2026 5

2026.5.1(金)
前川はもうダメかもしれない…。眼が打てなさそうだと思う。 どうしよう。前川貯金。でも信じたい。でもまったくチームを背負う選手になっていく気がしない。 なんか負けている。そういうのってあるよね。絶対に僕もひとのこと、いえないけど。 風邪で何もできない時にできることと言えば、しんちゃんを読むことと、阪神戦を見ることと、バキ童チャンネルを見ることくらいである。 それらにでてくる人間たちを見比べながら、どういう人間に僕はなっていきたいのか考える。 僕はきっと風間くんみたいな人間だったし、今も風間くん的な一面が今もある。 良い面もあるんだろうが、僕はそれを打ち壊して、しんちゃんみたいな人間になっていきたいとずっと思っている。 でも改めて読むと、まだまだ風間くん8、しんちゃん2くらいな気がする。油断をしたり、余裕がなくなると、どうしても風間くん的なひ弱エリートみたいになってしまう。 それではダメで、もっと矢面に立ち、どんどん打ちのめされて、面の皮を厚くしていかないといけない。 へっちゃらヘラヘラな人間になっていかないといけない。そうやって、しんちゃんだったり、福島みたいな人間になっていかないといけない。 福島っていうのは、近本の後釜として出てきた足の速いセンターなんだけど、良い眼をしている気がする。 前川は少し押された眼をしているのに対して、福島はよくわかんないけど、なんかやってくれそうな眼をしている気がする。 根拠はないが、なんか動物として負けそうな気がしない。みたいな。 僕もそういう生き物を目指していかないと…。舐められてはいけない。 それよりも早く風邪を治そう。家にいるのはもう退屈だ。明日から家を出る。 出ているうちに、体調も良くなってくるのではないか。 五月はもっと舐められないことを意識して、常に本番ということを意識して、殺気を出す練習をしていこう。 阪神は負けちゃったが、村上と若手以外はイイ感じである。運不運もあるので、今の感じでいいだろう。 前川はもう少し頑張らないといけない。村上は…どうしたら良いんだろう。分からない。でも、村上、才木がしっかりしてくれたらなんとかなりそうだが、そうでなかったら連覇は絶対に無理だ。 頑張ってくれ…。佐藤はこれは来年確実にメジャーに行ってしまうだろう。そうしたらどういう打順を組めばいいんだろう。 近本中野、森下大山立石…?かな…?左左、右右右。並びが良くない気がする。まあいいや。 しんちゃんをもう一巻読んだら寝よう。明日は体力が持つだろうか。心配だ。夜、寝ているあいだ、また喉が死ぬほど痛くなりそうな気がしてならない。やはり、身体をそれなりに鍛える必要がありそうだ。 このままだと死んでしまう。不健康では設計はカロリーが高すぎてできない。悲しい。明日には身体が軽くなっているといい。 しかし鼻水の感じを見ると、もう少しかかりそうだ。明日も運動しなければいけない瞬間以外は、極力ゆっくりしよう。 関西で暮らして、阪神戦を見ていると、不思議と春から秋の夜は元気だ。 関西にはそういうおじさん、おばさんは、多いのではないか。 この前銭湯に行った時も、番頭さんと常連さんが、ずっと才木のフォークについて話していた。 僕も大差のない人間である。人の応援なんてしている場合ではないのだが、いいのだ。阪神を応戦するのは楽しい。 福留糸井鳥谷、能見メッセの時代が終わってみんないなくなってしまっても、こんなに楽しいんだから、きっとずっと楽しいに違いない。 阪神の選手の皆も、今日は早く寝て、また明日頑張ってください。 僕もちょっとずつ頑張ろう。いや、しんちゃん的にはゴロゴロしよ~、かもしれない。
2026.5.2(土)
