2026 6

2026.6.1(月)
やばい!もう六月だ。色んなことが終わっていなくて、そいつらをひとつずつ消化していかないといけない。 終わるかな…。仕事の方もいよいよ忙しいんじゃないか…? 気合を入れて仕事を早く終わらせ、早く帰ってたくさん作業ができるようにしよう。 髪を染め直して、半袖と半ズボンを買いたい。事業計画書を書いて、芦田にお金を返して、家賃も振り込んで、著者プロフィールも全部集めて、フィルムを無事現像に出して、モデリングを終わらせて、図面もなんとか描き切って、…。。 まだ白紙ばっかりのインデザインのページをどんどん埋めていきたい。アドレナリンが脳髄の隙間から滲み出てくる。 あと昨日は、執筆者プロフィール、自己紹介文を考えていたが、何を書けばいいかあまり分からなかった。 朝井リョウのやつとかを参考にしたのだが、意外と難しい。朝井リョウから学んだところによると、前半は真面目に書いていき、後半から徐々にふざけていくのが良さそうだ。 ひとまず皆のプロフィールを見てからにしよう。事業計画書もひとまず何かフォーマットを印刷してみて、テキトウに休憩時間に書いてみようかな。
「ランニングする前に読む本」を読んでいる。走りたくなってくる。ハーフマラソンとかに申し込んでみようかな。 「第35回 大阪淀川ナイトマラソン」を発見したので、一旦高雄さんに送り付けてみる。九月開催のこれを目標に少しずつランニングの習慣を構築していけばいいのではないだろうか。 眠い。でももうちょっと寝ないとね。
2026.6.2(火)
本能寺の変の日である。ジンカンゴジュウネン。合ってるっけ? 最近本当に記憶力が低い。まるで何か、恐ろしいものが思い出に含まれていることを警戒しているかのように、大小あらゆることが頭の中から消え去っていってしまう。 思い立ったら即日実行しなくては、もう二度と自分では思い出せないまま終わってしまう。 日々の雑務に気を取られ過ぎなのだろうか。もう少し手荷物を減らして、少ないものに集中していくべきなのか。 雑誌作成も佳境を迎えつつある。インスタをつくるところまでは到達した。宣伝するタイミングと内容も概ね決定した。 今週中には設計を終わらせて、アウトプットの方に注力しなくてはならない。 そのあとは執筆の方に舵を切る!切ります。そこまでいけるかな…?今週はあと、最初の投稿に用いる紹介文500文字を書く必要がある。 雑誌の方で他にすることってあったかな。現像か。写真の現像をしないと。その準備は昨日大方終えたので、あとは送るだけである。 そういえば昨日は、ティーハウスの皆が珍しく揃ったので、みんなで集合写真を撮った。周さん(195センチ)がデカすぎて、横に立つ僕がまるでとても小さい人間みたいに見える。おかしい…。 最前列に座るツッキーの顔もデカすぎて(アンパンマンの胴体と顔のバランス)、後ろの列の僕たちの顔がなんかすごいちっちゃく見える。こっちは良いこと。 あと一ヶ月だけの、八人態勢である。ここから二ヶ月連続で一人ずつ去る。そうすると六人。つっきーと久仁子さんを入れて六人。 社員は四人。本当にまずい。これでどうやってあのデカいPJを回すのだろうか…? 本当に誰か、ティーハウスで働いてくれないだろうか。このままの四人態勢で乗り切れそうな気が全くしない。 僕、実施設計なんてやったことがないし、現場にも出たことがないし、夜も徹夜できない。絶対に大丈夫ではないのだが、なんとかなってくれないだろうか。 しかし人生。もうこりごりなのだが、これくらいの困難がないと退屈しちゃうんだろう。勿論仕事以外にも危機的状況なことは沢山あるのだけれども。 家族がいるっていうのは、とても良さそうだなとまわりの人達を見ていて思う。考えてみると、事務所で一人ぼっちなのは僕だけだだ。 友だちを見渡してみても、なんらか家族や恋人がちゃんとみんないる。僕は…僕は本当にこんな調子で大丈夫なんだろうか。 自分傷つくことに怯え、誰かを傷つけることにも怯え、勇気が足りないから、ひとりぼっちになってしまっている。 今はいいかもしれないが、これから先の局面を、この調子で乗り越えていけるだろうか。 自分の人生しかかかっていない状態では、踏ん張り切れない局面が思っているよりも沢山ある。 傷つけ傷つける勇気…。そして失敗して失ってしまうことの勇気…。覚悟。。。 守りに入り過ぎているのかもしれない。守るものなんてもう何もないのに。 失ってしまうことが危機に直結してしまうくらい、持ち札が少ないっていうのが問題なのかもしれない。 あるいは一個の失敗に対しての警戒心があがり過ぎているのかもしれない。一回こけたって、膝をすりむくくらいなのに、もう二度と走れない…立ち上がれない…と感じすぎている気もする。 アキレス腱が切れたってまた走れるようになるもんね。芦田の言う通り、死ぬ気で生きておけという話だ。 頑張りまーす!もう1.3倍くらい、一日の中に詰め込める。疲れたら全力休憩。元気になったら全力疾走。毎日躁鬱!! 出力調整なんて器用なことはできないので、ひとまず今ある元気を午前中のうちに使い切ってしまおう。午後のことは、午後の僕がきっと考える。
昨日、小野と日下のラジオで僕の日記が読み上げられていて、だいぶ焦ったので、少し真剣に書いた。 やっぱり毎日真剣に書かないと、もっと赤裸々に書かないとダメだ。ありがとう喝を入れてくれて。 ちょっと最近は激鬱期が終わってしまって、ぼうっと生きていた。激躁もしくは激鬱を目指して、書きます。 コーナーを潰さないためにも頑張って恥ずかしいこと、書くわよ。
2026.6.3(水)
