんだろうなと思った。 そしてそれは、○○(思いつかなかった)みたいに、自分にぴったり当てはまりそうだった。 確かに別に、ひとりでもふたりでも、身に余る程愛されていても、誰とも喋らなくても、別に何も寂しさに関して、変わらないなと思う。 だからもし、本が読めなくなったら、僕はそれが原因で孤独死するのだろう。憐れな生き物である。 ということは、愛されるかは全く重要ではなく、自分がやっぱり愛すということが、一にも二にも重要なのではないだろうか。そういうふうに感じる。 何か愛しているものなんてあるだろうか。無さそう。最近はそれが本当によく分からなくなってしまった。 僕はやはり自分が持っている優しさみたいなものは、躾と生育環境の賜物であって、僕自身のものではないように思われる。 ただ本当に、育ちが良いだけなのだ。
2026.7.11(土)
ワークショップのために早起き。部活のときみたいだ。自分がやりたいことをするための早起きは全く苦しくないが、仕事のために起きる早起きは苦しい。 その望まない早起きの代償として、夕方くらいまでずっと眠かった。そういえば、眠いとこんなに不快だったな…と思い出す。 最近の寝不足は、勝手に早起きをして雑誌をつくっていたから眠かったのであって、これは不快な眠さではない。シンプルに眠いだけである。 部活とか仕事とかの社会的早起きは苦痛だ。なるべく残りの人生で、こういうことがないようにしよう。 ワークショップではおじさんが激昂していた。道路がなくなって広場になってしまったら、うちらの町からロータリーまで、遠くなってしまうやないか!と。 その人的には、40人くらいのワークショップで決まっていってしまっている。俺たちの意見は無視されている。 そういう問題意識があるようだった。そして僕は写真に載せないでくださいとか行ってくる。コロスゾ。 しかし久しぶりにキレている大人を見て興奮する。半ギレ写真撮影NGおじさん(計3人)は、だいたい腕を組んでいる。 明日から腕組みはやめようと思った。 おじさんというのは、どうしてこうなっていってしまうもんなんだろうか。晩節からどうしようもなく音程が乱れ始める偉人の伝記を思い出す。 駆け足の終盤30p。読むに堪えなかった。死んでホッとした気がする。 何がなんでも、一生懸命、手を動かして、建築や雑誌をつくって(他にもなにかあるといいけど)、その中に狂気を閉じ込めていくしかない。 それとも開き直って、ブチギレ腕組みイライラおじさんになっていくのか?道はその二つである。おそらく。頑迷さと融通の無さが僕の中で強くうごめいているのを感じる。 迷惑をかけず、人を傷つけずには生きていけない。そういう人間なのだ。僕はASKAにちゃんと近づいているんだろうか。 あんまり自信がない。春が終わって梅雨が明け、もう夏がはじまろうとしている。進めていかなければ。ひとつずつ。
つっきー設計のほくしん図書館を見学。本棚の視線の抜け、天井にダウンライトは極力設けず、書架の各棚に入れたライン照明のみ、ふたりでひとつの勉強机の灯り、本棚に組み込まれたベンチ…。 とても丁寧に、それぞれの居場所がつくられていた。モノとしての本棚はごく普通のものであったが、照明計画、ベンチの組み込み方などでこんなにも上質な空間ができるのだなと思った。 良い椅子と、素敵な灯りを設えると、人間がこんなにも美しく見えるのだなと思った。たしかに、図書館の内装がこんなによくできている図書館というのは、僕も見たことがない気がする。 つっきーは凄い。ものの良し悪しというのの一歩先の抽象的次元でデザインを行っている。学生時代の僕にはあまり分かっていなかった。 こういうところに気を遣うんだと思った。真似していかなくちゃ。 中尾くんも凄い。ガッツがあり、爆速でスタディを進めている。僕にはできそうにない。しかしまあそれは、それでいいだろう。 いや、よくないんだけど。でも、自分のペースでいけるところまで、なるべく遠くまで、一個ずつ。 次はスロープだ。その前に展示の什器であった。あ。メールも確認しなければ。悠長にしている場合ではない。 