北岡くんと建築ZINEの偵察とKYOTO GRAPHIEへ行く。 十時に北大路の駅に集合だったので、少し早めに行って、鴨川沿いでゴロゴロと日向ぼっこでもしようと思い立つ。 八時半ころに北大路につく。駅のトイレで沢山うんちをして、一時間ほど、川の土手で寝転がりながら、本を読んだり、昼寝をしたりする。 眼を閉じると、水が流れ落ちる音、ランナーが横切る靴音、遠くの車の音が聴こえてくる。 北大路のあたりは街も閑散としていて、淘汰されるべき店が21世紀の今日まで生き永らえている。 ここでゴロゴロ、毎日三時間くらい、本でも読んで暮らしたいな、と思う。 もう少し願いが叶うなら、人間ではなくて蝶々か鳥になって、橋がないところでも向こう岸に渡れるようになりたいな、と思う。 海からは遠いが、水辺に住むというのはなんとなく、気の流れや淀みという観点からの大事だな、と思いながらゴロゴロしていた。
やがて北岡くんも15分ほど遅れてやってくる。歩き始めると頭が鉛玉みたいに重く感じ、やはりまだ体調が悪いんだなと思いながら、街を歩く。 建築ZINEがたくさん並んでいる場所に行く。 朦朧とする意識の中でパラパラとそれらを見ていく。 まず全部明朝体のやつは読めない。どこにも視線が引っ掛からずに裏表紙までいってしまう。 僕は面倒くさがりなので、見出しだけまず読み、その続きも目を通すか決める。情報の強弱は大事なんだな、と思った。 実際に廃屋を改修した活動記録のような本もある。そういうのを読むと、架空の敷地で、架空の建物を設計しているのはダメなんじゃないかという気持になる。 しかしでも、人間の顔がひとつとして同じものがないように、人間の意識というのもひとつとして同じものがないんだなと、しみじみ思う。 知らない人間たちが、各々考えたことを本にまとめたのが並んでいるZINEフェスのようなものに行くと、よりそういうことを感じる。 例えば僕たちの雑誌が、ここに一山並んでいたとして、果たしてそれを誰が買うんだろう…? ZINEフェスという、似たり寄ったりが溢れている場所で売るのはとても難しそうだな、と感じた。
次。バスに揺られて京セラ博物館へ。バスではradioheadと漱石の話をする。 近現代の都市、資本主義社会に生きる人間たちの孤独について。自由について。 結局、生きる上で不可避なこの問題に皆直面し、資本主義と、個人主義による孤独からの逃避を目指して、同人活動みたいなところに身を投じていくのではないだろうか。 しかしでも、そこから抜け出す術など本当はなく、結局ずうっとこのグルグルを繰り返していくしかない、みたいな…。 上手くまとめられていない。しかし、しっかり秩序立てて思い悩んでいけば、現代人はこの問題に必ず直面し、それによって鬱症状を抱え込むしかないように思える。 鬱病になっていないのは、勝者か、近現代都市の住人ではないか、考えていない人間か、概ねだいたいそのみっつに分類できるだろう。 この分類は、上手くいっていない気がする。解像度が低い。 漱石がロンドン留学中に「狂せり」と言われるほどの神経衰弱に陥ってしまった。 それと同様に現代人が鬱鬱しい気分になっていくのは当然のように思われる。 「則天去私」と晩年の漱石は言っていたけれども、結局は西洋近代思想に出口は見つけられずに東洋思想に転回した、ということなのだろうか。 私を滅する。うーん。中々そこへ届きそうにない。愛する、ってことなのだろうか? 結局まだ誰も愛せていないから、自分が一番上に浮かんできてしまうんだろうか。 しかし、このあたりの問題について、僕はしばらくのあいだ、取り組む必要がありそうだ。糸口はどこにあるのだろう…? 資本主義とは何か、個人主義とはなにか。共同体とは何か。愛とはなにか、自由とはなにか。生きるとは何か、死ぬとはなにか。 皆がどう結論付けているかは、どこの政党に投票したのかくらいベールに包まれているが、やはり何かしらを投票用紙に書き込んで、みんな人生を進めているんだろうか。 それとももっと、プラクティカルな問題に集中して生きているんだろうか。 分からなすぎる。マジで分からん。いやマジでそういうことを考えてるから頭がおかしいのか?それとも考え方に問題があるのか?それともとも結論に問題があるのか? 本当に分からない。