台風が通り過ぎていったみたいだ。昨日の夜は凄まじい雨と風だった。 三匹の子豚の家は確実に飛ばされてしまっているに違いない。 風が強い日は、かつての超細身の友人たちのシルエットが頭に浮かぶ。彼等も飛ばされてしまったりしてないだろうか。 飛ばされていなかった場合には、どこで何をしているんだろう。 僕が眠りについた二時くらいのときも、その風雨はまだ勢いを保っていた。 朝目覚めると、雨は止んでいて、ズボンは乾いていた。風はまだ強く、雲が空を分厚く覆っていた。 玄関を出ると、昨日の突風で柄の部分からポキリと折れ曲がってしまった傘が脇に転がっていた。 道には千切られ飛ばされた葉がそこら中に散らばっていた。風が強く、久しぶりに肌寒いと感じる一日になりそうだった。 北の方に目をやると、六甲山のおでこくらいの高さに雲が突き刺さっていた。 プラットフォームでは、夫婦と思われるふたりぐみが、風に負けないように声を大きくして会話を試みていた。 きっとこの強い風は、僕が寝ているあいだに、この街に何かを運んできて、そして何かを運び去ったのだろう。 ただ火曜日の夜を運び去って、水曜日の朝を運んできただけなのかもしれない。 気づかぬうちに内面化してしまった規範たちも、風に預けることはできるのだろうか。
2026.6.4(木)
朝寝坊。夢の中で、もういっかいいるかの跳躍を見たいみたいな…みたいな気分でまどろんでしまって、そうしたら30分くらいいつもより起きる時間が遅くなってしまった。 ちびっこうべのゾーニングについて、昨日は一日検討していた。しかしどんなに線を引いても、以前開催された案の最適さに終焉してしまっていって、他の可能性についての萌芽を感じられるところまで、全く到達できなかった。 こどもの街ひとつすら、上手く作れない。少しこの仕事を甘く見積もっていたかもしれない。難しい。ともかく今日、それをもう少しかたちにする必要がある。
雑誌の方は、今日中にそういえば紹介文をもう一回完成させなければならない。 こちらも若干上手くいっていない。今からの一時間ちょっとの時間で、その推敲をするべきか、それともモデリングをするべきか、非常に悩ましいところである。 一旦はモデリングだろうか。とにかくこれはなんとしても、日曜日までに終わらせないといけない。 屋上がやばいんじゃないかと思い始めている。屋上に茶室をつくる計画ではなかったか。たしかそうなっていた気がする。 屋上検討、事務所の机制作、玄関の再検討、すべり台の各階入り口の検討、北西部分の検討、吹抜の四角い開口の修正(2フロアでひとつの開口にまとめたい)、…。 たくさんある。今日はひとまず、事務所の机をつくって、屋上にモデリングをしてみるところを消化しようと思う。 あれよあれよと木曜日。終わるだろうか。土曜日、日曜日といずれも予定を入れてしまった。 自己紹介文やビルプロジェクトの紹介文も、今週中にかかないといけない。
日下のプロフィールをドライブにアップしていた。脱線してしまった。こっそりしたオナラが凄い臭い。思い当たる節、…あまりない。なぜだろう。 まあいいや。まじで何としても終わらせる。文章書きたい!!!! 2026.6.5(金)
プロジェクトの一環で図書館の視察へ。移動はつっきー運転の車。 激しく酔う。ずっと吐き気を抱きながらの視察となる。僕の運転はもう少しマシなのではないかと思う。 ブレーキが普通の人の5倍くらいある。昔トクちゃんに指摘された。何回にも分けてブレーキを踏んでしまうことがどれほど多大な損害を与えるかを身をもって知った。 もし日本中の人がこの運転をしたら、日本のGDPが2%くらい下がってしまうだろう。 毎日この送迎で学校に通っている娘さんはすごい。僕だったらば、毎日の吐き気で友だちをつくるどころではない気がする。
家に帰ってなんとかシャワーを浴び、それから二時間ほど布団に倒れ込んで眠る。それくらいの車酔いであった。 なるべく車を運転しないで生きていこうと思った。間違いなくタイプの人間である。人を酔わせるわけにはいかない。
つっきーに「一番いい図書館はなに?」と聞くと、「ホクシン図書館かな…」との答えが返ってくる。 結構本気で言ってるみたいだったので、今度見に行ってこよう。 外観のない建物なので、頭のお堅い建築家にはあまり評価されていないんだけどさ…という話であった。 確かに僕も、まあなんか雰囲気良さそうだね、くらいで流していたが、つっきーの腕というのは、その良さそうだね塩梅のところにあるような気がする。 力を入れ過ぎたり、凝り過ぎたりはしない。使う人が気持ちよく作れる一歩手前まで用意しておくみたいな。親しみやすさ。 引くところはしっかり引く。出し過ぎない。僕が一番苦手そうなさそうなところだ。 そのうちそういう塩梅が出来るようになるんだろうか…? あんまり自信がない。ひとまず図書館に行ってこようと思う。北のほうにあるらしい。新開地から行くのか。 ひとりでいくか。だれかといくか。誰かと行くとして、誰と行こう…?今週末は無理だ。来週も無理だ。再来週の週末か。明日の午前中も空いているが、少し厳しい。 再来週だ。行ってみてこよう。僕もいつか、良い図書館をつくりたい。
2026.6.6(土)
寝不足のためパフォーマンスが如実に落ちているのを痛感。 朝の早起きと作業を見送って、二度寝に変更。九時まで寝てみる。 しかし身体の調子はまだどうも上がり切っていないようだ。 どんなに気分が乗っていても、調子に乗って夜更かしするものではない。 あとはアレルギー剤を切らしていて、それをしっかり飲んでいないので、そのぶん鼻の調子が少し悪い気がする。 ちょっと調子に乗って、五時間睡眠とかをニ三日続けると、このざまである。悲しい。今日はちゃんと早めに寝よう。 でも昨日は、ちょっと夜更かしをして「多崎つくる…」を読み切った。良かった。僕も男の子の子どもが生まれたら、「つくる」って名前をつけたい。 何かをつくるという、自分の人生や考えられる範囲よりも大きな存在があるために、辛うじての謙虚さを持てていると思う。 これが無かったら、僕はもっと傲慢で鼻もちならない人間になっていたと思う。 建築と出会えてよかった。建築と出会わなかったら、僕はいったい何をしていたんだろう。 やっぱりお笑い芸人になったりしていたんだろうか。お笑い。
眠い。まだ側頭部がチクチクしている気もする。鼻水の色はもうなくなったけど、まだ完治していないのかな。? やっぱりもっと面白くなりたいな。でも矩計図も描けるようになりたい。どっちも目指したい。そうするともう少し、人生から余分なものを取り除かないといけない。