昨日(土曜日)は河原家におじゃまして、楽しい時間を過ごせた。幸せである…。僕もああいう素直にありがとうやを言えたり、人を褒めれたりする人間になりたい。 この家族みんなが、ありのままの僕を肯定し受け止めてくれるお陰で、自分を傷つけ過ぎずに生きていれている。 次は素麺を食べにいらっしゃいと言ってくれた。本当にこんなにお邪魔していいんだろうか。僕が何をみんなに与えられているか、まだよく分からねえけれども、とにかく迷惑ではないみたいだ。 僕もとても楽しい。六時間があっという間に本当に過ぎてしまう。こんなに時間が早く過ぎてしまうのは、小学生のプラレール遊びとか以来だ。 本当に楽しいんだろう。いつもちょっとしかまだほんのちょっとしか喋れていない気がする。本当は四時間くらいお喋りし続けているのだが。不思議だ。 毎日がこんな風になったら、どんなにいいだろうか。と思ったりする。毎日こんなに楽しかったら、僕も定時で仕事をやめちゃって、お喋りしに帰りたい。 次はいついけるだろう。来週のzineフェスが終わったら、しばらく土日は何もないはずなので、七月の最終週とか、遊びに行けちゃうかもしれない。 それは少し早すぎるだろうか。でも何か、僕たちのあいだにはもう一段、何かしらの信頼関係のようなものが生まれて、もう少し踏み込んでいけるような、そういう気がする。 僕はその互いの信頼の手触りを感じている。向こうも同じような何かを感じていてくれているだろうか。そうだったらば、これに勝る歓びはない。
やっぱりシャープに生きたいじゃないか。
2026.7.12(日)
現地視察会であった。色んなおじさんたちと敷地を見て回る。要するに灼熱イベントである。おじさんたちの汗が公園の土に滴っていた。 僕だけ半ズボンだったので、倍、蚊に刺された。日中に沢山汗をかいて、銭湯に行って湯舟にむ浸かったので、良い眠りであった。 一日冷房があたるところで作業していた日とは大違いである。座りっぱなしで冷房を浴び続けるのは、やっぱり身体にはあまり嬉しいことではなさそうだ。 歩こう。いよいよ一週間前である。 展示の方の準備がまあ普通に何も終わっていない。そもそも、あまりビジョンが見えていないので、何をどうしたら良い方向に進んでいくのか、かなり手探りである。 とりあえず手掛かりが少ないので、大谷先生の「ダレヨリモタカク…」を手掛かりに進めて行くことにする。 こんな短絡的な作戦で大丈夫なのか、まったく自信はないが、もう考えても分からないので、これでいかせてもらう。
次のフェーズ。僕が次に取り組むべきことはなんだろうか。資格勉強?フリーペーパー?仕事? 次の一ヶ月、既存の流れとは異なる展開が求められている。まずはゴムが伸びたパンツを捨て、新しいパンツを買うところからだろうか。 ようやく少しずつ、自分の身なりというのを整えられ始めている。仕事を始めて以来、ずっと一年くらい、出来ていなかった。 毎朝髪をオールバックにする。まずはここだろう。衣服をもう少し買い揃える。お風呂に定期的に入る。汗を流す。コツコツつくる。 なるべくたくさん美味しく食べる。人に会う。話す。笑う。鳩に餌をあげる。こういうことだろう。でも本当に。 丁寧に丁寧に。あ!なんかの歌みたいだ。でも本当に、なるべく自分を大切に扱う。扱う練習をする。
今朝は中学生男子が、お母さんに首根っこをつかまれながら、駅のホームで暴れていた。 朝七時からあんなに狂暴に動けるのは若さ以外の何物でもない。土曜日はおじさんが怒っていたし、今朝は男子中学生が怒っていた。日曜日は塾の男子中学生も(言葉遣いが非常に)暴れていた。 みんなが怒っている。でもきっと、その問題の出来事について怒っているのではないだろう。うまく言葉に出来ない鬱憤があるのではないか。 ただの睡眠不足や、ホルモンバランスの乱れという可能性もあるが(それらも侮れない)。 とにかく怒っている。蝉ももしかしたらば、自分たちの運命に対して、異議を唱えているのかもしれない。 そう思うと彼らは蝉人間と定義づけることもできるのだろうか。