分からないから次に行く。森山大道とかの写真をみて、うどん屋でうどんを食って、鴨川で少し寝転がって休憩をして、広島へ帰る北岡くんと別れる。 河原町まで歩いて、電車に乗る。たまたま同じ車両によっちゃんが乗っていた。 青っ洟を思い切りかんでいたら、よっちゃんが視界の中にいて、何事が起きたのか一瞬分からなくなる。 どうやらよっちゃんとお母さんとイトコで、河原町から同じ車両に乗っていたらしい。すごい偶然である。 奥の方に座っているよっちゃんのお母さんと目が合ったので会釈。むこうは怪訝そうな顔をしている。 確かに不審者だ。もう少し社会的な恰好をしておけばよかった…と反省。まあしょうがない。朝は体調がもっと良くなかったんだ。
「1Q84」を読みながら六甲へと戻る。家に帰ると、疲労のために布団へ倒れ込む。 しばらくしてなんとか起き上がり、シャワーを浴びて、飯を食って、クレしんを二巻ほど読んで、寝た。 シャワー上がりに調子に乗って、カルーアミルクを一杯飲んだら、どうしようもないくらいに酔っぱらってしまった。 元々お酒に強かったわけではないが、カルーア一杯で酔っぱらうは想定外すぎる。外でこうなってしまったら大変だというくらいの酔いのまわり方である。 少なくとも若い女の子が外でこんなに酔っぱらったら危ないレベルである。 脳のロレツが回らない。アルコール摂取はもう卒業した方がいいかもしれない。 悲しい。自分の身体に、確実に何か変化が起き始めているのを感じる。 青豆は「肉体こそが人間の神殿である」と言っていた。 神殿に変化に合わせ、自分の生活を見直す必要が、眼前に迫っている。 ひとまず酒を控えて、なるべく早く寝て、漱石と村上春樹を読み進めるくらいが、ひとまず僕にできることのようである。 相変わらずの体調不良の中から考えると、大変困難な道のりになってしまっているように感じる。
2026.5.3(日)
クレヨンしんちゃんを読んでいると、半分くらいのお話は筋書きを既存の有名なお話からパクっているという発見がある。 昔話とか時代劇とか、スターウォーズとかルパンとか、そういうもののパロディまみれだ。そうやってお話をつくっている。 ということを学んだ。うすいよしとが、ジョージルーカスに使用料を払っているとは考えられない。 多分、ダース・ベイダーをアカン・ベイダーくらいに替えて置けば耐えるのだろう。そこら辺はよく分からんが。
しかし体調が悪すぎて、設計が進んでいないのは大問題だ。どうしよう。 今日もなんやかんやでできそうにない。現在の体調不良は鼻詰まりによる倦怠感だと予想されるが、昨日の夜の時点で鼻水は透明に戻りつつあった。 結構しっかり寝たし、どうして今もそんなに調子が良くないのか分からない。
元町のコメダを出て、河原家へ持参するお土産探しに商店街を彷徨う。 一番威勢のいい菓子屋に入り、その中で一番威勢のいい特大の瓦せんべいを買う(顔よりも大きい)。 これはきっと面白くて盛り上がるに違いない…。みんなの驚く顔を思い浮かべるとニヤニヤしてしまう。 その好調子のままに横のリュック屋に入り、気づいたら店員さんと気前よく話してしまい、気づいたら一番お洒落な4.5万円のリュックを買おうとしていた。 それはフランスのメーカーのもので、パラシュートの布で出来ている、完全防水のリュックだった。 無駄な要素は削がれ、背負っているときのパラシュートみたいなシルエットのリュック。ベージュホワイトの布地に、刺色のオレンジが効いている。 完全に予算オーバーであり、僕の月収に対するリュック購入の比率が高すぎる気がしてしょうがないのだが、でも、買いたくなってしまった。 そしてきっと、これをお洒落リュックはない。リュックは毎日背負うものだと思うと、服よりもお洒落にしても良いんじゃないかとも思う。 (そう考えると、靴もそれくらい丁寧に選ぶべきである。)あらゆる購入の言い訳を考えるが、まあ結局普通に、このリュックが欲しいのだ。 今のリュックは、ボタンが外れ、底面の布が破れ、あちこちが薄汚れている。あまり上品な佇まいにはなっていない(リュックのせいではなく僕のせい)。 頭の中で「リトル・きんに君」がパフォーマンスを始める。「どっちなんだい!!!!」BGMスタート。 「買いまーす!!!!(飛び散る飴玉ヤー!)」