今日ははじめてといちくんに会った。対面させていただいた、と言った方が正確かもしれない。 それくらい貫禄のある赤ちゃんだった。赤ちゃんは本当に天使だった。言葉もしゃべらないし、歩くこともまだ出来ない。 とにかく見ていた。ときどき指を指し、何かを訴えていた。胸に抱くと、とても温かかった。ときどき微笑むと、そのたびに空から全ての雲が去っていく瞬間のような、素晴らしい気持になった。 赤ちゃんっていうのは、本当にかけがえのない存在なのだなと思った。
なんとなく父親を思い出して調べてみる。ネットで検索すると、八割型が同じ造りの父親の顔が出てくる。(高松一郎 医師 とか調べたら出てくる) 経歴が乗っている。色々なところをひとりで点々としていたみたいだ。今はどこかの院長になったらしい。 どうやら二年前くらいに転勤していたみたいだ。 僕と同じ顔の人。生き別れていた同じ顔の人。息子の顔も分からずに20年くらい、お父さんはどんな気持ちで生きていたんだろう。 僕が赤ちゃんをやめて人間へと育っていく過程を見ることなく…。 父親とは何の精神的な繋がりを持たないが、あまりにも顔が似ているために、他人事とは思えずにどうしても気になってしまう。 大地くんやお母さん、その他舟木家の人間は全くそんなことは思わないだろう。 同じ顔というだけで胸に迫ってくるものがある。赤子の頃だけの僕しか知らずに、しかし自分が知らない間に全く同じ顔に育っていたという。 お父さんに、同じ顔であると教えてあげたことは、僕の人生の中で最も意義深い行為だったのではないだろうか。
父親が生きている間に、父親が知らない僕の日々というのを、できる限り書き記して教えてあげれたら良いのかもしれない。 しかしどんな父子よりも顔が似ているのに、生き別れていたというのはなんとも皮肉な話である。ドッペルゲンガーは出会ってはいけないみたいな、そういうことなんだろうか。
2026.6.7(日)
親と仲良くするって難しいのだなと思う。赤ちゃんの頃にあった信頼関係はどこへ行ってしまったんだろう。 僕がお母さんの瞳を見て話したのは、最後はいつだろうと思う。小学生の中学年くらいとか、それくらい遥か昔のことのように感じる。
うんちをしようとトイレへ。鍵がかかっていて、中から爪を切る音が聞こえた。 どんなイカれた人間が一体、朝の喫茶店のトイレの中で爪を切っているんだろう。 五分ほど、おならと爪を切る音が断続的に聞こえてくる。暫くして出てきたのは、一見何の問題も無さそうな、七三分けのサラリーマンだった。
人間というのは、必ずどこかに歪みが生じるようにできていて、そういうのはあっけらかんと見せつけていっても良いのかもしれない。 なんなら見せつけていいのかもしれない。内面化して不健康になるよりは、堂々と垂れ流して健康な方が良さそうだ。
僕もトイレに本を持ち込むようなおかしな人間なので、健康そうな硬さのうんちが沢山出た。そう思うとうんこすら満足に出ていなかった時期というのは、かなり深刻な問題を抱えた時期だったのかもしれない。 今日(月曜)は夕方、皮膚科に突撃チャレンジをして、そのときに吉本ばななのnoteでも読んでみようと思う。
2026.6.8(月)
隣のじじいが五月蠅い。当然の顔で電話をしている。 電話の喋り方は物腰も柔らかく礼儀正しい。その人間の中に、喫茶店で大声で電話する人格が内包されているというのは、不思議なような気もする。 まあでも考えてみると、携帯電話が登場した頃は別に、みんな電車の中やお店の中で通話していたのではないだろうか。メールが登場する前だったらば、そんな感じでもおかしくないだろう。 し、別に通話されるのが甚だしく不快かと問われると、意外とそんなこともない気がする。うん。別に許せるかも。
おじさんはそんなに悪くなかった。
2026.6.9(火)
原稿を書くので日記は書かない。チャゲアスの「WALK」についてだけで、僕は2ページ、書き切れるだろうか。 ともあれ、やってみるしかない。今日はあと、平面パースもつくってみる予定。10時には仕事を終えられそうな気がする。 少し寝不足。雨ばかりで少しどよんでいる。
2026.6.10(水)
いつも飲んでいるインスタント味噌汁。わかめ、豆腐、あげ、ネギ。 4種類の具が用意されている。これ、一個に全部入れる事って出来ないんだろうか。 わかめなんて、言わなくても入っていて欲しい。豆腐も。ネギとあげはオプションでも良いけれど。 でもなんとなくだけど、全部入っているデラックス味噌汁と、四種類の味噌汁、どちらが売れるかと考えてみると、四種類の味噌汁の方が売れそうな気がする。 全部入ってます、って、なんだかぴんと来なさそうじゃないだろうか。それよりも、四種類あってその中から選べますとなっている方が、多くの人にとっては馴染みがあって、安心でき、結果的に信頼もできる味噌汁になるんじゃないだろうか。 全てが手に入るという選択肢より、あるものを手に入れるためには諦めるべきものがあるという選択肢。 これはこの世界の原理なのだろうか、それとも一つの教義なのだろうか。
気に入ったズボンを複数買うのは骨が折れるし、それなりに高くつく。だからいつも一着をヘビーユーズしてしまい、最終的に穴を開けてしまってりしている。 毎日履けて汚れなくて、そして破れないズボンっていうのは存在しないんだろうか。 眠い。夜更かしをしても翌朝、眠くならずに不健康にもならない身体だったりしないだろうか?僕の身体。 仕事と雑誌のことを考えていると、気づかないうちに朝が夜になっている。 可愛い女の子と観覧車に乗って一周するのを楽しさの基準単位とすると、雑誌や仕事には、だいたい50~100単位くらいの楽しさがある。 面白い女の子と乗る観覧車には、300単位くらいの楽しさがある。雑誌が終わったら(終わりなんてものがこの作業に存在しているのだろうか)、可愛い女の子とご飯に行きたい。
2026.6.11(木)