何を言っているんだ。 風俗に行くしかない。小学生や中学生も、おじさんも、怒った人は風俗に行くしかない。若い女性の、白くてやわらかい膝の上でそっと、そっと優しく導いてもらうしかない。 赤ちゃんにしてもらうしかない。刑務所ではなくて、風俗にぶちこむしかない。母性中毒でしゃぶ付けにするしかない。いや本当にそうか? なんかさすがに間違っている気がする。とにかく夏が来て、男たちが怒っている。世界に対して憤っている。正しい。世界は普通に、生まれてこの方、常にクソであると僕も思う。 僕もかつてはそのことについて、真剣に腹を立てていた気もする。今も怒るべきことはある気がする。 怒ることは、でも悪い事ではない気はする。輪を乱しているので、村だったら家ごと焼かれているかもしれないが。 21世紀は、日本は一応まだ、戦争をしていない。世界ではもちろん戦争が絶えず起きている。力。侵略。力強さ。平和。優しさ。気遣い。遠慮。和。 リュックが汚くなってきている。少し掃除をした方がいいかもしれない。タフに毎日、謎に重い荷物を、よく運んでくれている。助かる。 蝉はあと二週間の命の中で、徹夜で鳴くのか、それとも夜はしっかり寝るのだろうか。蝉が徹夜で鳴くなら、僕ももう少し夜更かしして頑張った方がいいかもしれない。 事務所の僕以外の二匹の蝉は、明け方まで頑張っているみたいだ。僕は普通に夜寝ている蝉だ。 どっちがいいんだろう。よく分からない。協働は苦手だ。半ズボンが良い。人間、何が正しいのか、なにひとつ分からない。 色んな人間がいる。クマがすごいひととか、シャバザハットみたいな人とか、ケツがでかい人とか、声が良い人とか。 髪の毛が無い人、徐々に薄くなっている人、どもり、髭が生えっぱなしの人、真黒の人、白の人、腕時計をする人としない人。 色んな大人がいる。多分皆、社会的には尊敬される地位についているひとたちである。僕にそれはよく分からない。 はげてるな、とか、クマすごいなとか、どもってんなとか、そういうことばかり思っている。良い声だな、倍音効いてんなとか。 仕事って不思議だ。人間条件を一度フラットにして、その上でまた別の指標で戦える。借金がたくさんあってもホームラン打てる、みたいな? スポーツの試合をしているときと、そうでないときみたいな。なんだろうな。僕がまだ慣れていないだけかな。まだ不思議だ。 僕が仕事中に本音をこぼすのは、それはサッカーでこっちの方が良いですよ!って言いながら、ボールを両手で抱いて、相手のゴールに目がけて全力疾走しているみたいな、そういうことではないのだろうか。 まだ夏に身体がついていっていない。27回目とかなのにな。相変わらず成長しない生き物である。
2026.7.13(月)
八時半に起きる。今週はどうもなんか、起きてやるぞ!という気概が湧いてこない。 これでいいのかなとも思いつつ、喫緊の目標もなく早起きし作業するほど、睡眠時間が足りているわけではないので、まあこれはこれでいいんじゃないだろうか。 来週になったら、またZINEフェスが終わって、もういっちょやろうか!みたいな気分になってくるのかな。 …いや、本当は昨日買う事に決めた、あの洗濯機上ラックをモデルにして、検討すればよかったのか。でもちょっと、その元気は湧いてこなかった。 毎日を気分とは関係なく、安定したパフォーマンスで埋めるのは難しい。もう僕も、今日の朝2時間は帰ってこないので、切り替えてやっていこう。 今日明日でやらないといけないのは、フリーペーパー用の1000字の文章である。まずテキトウに書いてみよう。 書いているうちに、書きたいことが浮き上がってくるんじゃないだろうか。忘れたころに自分の日記を読まれていて、変な汗が止まらなかった。 イマイチ文章と文章に、流れみたいなものがなかった。もうちょっといい文章を書いているつもりだったが…。(少なくとも比較的良さそうなやつを選んで喋ってくれているのだから、他のはもっとダメなんだろう) まあ練習あるのみである。今日(火曜日)は、夕方の打ち合わせを終えたら、ケーキを買って、竹本さんのもとへ届ける予定である。 