雑誌に載せる山本くんのポートレイトを撮るために街へ。 そんなことをしたのはこの一回きりなのだが、その一回で、三ノ宮でバッチリつっきーに遭遇。 つっきーは自分の事務所の所員が夕方普通に街を歩いていて、大困惑をしていた。
そんなハプニングに見舞われながらも、なんとか無事に撮影修了。良い写真が撮れたと思う。 夜会議し、ロゴも決まって、無事初投稿まで漕ぎ着ける。嬉しい。 今日はひとまず、あるものを一旦全部、エクスポートして載せていく作業を。 雑誌のテイストは、どこまで揃えて、どこから散らした方が良いのだろうか。その塩梅を知りたい。
今日はちびっこうべの送付資料の修正と、A1図面に検討ポイントの付箋貼り出しを行う。で、夜は谷村さんとホルモンを食べに行く。 木曜日。今日中に、2階、3階のプランとパースを載せて、Indesignにあげる。
2026.6.12(金)
大地くんの誕生日。 昨日の飲み会はうまく楽しめなかった。そして少しだけ飲んだビールがまだ残っている。 ほんのりと頭が痛い。寝坊をしてしまって、満員電車に乗る羽目に。 飲み会をするなら、仕事をした方が楽しいし、雑誌を作っていた方が楽しいと思った。思ってしまった。 昔はもうちょっと飲み会も楽しかった気がするのだが…。どうしてだろう。上手く楽しめなかった。 問題は僕の方にあるのだろうか。それとも飲み会の方にあるのだろうか…? 僕以外の三人は心から楽しそうだった。口だけそういう言葉を発しているのではと思い観察してみたが、どうやら本当に心からの言葉であるようである。 またやりましょうと言って、次の飲み会も決まった。僕は埋まるスケジュールを見ながら、あぁ。原稿を書きたいなぁとか思ってしまった。 醜悪な精神。一時の感情だと思いたいが、ある温度を超えた卵が固まりはじめてしまって、もう元には戻れないように、そういった種類の変化があったようにも感じる。 悲しい。しかしそういう年齢が来てしまったという、もう受け入れていくしかないのだろう。
飲み会をより合法的に断るために、毎朝、走ろうと思った。
というかやっぱり僕は、お酒を飲む前から日常的に狂っておくべきだなと結構思う。 要するにどこで羽目を外すかということを、皆もっと、朝から習慣的に狂っていくことが必要なのではないか。 それは僕だけだろうか。煙草や酒なんて、毎朝おかしなことを計画的にやっていれば全く必要のないことではないだろうか…? しかしそれは人類の歴史に整合していない。やっぱり僕はおかしいのかもしれない。とりあえず大地くんは24?歳かな。 まあ一日一万歩くらい歩いて欲しい。応援。ハーフマラソン、申し込もう。飲み会をより断るために。走る。 卒業!!!
2026.6.13(土)
疲労の蓄積を感じる。明日の午前中、ひと作業が終わったら、銭湯に行こう。 今日も貴重な週末なので、粛々と雑誌を進める。インスタの投稿によって、周知の活動にもなったし。 こういうのって、なんか言い出しづらいよね。
明日のミーティングのときに、ある程度の全貌が見えてくるように。したい。 あと三週間を切り、いよいよ追い詰められてきている。 もう一回二回くらい、跳躍していく瞬間が来ないと、良い物になり切らない気がする。一枚のアルバムだと思って。 頑張ろう。「走り続ける人の中にのみ、力は存在する」とASKAは言っていた。飛鳥君、気力。
2026.6.14(日)
今日はお昼過ぎに銭湯に行こう。 昨日はまた河原家にお邪魔をして、家族団らんの夜に混ぜてもらって、楽しい夜を過ごした。 また、もうしばらく、頑張れる気がする。雑誌を入稿して、その足でまたあのお家の玄関をピンポンしたい。 きっと、玄関扉の少し透けるすりガラスを一回覗き込むボケをして、それからドーン!って玄関扉を開けてくれる。 早くまた、その光景に辿り着きたい。から、今日は銭湯の時間以外は頑張る。 しっかり休憩時間の輪郭を鮮明にすることで、メリハリが生まれてより洗練された休日になると良い。
夜は八時からビルのミーティングである。ふたりとお喋りするために、僕は一週間、生きている。河原家に遊びに行くために、一ヶ月生きているみたいに。
2026.6.15(月)
北岡くんが偉大な登山家になって有名になったら、その後援会の会長になって、資金集めに奔走しないとなと思った。 それは置いておいて、今週僕がやるべきことは、
・編集後記のページのレイアウト
・参考文献リストのレイアウト
・チャゲアス原稿完成させる
・屋上のレイアウト
・図面(平面図)書き上げる
・スキャン(エスキス図面/そいちゃん対談メモ)
・小説かきはじめる
理論上は一日一個ずつ潰していけば終わるようになっている。 おそらく今は少し元気だが、水曜日か木曜日くらいに身体が疲れてきてしまうので、そのあたりで一度休憩をとりつつ作業をして、二段目のロケットの噴射でなんとか今週を乗り切りたい。 このままだと、自分の満足に届かない雑誌が完成するのが見える。それを許すわけにはいかない。 参考文献で買った「ぴあ&ASKA」(2012)には「走り続けるものの中にのみ、力は存在する」と書いてあった。
このボールをどこか、未だ出会わぬ誰かの手元まで、届くことを祈っている。あ。故事成語辞典みたいなの買おうかな。勉強。 あ。もう一個。西浦さんが僕の小ネタで爆笑してくれたら、それで満足だ。もっと爆笑させたい。
2026.6.16(火)
編集後記のレイアウトを今からする。北岡くんにインデザインでやれよとキレられた。 やるっきゃない。昨日は芸人交換日記を読んだ。芸人になりたいなんて簡単に言うもんじゃないかもしれない。 あとはなんだろう。デザイン未解決部分が気になってしょうがない。仕事の方のデザイン検討も、発散するばかりで、収束点が見えてこない。 どこなんだ。これはもう根気強く、時間をかけて探し続けていくしかない。 あとはなんだろう。とにかく進める他ない。A3にB4を印刷しても見えるような枠を用意した方が良いかもしれない。
2026.6.17(水)
トクちゃん誕生日おめでとう。トクちゃんにとって、この27歳のと一年が、良い一年になりますように。 東浩紀の「平和と愚かさ」を読み始めた。面白い。 そういえば僕はいつから、蟻を踏みつぶしたり、蟻の脚を抜いたりしなくなったのだろう。? いや、蟻の脚を抜いていたのは、藤平ちゃんだけだったかもしれない。
2026.6.18(木)
東浩紀の本を読みながら、引き続き自己紹介文について考えている。 ちなみに昨日は牧さんが来ていて、飲み会だった。楽しかった。 楽しい飲み会になっていくのを辛抱強く待つ気長さも必要かもしれない。 牧さんはなかなか変な人である。早口だ。そしてとにかく。 この早口であるっていうことが、僕の中で最近、関心事として大きくなってきている。 僕は喋るのがとても遅い。動物図鑑に、ナマケモノの生態に関する説明で「動きが非常に緩やか」と書かれているみたいなものである。 一方で世界には、とても早く喋る人間たちがいる。最近はそういう人に出会うことが多い。 仕事で有能とされるのは、当然のことながらしゃべるのが早い人間である。切れ者という評価になる。 僕はよく、そういう喋るのが早い人間を前にして、喋り始めようとまず手を動かし始めて(どうして手から動いているんだろう?)、でも口が動く前に向こうが次の言葉をしゃべっていて、それで手だけ動かした痙攣患者のようになってしまうことが少なからずある。
話は戻る。 自分の簡潔な自己紹介について考えてみる。なるべく正直に。
幼年期から青年期に培われた僕の根底にある世界認識はおそらくこの三つである。 ①自分は相対的に優れた人間である(自分が褒められるべきと評価している以上に褒められ続けた)
②自分自身の中に潜む衝動みたいなものにはどうしても抗えない
③僕はいつか死ぬ
僕から見える僕は、いつまでもインテリマセガキで、鳩と同じくらいにしか人を愛せず、そのくせ寂しがっている、みたいな…? まとまらないな。難しい。違う人みたいな気もする。 親にいつか捨てられるかもしれないと思っていた。緊張していた。母親に怒られること。出自が不明確な社会的評価がある日失われるかもしれない。 どうして大人は怒っているんだ。どうやら僕はいつか死んでしまうらしい。… 緊張。緊張が故の嘔吐。僕の所在のなさ。結局、家にも漫画やゲームはなくて、学校も楽しかったが、自分がいるべき場所みたいなのはあまり感じられず、中高時代は楽しかったけれども、でもそれはなんだろう。 僕が皆に根本的に受け入れられていたというより、皆の優しさと受容する能力が高かっただけであるような気がする。大学は当然のように馴染んではいない。 馴染めないからか、すぐ不安になってふざけてしまう。でもこれは、細やかなコミュニケーションができないので、パワー・プレイで一発逆転を狙うということだ。 馬券で生計をたてようとしているのとまったく同じである。 各人の能力と特殊な環境によるところが大きい。こうやって自分が身に付けているものを一枚一枚剥がしていくと、醜い左右非対称な身体が現れてくる。 目元も右と左でなんか違う。耳や鼻は顔全体に対して大きすぎる。耳が前に向いていて、これじゃあまるで象さんじゃないかという漢字である。

何が書きたいか分からなくなってしまった。 何を書いたらいいだろう。自己紹介って難しい。あまりにも矛盾していて、論理的整合性が取れない。 因果関係を構築しようとすればするほど、気味の悪い文章になってしまう。事実を事実として列挙すればよいのだろうか。
生まれてみると、自分の持っている動物的側面は思っている以上に怒られ、逆にもう一方の、社会的側面は自分が思っている以上に褒められた。 僕はそのことに、とても混乱した。それは小さい頃の僕には、とても対処し切れる問題ではなかった。 僕は毎日、とても混乱していた。それを説明する言葉はまだなく、ただ混乱の中に身体を横たえ続けるしかなかった。 そしてやがて、その混乱に秩序を与えるべく、それぞれの要素の対話を絶って、各々を完全に独立させて、成長と問題の解決を行うようになった。 それぞれはバランスなんてものを全く考慮せず、思うがままに枝を伸ばし、根を伸ばした。なんだろう。 そして、(x-5)(x-8)=0みたいな人間になってしまった。 グラフのイメージはなく、ただこの式があるだけ、みたいな。
そういえば子どもの頃、僕は舟木家の面々にたいして、どうしてそんな風に思ったのかはわからないが、「能力は申し分ないのに社会的評価や公共奉仕性が低いな…」と思った。 おじいちゃんは、なんか気分で、願書の出願のときに、東大理系を東大文系に変更したらしい。普通に意味があんまり分からない。 でも普通に受かったらしい。それもあんまり意味わからない。働き始めて以降のおじいちゃんは富山の神童に相応しい人生を歩んだとは言い難い気がする。 僕が知る範囲では、60代に官能小説を数十冊ほど購入していたことくらいである。
結局何が言いたかったんだろう。でもまあ、僕は本当は人々を見下している鼻持ちならない嫌な人間である。 別に優しくもないし、上品でもない。喋るのが遅いだけである。人間としっかりコミュニケーションが取れないだけである。 その間違った選民意識と、実際的な自己評価のあいだで、絶えず危機の日々を過ごしている。あとに引けなくなってきてしまっているが、僕が求めているのは、平凡な幸せである。 いや、本当は社会的にもしっかり評価された、正真正銘のエリートなのかもしれない。感情が両外側にものすごい勢いで噴き出ていって、頭がおかしくなりそうである。 ただの躁鬱人間なのかもしれない。日記に無駄に時間を使い過ぎた。自己紹介文なんてあまり自分をさらけ出すものではない。 テキトウにすかして、ボケておこう。
2026.6.19(金)
雑誌の締切が近づいてくると、ベーコン状態、カリカリしてしまって良くない。 憤怒とそれの反省。でもさすがにイライラするなって言うのも無理があるだろう。 イラっとしたら、その次の瞬間にはこいつはもう次からは呼びかけないでおこう、と思ってしまうが、それはあまりにも排他的すぎるだろうか。 しかしこちらにも金銭的余裕があるわけでなく、作業的にもカツカツの中で、友好的でない態度に対しては、牙をむいていかないといけない。 それは頼みますよ、というライン以外は鷹揚に対応しているつもりである。共生は難しい。 でもとりあえず、まず一旦、そういうイラつく案件に対しては心からイラついていこうと思う。 内面化した他者によって、イラつく前にそれをなだめるのは良くないことのような気がする。 実名でこと詳細にこういうことを書き記したいという破壊衝動に駆られるが、普通に良くないので自重。 事務所にバイトに来ている無垢な学生の子などに喋ることにしよう。