ていうか竹本さん、ちゃんと七夕パーティーに出席することになっているのか…!?これでケーキ買って行って、知らないB4ばっかりだったらだいぶ悲しい。 蚊以外に刺されたのか、膝小僧がずっと痒い。まだ虫が生きられる暑さだということなのだろう。 来週くらいには35度を超えてくるのだろうか。半ズボン履きたいな。そしてもう少し社会的信用を得たいな。僕が打ち合わせに一人で行くの、そんなに不安なのかな…? まあいらんこと言いそうではあるよな…。別に言わないようにもできるんだけどな…。w とか言って、大変なことになるかもしれない。まあもう報酬分は確実に働いているし、気にせずにいこう。 僕が気に掛けるべき問題ではない。
2026.7.14(火)
帰り道、西浦さんと別れてイヤホンを耳に差すと、音楽がとてもゆっくりに聴こえる。 知らない人が沢山いるところに行ったため、心拍数がとても上がっていたみたいだった。 小心者である。少し情けなかった。やっぱり足を向けるべきところではないかもしれない。 でも中江先生と安田先生に会えたのは良かった。竹本さんとは喋る時間が足りなくなってしまった。 しかしでも、僕以外の若い学生たちと喋れていたら、それはそれでOKである。 1000字のフリーペーパー原稿を書く必要があるので、ボツ原稿ふたつをここに載せておく。普通にクオリティが低い。
編集後記 雑誌を入稿し終えた。初めてつくるものには、やはり想像の及んでいない作業が続けざまに発生する。 最後は勢いで修正点をスルーし、なんとか目標日中の入稿に漕ぎ着けた。 慌てて書いた文章や、添景が真庭無かったパースなど、やりきれなかった部分は少なからずあるが、致し方ない。 最初なんてそんなもんである。原稿が書ければ、編集なんてあっという間だと思っていたが、そんなことは全くなかった。 やはり原稿ははやめに書いて、何回かは推敲する時間を確保した方がいい。編集作業も、インデザインに慣れておらず、裁ち落としを設定し忘れているなど、初歩的なミスを繰り返してしまい、その修正などに大きく時間を割くことになってしまった。 コデックス装という特殊な製本方法にも苦しめられた。もっと早く印刷して、綴じ方のスタディをするべきだった。 などなど反省は尽きない。が、タイムリミットがきたため、やむを得ず入稿。 7/5、日曜日、僕以外のふたりの終電30分前くらいのことである。 本当は18時に入稿して、三人で夜ご飯を食べる予定を立てていた。 しかしそんな余裕はあるわけもなく、学校から駅への夜道を、急ぎ足で駆け下りていく。 終電へ急ぐ二人の背中を眺めていると、自分が空っぽ、スッカラカンの出枯らしになっていることに気づく。 時間、知能、金、体力、交友関係、全てを使い果たした。何も残っていない。 こんなに全てを使い果たしたのは、卒計以来である。この全てを使い果たした満足感が、制作における最大の醍醐味だと思う。 分かち合う喜びもあるが、それよりも、何一つ自分は持っていないという未練の無さが、後悔する余地の無さとして幸福感に繋がっていると思う。 これはきっと、これからも時々訪れ(訪れることを願っている)、そしてそれは、たとえどんな大きな仕事でも、この感情はそんなに変わらないんだろうと思う。 少なくとも現状の僕は、これを超える満足感を知らない。まだまだ秘密の扉があって、先に進んでいけば、その扉の向こうの場所へ行けるのだろうか。 分からない。とにかく僕は出し切った。そしてこれが、知り得る一番遠い場所である。 一日経って、…後輩たちは資格勉強をしていて、就活をしていた。 僕はこんなふうに、意味の分からない文章を書いて、それを売れた!売れない!と騒いでいる。 こんなので本当に大丈夫なのだろうか。聴いてまわりたい。否定されたい。 お前は間違っている!!!と本当は言って欲しいんじゃないかという気持ちになる。 雑誌は売れている。どうしてなんだろう。 こんなどうしようもない人間の何に対してお金を払おうと思うのだろう。 皆目見当がつかない。僕なんて、だれも愛せていない。 見渡す限り、生物の存在しない砂漠の住人である。砂みたいな心と身体しか持っていない。 そんな人間の書いた文章なんて、いったい誰が読みたいんだろう。 勿論、僕が書いた文章以外の方が多いけどさ…。蝉が恐る恐る鳴き始めた。いよいよ夏である。