いやあ…僕が我慢すべきところか…?いや。全くそんなことはないな。まあでも責め立てるのは可哀想か…? バイトの子に聞いてみよう。周さんにも聞いてみよう。
2026.6.20(土)
就活を超えた先には、やはりしっかりとその払った代償に見合う安寧があるのか?どうなんだろう。 熊坂くんみたいな感覚を持っている男が、なぜ就活で苦しむことになるのか、あまりよく分からない。 そんなの、社会がオレに合わせろ!で良いじゃないかみたいな、そういう気がする。違うかな。
ふと思っただけで、まあ別にどうでも良い。しばさきくんの部屋を見て、やはり部屋を綺麗にする大切さを痛切に感じる。 そして、かつて僕が暮らしていた家が、食器が、たとえそれが回復可能なものだとしても、見過ごし難い臭いと共に汚れているのは、何匹もの蠅がぷううんと飛び交っているのは、油の浮いた茶碗の中の水に、その中の一匹の蠅が溺れて死んでいるのを見るのは、何とも言えない悲しさがある。 炊飯器の保温が99Hと表示されていた。おそらく表示の限界まで、炊飯器は数えてくれたことだろう。 丸四日ほど炊飯器で保温されたお米は、どんな姿になってしまっているのだろう。僕はさすがに怖くて、その蓋を開けることは出来なかった。 山本くんの言う通り、機嫌が良くなる服を着る必要がある。
仕事のことで、もう少し振り返ったり反省したりした方が良い事がある気がするが、業務時間外のため割愛する。 やはり時間労働はあまり肌に合っていないかもしれない。勿論、残業代が出るのはとても嬉しい。 中尾くんは、状況判断、要件整理、などなどとてもしっかりしている。僕もああやって仕事ができたらばと強く思う。 でも、そのたびに、僕は最適化していない人間なのだから、その方向性で張っていくしかないということを思い出して、やるべきこととやれること、やりたいことの折衷点を思い出しながら、その時の最善を尽くすほかない。 僕が雇う側だとしても、絶対中尾くんの方を雇いたいが、でもそれはもう、僕で我慢してもらうしかない。
2026.6.21(日)
暑い。しかし冷房をつけたらつけたで、どうも上手く寝られない。 困っている。身体が湿度についていっていない。 毎日汗をかこうと思う。じゃないと時々かく汗が、とてつもなく臭いんじゃないかと不安になる。 インデザインによるレイアウトを習得した。これは楽しい。もっと色んなレイアウト、色んな雑誌がつくれる。 あとはZINEフェスに行った。大したことはなかった。もっと魂込めて売れよ!とか思ったけれども、別にそういう熱血販売会でもないのだろう。 やはり120頁くらいあって、ちょっと高くても、持って帰って読もうと思えるくらいが良いのではないか。 …暑い…。どうも寝苦しい。シーツも替えた方が良さそうだ。とりあえず、今日もやるべきことをひとつでも多く終わらせる。
2026.6.22(月)
昨日はやっぱり結構眠かったので、土日どこかで本当は銭湯に行って休息をするべきだったかもしれない。 明日、明後日と、期せずして飲み会2daysなので、そのどちらかで時間があったらば、飲み会あとのお風呂を目指そう。 それにしても、交際費というのはイタズラにお金がかかる。限定された人間関係の時は、全くお金を使わずに済むんだけど、色んな人と会ったり、共同体構成員同士で仲良くしたりすると、途端にお金がかかる。 これは…、最初だけなのだろうか。それとも共同体に属している限り、これは続くのだろうか。 ケチりたいとは全く思わないが、自分のために一冊数百円の本を買い、それを隙間の時間を見つけて、一週間かけて、頑張って読んでいることを思うと、その瞬間に数千円が弾け飛んでいく瞬間を見るのは、どこか悲しい。 難しい。
幼稚園から小学校にあがった生徒が、前まではとても恥ずかしがり屋さんで、全く僕に話してくれなかったけれども、最近は笑顔で色々教えてくれるようになった。 嬉しい。あとは…北岡くんに会ったり、村中くんに会ったり、竹本さんと小林くんに会い損なったり、そんな日曜日だった。 電話の切る速度についての緒論、とか書きたい。西浦さんが音速で電話を切っていて、そう思った。 第二号への妄想も膨らむ。創刊号にはさすがに飽きてきてしまった。あと二週間。ここからはとにかく妥協に妥協を重ねていって、拘らずに終わらせていく時期に入ってきている。 それが良いのか悪いのかは、ちと分からん。しょうまがカッコイイ家具をつくっているあいだ、僕はこんな、訳の分からない雑誌のために週末の全てを費やしているのかと思うと、こんなことをしていて本当に大丈夫なのだろうかと、とても心配になってしまう。 東浩紀の本は相変わらず面白い。加害と被害について、この本を起点に、もう少し掘り下げて考えられそうである。 これはマッチングアプリ特集にも繋げられるんじゃないだろうか。大量死と、大量生。固有の生と固有の死。悪の愚かさ。中動態的な悪。 雑誌が完成したら、次の週は、日本海側の錆びれた温泉宿に、ひとりでとぼとぼ行って、のんびりと東浩紀の著作を読みたい…。 休みたい…。
2026.6.23(火)
今日は自己紹介について書かないといけない。そしてそれを、インスタにあげないといけない。憂鬱である。 雑誌のスケーリングは間違っていないだろうか。売ろうという資本主義的闘争心に駆り立てられて、人間として間違いを犯していないだろうか。 バランスが難しい。でも、今の僕は、少しイライラしすぎているように思う。精神的闘争状態に陥ってしまっている。 何が正しいのかなんて、僕には分からない。本当はふたりとも、入稿前夜に合宿なんてしたくないのかもしれない。 どうなんだろう?
母親から連絡が来ると、とても陰鬱な気持ちになる。母には母の事情があるので、それは致し方ないことなのだが。 あと僕が、そろそろ年金を払わないといけない。芦田やトクちゃんのところに連絡がいっているようだ。 僕も追い込まれると、我を忘れて各所に鬼連絡してしまう。そういう部分は似ているのだろう。 僕が似ている人間を自然と警戒してしまうのは、僕たち親子の関係のような心地良くない間柄になってしまうかもという考えが、頭をよぎるからかもしれない。
とりあえず明日、年金手続きを行う必要がありそうだ。払ってもいいし、払わなくても良いんだけど、どうしようかな。 とにかく母親の影を感じずに暮らしていたい。夜は久しぶりに、不快な遅刻の夢を見た。
2026.6.24(水)
コーナンへのお使いの道で、周さんがあまりにも軽々と街灯のポールにジャンプタッチするから、僕も試しに飛んでみた。 けれども全く届かない。どうせいてだろう。納得できなくて、行きの道も、帰りの道も、何度もジャンプを繰り返す。最後の方にようやく、指先がポールを掠めた。 これが一昨日の話である。そして昨日。右膝が痛い…。右膝の、前側の内側が痛い。階段を降りるときに鈍い痛みが右下半身に走る。 突然の高負荷に膝が耐えられなかった。本当に若くはないんだということを痛感する。悲しい…。運動をしようと、思った。
2026.6.25(木)
高雄さんと飲んだ。前提条件が共有出来ている人間とのコミュニケーションは迅速だ。 逆にいうと、普段で合っている人達とはやはり、前提条件が微妙にずれているようだ。 高雄さんも僕も「なんやあいつ」みたいな位置取りで、村八分とは言わないけれども、大学などでは村七割五分くらいではあったような気がする。 決してハブられているわけではなく、むしろ仲良くして貰っているくらいなのだが、なんというか、共感の上に築かれた関係性ではなく、好奇心や優しさの上に築かれた関係性であったような気がする。 毎日、転校初日の転校生みたいな。例えすぎかもしれない。
何が僕たちをマイノリティにしているのだろう。 基本的には、僕たちみたいな人間がマジョリティになるような環境選択をするべきだ、ということに尽きるだろう。 僕は果たして、中高時代はどうだっただろうか。忘れてしまった。しかし今ほど、マイノリティである感覚を抱いてはいなかった気がする。 これが男子のみに起因するのか、偏差値帯に起因するのか、十代という時期の問題に起因するのか、それは不明である。 うーん。 アトリエという特殊環境に入っても普通でいられないということは、別に環境選択によってどうこうなるという問題ではない気がしてくる。 こういう過程を経て、人間は独立(個人設計事務所開設)に至るのだろうか。
しかし、芦田の話などによると、僕はこの部分に気を割く必要はない、とのことだった。 なので最近は、一般の方々にどう思われるかというトリガーをなるべく破壊して生活するように心掛けている。 仕事中であろうと眠くなった瞬間に地面で寝、便意を感じた瞬間にトイレへと走り、トイレの帰り道で一曲歌い、仕事中も集中をしたいときは、芦田顔負けの貧乏揺すりをかましている。 もしかすると、周さんや中尾くんは非常に不快な気持ちを抱いているかもしれない。 しかしこれはもうしょうがない。僕の人生は限られている。 でも、できることなら、一人でも多くの人と仲良くなれて、そのうえ、分かり合えたらば嬉しい。 今日も限定された人生を生き切る。家族的類似性について書くの忘れてた。 デブ、バカ、運動神経が良い、まともな人間。これらにあまり親近感が湧かない。 僕の家族には、そういう人は生まれないから。一行でまとめるとこうなる。 たしかに、なんとなくだけど、僕や、僕の家族の認知初期条件として、そういうのがある気がする。 僕が、僕の家族が親しみを覚える人間は大まかに「細長いシルエット」「頭がいいと感じられる(主観的指標)」「運動が苦手(おばあちゃんだけ運動神経が良い)」「イカレ人間(全員変)」。 これらの諸条件を概ね満たしていると思う。多分、背が低いとかもあまり共感が無い気がする。みんな平均以上のサイズだ。 おそらくこれは、どこの家族にでもあるのではないか…?分からないけど。親がふたりいたら、もう少しサンプルが散らばって、イイ感じに偏見が取れていくのだろうか。 分からない。しかし無意識の底にはこういう感情があると思われる。勉強ができないことに対する厳しさ、理解のなさとかを思い出すに。 でも、その「家族」という曖昧定義な輪郭によって、僕たちの共同体感というのは培われているみたいだ。 「平和と愚かさ」を読み終えて、東浩紀の「訂正可能性の哲学」を読みはじめた。
2026.6.26(金)
眠い。仕事しすぎた。ミス。昨日はどうもなんか、悲しさに繋がる思考回路ばかりが活発に連動してしまって、楽しい気分の一日ではなかった。 雨のせいだろうか。人間と喋ろうという気持ちに上手くなれなかった。久しぶりに大家さんに会った。土曜日か日曜日、大家さんに何かお返しするチャンスである。明日、何か買おう。 北岡くんからやばいぞお前ら、という催促が来る。これはまずい。いや、終わるとは思うのだが、ぎりぎりの進捗であるのは間違いない。 今週はあまり進んでいない。進んでいる実感が持てない作業が多かっただけかもしれない。 仕事の方も、今週はなんかあんまり進んでいる感じがしない。そんなことはないと思うが…感覚としては進んでいない。
進んでいない、というよりは、スケジュール帳のタスクを上手く塗り潰せていない。 要するに見通しが立っておらず、想定外の作業や進捗が多かったため、「進んでいる」という実感が持てなかったというところに今週の欲求不満はありそうだ。 今日は打ち合わせをして、バイトに来てくれる人につくってもらう模型用の図面を用意して、それが終わったら、一度検討資料につくった模型をまとめて、それで空いた時間に図面修正して…みたいな感じだろうか。 そのように予想している。はやくもっとイラレではなくて、CADをつかった方がいいのかなという気がしている。 イラレでの図作業が多い。これが問題なのかもしれない。どうなんだろう。何とも言えないラインだが、でも少なくとも某PJの図面作業はCADに移行した方が良いだろう。 今日はどんな気分だろう。昼寝はしっかりした方が良さそうである。上手く人間と喋れる日であることを祈る。