半ズボン 半ズボンが好きだ。膝小僧が飛び出る長さの半ズボンが好きだ。 長ズボンで夏の道を歩いていると、膝より下の部分に張り付く布が許せない。 中高時代は良く制服を、膝の上まで捲って登下校していた。品のないガキである。 そして今でも、隙を見つけては半ズボンで出勤している。そんなの絶対半ズボンの方が良いに決まっている。 厚い時は服を脱ぎ、寒い時は服を着るという、自然の摂理に従って生きているだけである。 それを本能で生きすぎていると責めないで欲しい。おかしいのはお前たちである。 長ズボンを履いて、空調を25度で効かせているお前たちである。 いや、そんなことはないんだけど、僕は一応そういうスタンスで、眉をひそめられながら、半ズボンを履いて出社している。 人間社会に秩序というのは、そこまで必要なのだろうか。 別にみんなで半ズボンくらいはいちゃってもいいんじゃないかと思う。 だって35度もあるんだ。普通に暑すぎると思う。僕たちはタンパク質で構成されていて、42度くらいから人体のタンパク質は変性をはじめるという。 いや、恒温動物だから大丈夫なのかな。でも結構僕は緊張している。 今体温が36度で、何かの拍子に42度になったら、僕はフライパンの上のニワトリの卵みたいに、ニワトリからはかけ離れた、抽象的な白と黄の二重円になってしまうんだ。 例えば僕もあんな風に、赤と白の二重円になってしまったとする。 お母さんはそんな僕を見て何て言うんだろう。想像してみると、いや普通に爆笑してそうである。 僕もなんか、ちょっとおもしろい気がする。つんつんしてみる。これが息子さんです…。医者が真顔で告げる。 口元が震えている。横に立つ看護師も、首を直角に折って、顔を決して上には上げない。 真っ白なシーツの上に、二重円になってしまった僕が横たわっている。 弟は少し下がったところから、疑わしそうにその光景を見つめている。 窓の外は、とても良く晴れていて、葉は風に吹かれて揺れている。 ガラスによって隔てられた病室には、音も空気も届かない。 完全にコントロールされた空調の中で、ただその向こうの景色を眺めているだけである。 実感はない。カメラは徐々にフェイド・アウトしていく。 無言で立ち尽くす僕たちを残して。カメラがようやくはるか遠くへ去ったころ、ようやくみんなは少しずつ笑い始める。 やがて部屋中にそれは伝播し、大きなひとつの笑い声となって、病院に染み付く死の香りを少し忘れさせてくれる。素敵なことではないか。 僕もしんだら、目玉焼きみたいにして欲しい。目玉焼きのくせに、本当にご愁傷さまですとか言われてみたい。 何の話をしてたんだろう?目玉焼きになっちゃうかもしれないから、半ズボンを履く話だ。 半ズボンを履きたいんだ。でも、目玉焼きみたいにもなっちゃってもいい。 悩ましい、夏の二択である。スイカが好きな一家の顔を思い出した。
これはどちらも、ボツにした方がいい文章だと思った。 2026.7.15(水)
冷房を浴びすぎて体調が優れない。涼しすぎる。 しかし、今この瞬間の作業効率を追求すると、そりゃあ涼しい方が良いに決まっているから、どうしても冷房ガンガンになってしまう。 効率的であればあるほど良い経済活動の中で働く僕たちは、この涼しすぎることからどうやって逃れたら良いのだろうか。 汗をかきたい。昨日は荷物受け取りの必要があったので、午前中、蒸し風呂のような家で、全裸で汗をかきながら過ごした。 軽いサウナの中で原稿を書いているみたいで、結構いいもんだなと思いながら過ごしていた。 服を身に着けずにかく汗は気持ちが良い。僕もこれから夏は、午前は家で全裸汗かきリモートワークにしてもいいかもしれない。 公共空間で、全裸汗かきPC作業ができるところがあったら、申し分ないのだが。ビル内にそういう場所を、つくってみてもいいかもしれない。 とにかく冷房を浴びすぎて、僕の身体の調子は悪い。布団に包まって冷房を浴び、そのくせ汗をかくんだといってサウナへ入る。 人間って不思議な生き物だ。そういえばこの五年くらいで、日傘をさす人がとても増えたように感じる。 おっちょが日傘をさしはじめた五年くらい前のころは、まだ上面が白で、裏面が黒の日傘は珍しかったように思う。 しかし今ではそれが普通になっていて、男の子も女の子も、みなそのタイプの日傘をさしている。 (そう思うと、当時その最新日傘を男性ながらにさしていた、おっちょの先見性は特筆すべきものがある。) 美肌、無毛が良いとされ始めているが、僕はまだその価値観についていけていない。相変わらず日焼け止めも塗らないし、脱毛をしようとも思わない。 みんな、そんなにきれいになってどうするんだろう…?と指を咥えて眺めているだけである。 なんだろうな。ここら辺の違和感みたいなものが、僕にはずっとある。前衛化してくる人間の肉体条件と、それを阻止しようとする人間の意志みたいな。 脱臭しようと必死に試みているが、果たしてこの欲望に果てはあるのだろうか。もちろん果てはなく、しかしだからといって、その試みの全てが無駄という訳ではないのだが…。 でもなんだろう。「ゲド戦記」に出てくる、不老不死を求める魔女みたいな?、そういうなんか滑稽さがないだろうか。 別に醜くて、汚くなっていけばいいんじゃないだろうか。所詮人間なんて、そんなもんである。 さらに極論を申し上げると、もっとお前たちは他にやるべきことがあるだろう。脱毛してないで本でも読め。ゴミでも拾え。 歌でも詠め。そんな風に僕は、実はこっそり思っている。いやまあ、街の女の子たちが綺麗になるのは嬉しいんだけどさ…。なんだろうな。なんだろう。…。 まあでも、なんだろう。でもさ、本もロクに読まない、ショート動画とLINE漫画のみの、ツルツルの美肌50歳になっちゃったら、どうするんだろう…?みたいな? いやそれはそれで、全然いいんだけどさ、実体とビジュアルの解離キツクネ?と僕は思ってしまう。みんなそこまで自己を客体化していないから問題ないのか? マジで分からん。おそらく僕の方が一般的でない意見を述べている気がするので、何とも言えない。 でもやっぱなんだろうな。この肉体っていう条件を無視し始めると、僕はやっぱり間違ったバランスの場所まで、あっという間に行ってしまう気がするんだ。 ちょっと日下とか考えてくれ。このことに関して。僕はこれくらいしか考えられん。
2026.7.16(木)
起床。八時だ。昨日もしっかり汗をかいたので、そこそこイイ感じだ。しかし眠い。元気が足りぬ。あぁねむ。 マジでもっと体力がいるな。雑誌は想像以上にバタバタしてしまい、色々なひとに助けてもらっている。 僕のLINEは「ありがとう!!!!」で埋め尽くされている。もうそれくらいしかできることはない。 やはり自分達で製本するのは、途方無さ過ぎる行為だったか。でも、印刷された雑誌を改めて読みながらめくっていると、雑誌だあ…!という深い感慨に包まれる。 雑誌ができている。西浦さんのページとかを読んで、ああこんなの絶対つくれねぇ凄えなぁ、と強く思う。 やっぱり、色んな人がそれぞれ思い思いに叫んでいてこそ、雑誌だなと思う。 今日の仕事を終えて、雑誌つくりに参戦するのが待ちきれぬ。僕も役に立たねば。
2026.7.17(金)
(製本作業のため休)
2026.7.18(土)
(製本作業のため休)
2026.7.19(日)
(出展作業のため休)
2026.7.20(月)
(出展作業のため休)
2026.7.21(火)
トクさんへ
お久しぶりです。なんだか暑くなってきましたね。変わらずお元気でしょうか。 一区切りがついたため、またこうして手紙を書いています。いつも、トクさんばかりに送ってしまって申し訳ないと思いつつ、しかしトクさん以外にこうやって話せる友がおらぬため、堪忍して頂けると幸いです。 それでは本編へ。