周さんは、どうでもいいけど、細かい。僕が電子レンジの上で干している豆腐パックを必ず見逃さない。 この問題は一見すると、几帳面な周さんと、乱雑な僕という図に見える。まあ現実世界では概ねそうなっているのだが、本当にそうだろうか。 僕は、そんなことはない気がする。そんなことはないという信念のもとに豆腐パックを放置している。 僕はプラスチックは分別した方が良いと思っている。ので、会社に黄色い神戸市のビニール専用のごみ袋を持っていき、そこに集めて入れている。 僕は地球をなるだけ綺麗にしようと思っている。周さんは電子レンジの上を綺麗にしようと思っている。スケールの違いである。 僕の方がスケールが大きいから優れている、とは思わない(あるいは思ってはいけないものと教育されている)が、しかし相手の物事を捉えるスケールついて推し量り、思いを馳せることは重要なのではないか。 周さんが僕の考えについて推し量る必要性は欠片もない。それならばハンガリーについて考えた方がいい。 でもまあ、僕個人のプリンシパルとしては、原寸スケール(1/1秒)のみで物事を考える人間よりは、それと異なるスケール(たとえば1秒/100年)の方が興味深く、可能性に開かれており、長い生命を持っていると思う。 まあでも、こういうのは思えばどの時代においても友人たちに受け入れられた記憶がないので、まあそういうもんなのかもしれない。周さんも指摘一つでこんなに言われてしまって、普通に可哀想である。
この前読んだ、カーンの「直接的なものよりも、離れているものへの連想は、より長くて深い、愛と生命を持つ(意訳)」という言葉に、僕はとても感銘を受けた。 上手くいかぬことも多いが、この言葉目掛けて、いや、正確には縋りついて、なんとか一日一日を過ごしていきたい。 いや、しかし、普通に目の前の電子レンジを綺麗に使えないように、目の前の人間を愛せず、だから遥か未来の子孫に対して思いをはせることしかできないのかもしれない。 これは結構、大きな問題である気がしている。しかしでも、相談できる人がひとりも思いつかない。トクさんには、聞いてみても良いかもしれない。
2026.6.27(土)
決戦の土曜日。あと一週間。入稿したら、SM風俗行きたい。ダイウィズゼロ。本当にそんな内容の本なのだろうか。 建築も見に行きたい。建築を見に行きたいという欲求が、久しぶりに自然と湧き上がってきている。一年くらい、この泉は枯れてしまっていた。 泉によって生きる方向性を決めているが、本当にそれで良いのだろうか?この問題はまたのちのち、考えよう。 とりあえずマジでオワラセナイトヤバイ段階まで来てしまっている。創刊号は何部売りたいか。スケーリングはこちらで線を引いておく必要があると思う。 でないと無限のスケールの世界に足を踏み入れ、そして帰って来れなくなってしまいそうである。(そんな人気者になるとも思えないが) 天文学的な数字に設定しておいて、俗世の悩みなどないようにしてしまってもいいかもしれない。例えば一万冊、とか。 三人の誕生日から、47+2×18+68=151冊、とかどうだろう。でもまずは150冊、ダンパー数かなと思う。まあもうちょっと頑張って200でもいい気もするが。 明日これは聞いてみよう。
2026.6.28(日)
昨日は炭田に会って、楽しい週末になった。新世界で串カツを食べて、北へ向かってぶらぶらする。 夜風が気持ち良い。炭田が突然メイド喫茶へ入ろうと言い出したので、メイド喫茶へ。 メイドのお仕事は、大変そうであった。与える人に僕もなりたい。 串カツ屋に僕が遅れて到着し、久しぶりに炭田と会った瞬間、僕ははじめて炭田を「女の子だ!!」と思った気がする。 最初の30分くらいは、なんかだからいつもと違う人に会っている気がして、はじめて会った女の子と食事をしているみたいに、緊張してしまった。 いやわっざわざこんなことは書き記さなくていいのだが…。小学校から知っていて、そんなふうに思ったことがなかったから、なんだろう、自分でもびっくりした。 しかし昔はもう少し尖り散らかしていた炭田も、大人になってきている感じがする。 僕だけが変わらずに同じところをグルグルしているんじゃないかと、焦りを覚える。僕は尖りみたいな個人的なものはちゃんと一回横において、人生を進めるようにした方がいいのではないか。?? しかし、人生の基本は浪費であり、気が済むまで貪り尽くして未練を絶っていく必要もある。 どちらも真なりなので、うまく同時並行していく必要があるのだろうか。もっと日常諸作業の回転速度をあげていかないと。 しかし昨日、メイド喫茶という体験をしたのは良かった。ナイストライ!である。(?) これで死ぬとき、「メイド喫茶行っておけばよかった…」という後悔に苛まれずに済む。矢野さんもなんだか楽しそうだし、それは僕も嬉しい。 あ!雑誌の進捗問題を忘れていた。まじでなんとかしないと。今日は僕と丁子くんの対談ページのレイアウトをやり直す。そして一通り入稿する。
2026.6.29(月)
最近、必要以上にモテすぎている気がする。良くない。 元あった、そのままでよかった秩序が少し乱れている感じがする。 うぬぼれでは…ないと思う。うぬぼれでしたハハハハ!であれば、それに越したことはないのだが。 僕は、僕にある、そういう力みたいなのを制御することはできない。 これがまだ、これくらいの範囲内であればいいが、これがもっと、数十人、数百人と増えていったしまったら、それはもう、僕という小さな存在を呑み込んでいって、もう帰って来れなくなってしまうんではないかと、そういう気がする。 人から好かれるのは難しい。もっとお尻を出したり、鼻くそをほじったりして、評価を下げた方がいいかもしれない。
2026.6.30(火)
あれ?六月が終わる。なんということだろう。 今日はおじいちゃんの誕生日である。生きていたら91歳だ。 じいちゃんはマジでイイヤツだった。インテリ特有の臭みみたいなのがなかった。出会ったとき、既に年寄りだったからだろうか? そのうち、お墓参りくらいしてもいいかもしれない。 昨日は「GO」を見た。窪塚洋介はかっこよかった。全力疾走しなければと思った。 僕はここから、窪塚洋介みたいな感じを目指して生きてこうと思う。10年くらい、かかっちゃうだろうが、確実に近づいてはいけるのではないか。 格好良かった。
いよいよ、この週末に雑誌を入稿である。今日中に、パースと図面をいったんあげて、ふたりに添景入れをお願いしなければ。 明日打ち合わせがあるが、これは正直、さらに追加で作らないといけない資料はなさそうな気がする。 一旦これでOKそうだし、明日くらいからはなんやかんやで他の仕事も動かす必要がありそうだし、今日が一番の休み時なのではないか。 18時退勤。そこから雑誌。これでいこう。本当になんとしてもおわらせなければ。そしてもう少し寝る。こんな脳みそではダメだ。 窪塚洋介のカッコヨサが出ない。雑誌。雑誌!!!音楽とか映画とかもつくってみたい。「GO」の巨大なフィルムの塊を見て、そう思った。 ビルつくりはしばらくいいや。まだ気になるところは沢山あるが、一旦おやすみ。寝かそう。次の雑誌へは…違う設計物を何か持っていきたい。 違う。小説だ。小説を書きたいんだった。寝むすぎる。とりあえず断面図を直して送ろう。