2日間のZINEフェスの出展が終わりました。当初の想定部数、初見の新規に15部程度売るという目標は概ね達成されました(13部売れた)。 これは良いことだなと思います。刺すべき人は刺した。 あの場所で物理的に出会うことができた人間の、出会うべき心にしっかりと出会えたといったような、そういう手応えがあります。 よく分からない集団の、建ってもいないビルの雑誌(しかも2000円)を買ってくれたというのは、凄いことだなぁと感じます。 また、必死に口角を上げてセールス活動をして、その結果買ってもらえるというのも、中々味わえない、大きな喜びでした。 少なくとも僕たちの存在のどこかしらの部分は、お金になるんだという、存在肯定が発生した気がします(2000円で良いのかというのはさておき)。 売れずとも、200人くらいの通りすがりの人間に、ビルを建てたがっているやつがいるというのは認知させられたと思います。 それがどういった伏線として効いてくるのかは、これまたさっぱり分かりませんが、まあそれは年よりの楽しみでしょう。 「種は撒くものではなくて、零れ落ちるものだ」という、どこかの国のだれかの言葉が示すように、それは我々の感知し得ない世界で起きているようです。 未だ百部以上の製本縫い作業は残っていますが、ひとまずの区切りを記念して、三人で飲むお酒は、とても良い時間でした。 これもまた、自己の有用性が朧気なこの世において、その欠片のようなものが感じ取れるからでしょうか。 ふたりが楽しそうにお酒を飲んでいるのを見ると、多少なりとも僕が生きた意味のようなものが生まれているような、僕たちが出会った必然性がみたいなのが生まれているみたいな、そういう感覚になります。
しかしでも、そんな中でも、ヒタヒタと背後に迫る不安を消し去ることができません。これは僕が天邪鬼だからなのでしょうか。それとも薬が切れた中毒者のような状態だからでしょうか。 幸せが大きければ大きいほど、その後に訪れる時間は深くて暗い穴の中へ降りて行ってしまい、それはやっぱりとても怖い。 次の雑誌はどうしよう。まずいつ創刊号の縫い作業を終わらせていこう。お礼や挨拶の言い洩らしはないだろうか。 明日からの普通の日々をどうやって過ごしたらいいんだろう。仕事はそういえば大丈夫だっただろうか。 そもそもこの活動方針は間違っていないだろうか。間違って誰かをいたずらに傷つけていないだろうか。… そういったグルグルが始まってしまい、ニッチもサッチもいきません。胸が…苦しい。 外発的な熱狂は、とてつもない量の快楽物質を身に流しますが、それに焼き切られた回路で日常を過ごすのはなんとも難しいことです。
要するに何が言いたいのでしょう。まとまりがなくて申し訳ない。要約すると、祭りが終わってその空虚さに耐えられなくて不安になっている。 その不安が全活動に影響してしまっている。そして、それを相談できる人がいない。そういった感じになると思います。 本当にかたぢけない。弱い人間であります(ケロロ軍曹。ケロロは人間ではなくカエルだが。そんなことはどうでもいい)。 もう少し前向きなかたちで手紙を終えたいので、もう少し付き合ってもらえるでしょうか。
まずはありがとうございます(この言い回しに現在ハマっている)。 ひとまず尽くせる最善は尽くし、配り与えられるものは全部渡すことができたと思います。 それを向こうが求めているものかは分かりませんが、誤配や偶然性からしか、必然性には迫っていけないと東浩紀も言っているので、おそらくこうする他ないのでしょう。 東浩紀の言葉には、いつも勇気づけられます。自分という人間のどうしようもなさに(本当にどうしようもない)頭を抱えていますが、これももうどうしようもない。 実は勢い余って、フェス中にナンパしてしまいました。白状いたします。素敵な女性がいて、思わず声をかけずにはいられませんでした。 なんでこんなことをしたのかは、今となってはよく分かりませんが、周りの人間の反応を見る限り激やばムーヴであったようです。 本当に恐ろしい。他にも大小さまざまな問題発言/問題行動があったような記憶があります。冷静になると、何だあの時のあれは…!?みたいに自分でも愕然とするのですが、闘争動物状態の自分では気づくことができません。 どこまでも走っていってしまう。平静さに戻ると、部屋が荒れて洗い物が溜まり、人間関係が混乱しパンが腐りかけていました。やれやれ…………。本当にやれやれ…です。 やれやれなんだけど、でもまあ仕方がない。仕方がないとして、生きていくほかないので、仕方がないです。!!!仕方がない。 凡庸な毎日に戻っていきます。興奮と熱狂が懐かしく、恋しいです。またあの疾走浮遊感の中に戻りたい。しかし我慢ですね。 巣を整え、栄養を補給し身体をメンテナンスして、インプットをして次に備えていくのみです。 そんなのはスッと切り替えられたらいいのですが、これを2時間くらい書いて、ようやく現在、その心境に至ることができました。 やるべきことをひとつずつ、やっていきます。第二号は「鏡」をテーマにしたい。鏡、言い換えるともう一人の自分、客体化された自分、現在から少しズレた世界。 そういったところでしょうか。解釈の余地があるテーマなので、そこに絡めて何かを書いていただけると、とても嬉しいです。 第二号にどういう構造を与えるかはよく分かってないですが、テーマはそんなふうにしようかなと考えています。 それとは別に、僕はビル神の像をつくろうと思っています。太陽の塔みたいなものをつくりたいです。それをビルの屋上に建てたい。 岡本太郎に漸近していきたい。やりたいことはまだまだあります。やらねば。そしてまだ、まだまだ何も与え切れていないです。 与えられたら与え返したい。僕はまだ、貰ったものの1パーセントも、お返しできていない。返礼の効率が悪いのでしょうか。 いつも間違ったものを与えているような気がします。晴れの日に傘を渡している気がします。 自分の活動が正しかったと思える日は来るのでしょうか。自分の存在に価値があると信じ切れる瞬間は訪れるのでしょうか。 有用性や必然性はいつ、この指にかかるのでしょうか。それはやはり、蒔かれるものではなく、こぼれ落ちるものなのでしょうか。 いつかそのことについて、僕に教えてくれると嬉しいです。僕にはこれは、分からない。トクさんはどの仮説に基づいて起きているのでしょう。
以上です。長々と失礼しました。トクさん側の気持は置いておいて、僕はトクさんと出会えてよかった。 偶然の出会いがなくてはならないものになっていくこの気持が、トクさんをはじめとする僕と出会った人達の中にあることを強く願うばかりです。 ではまた。僕はまた、土の中の蝉にもどります。ちなみにまどみちおは、蝉の鳴き声を「ざいざいざい」と表現していました。 そう言われてい見ると、「ざいざいざい」と聞こえないこともないですよね。「太陽ばんざい ざいざいざい」だそうです。 お身体お気をつけて。また会いましょう。 2026.7.21 舟木健太郎
2026.7.22(水)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.23(木)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.24(金)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.25(土)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.26(日)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.27(月)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.28(火)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.29(水)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.30(木)
あああうんちうんち!!!!!
2026.7.31(金)
あああうんちうんち!!!!!