買う。買った。こうやってすぐ買ってしまうカモである。会計をしてくれる女性の店員さんに「あなたはとても独特な日本語を話すわね」と褒められる。 初絡みの人に五人連続くらいで言われたので「いつも言われます!」とふざけた返事をしてしまう。 でも最近、よく言われる気がする。そんなに変な日本語だろうか。僕は既存の日本語しか使っていない。まあでも光栄なことである。 もしかしたら皮肉かもしれない。お前まじ頭おかしいよ、って。それは分からない。 帰り道に本屋に寄り、ルイスカーンの本と、江藤淳の「決定版 夏目漱石」を購入。勢いよく五万円以上を一日で消費する。き、キモチイイ…。。。
気持よかった。浪費は気持ちいいんだと気づく。空には厚い雲が敷き詰められていて、ポツポツリと雨が落ちてきている。 でも気分が良い。体調は悪い。家へ戻って、体力回復に努める。雨がひどくなってくる。横になって阪神戦を見る。 雨天コールド勝ちを見届けて、寝落ちする。
六時過ぎにタイヨウくんとパパが僕の家の前までお迎えに来てくれる。 家にお邪魔するのに、お迎えに来てもらうなんて、おじゃる丸すぎないだろうか…と少し心配になるが、とてもありがたいのでお言葉に甘える。 車だと河原家までは五分くらいで到着してしまう。玄関で一応、お邪魔しま~す!と述べ、靴を揃えて階段をあがる。頭上からミイちゃんがよ!みたいに突然声掛けられてビビる。 リビングへの扉をゆっくりと両手で開ける。美味しそうな品々の良い匂いと、歓迎ムードが部屋に充満している。 キッチンでは麻ちゃんとみいちゃんが美味しそうな何かを盛り付けている。 「おかえり~!」みたいな感じ。幸せ過ぎる…。リビングの真ん中へ立って、荷物を置き、三回深呼吸する。幸せを肺胞のひとつひとつに行き届かせる。 二人は僕の奇行を見て笑っている。食卓にはスペアリブ、刺身、サラダ×2、茶碗蒸し、白米、餃子、更には鰻が食卓を埋め尽くしている。 実家に招待されたとき、品数の多さに圧倒されてしまって混乱し、急いで食べて何がなんだか分からなくなってしまうことがある。 この前の丁子家の時は失敗してしまった。今回はゆっくりと、全てを少しずつ食べる。そして何周もする。鰻に気を取られ過ぎない。 食べる瞬間と喋る瞬間を混ぜない。混ぜると、空気を吸い込み過ぎてげっぷ人間になってしまう。そういうのに気をつけながら、ゆっくりと沢山食べる。 僕も少し大人になった。相変わらずみんなは凄い早口で喋り、そしてあんまり話をちゃんと聞かない。僕は毎回、誕生日と天然パーマかどうかについて尋ねられる。 もう15回目くらいである。僕は結構、そんなに同じ質問をしないタイプの人間なので、どうしてそんな何回も忘れるのか、不思議である。 毎回忘れて、毎回聞いてくる。面白い。
大量のご飯を五人で食べ終え、流れるようにまだ片付けられていない炬燵へ移動し(しかしタイヨウくんとパパは半袖半ズボンだ)、間髪入れずにデザートとお菓子タイムに突入する。 お腹いっぱいじゃないの…?本当に愉快で不思議な家である。別腹らしい。みんなで瓦せんべいを食べ、イチゴを食べ、カールを食べ、チロルチョコを食べ、そして相変わらず、同時に四人喋り続けている。 みんなご機嫌に生きるのが本当に上手で、みんな自然に仲良しである。ご機嫌に仲良しであるために大事なことというのを、僕はこの家族から学んだ。 とにかく思ったことは全部喋る。それをしっかり聞く必要はない。でも構わず喋り切る。飽きたらケータイ触って、関係ないことをしている。 別に一回聞いたことを覚えて置く必要はない。むしろ忘れて良い。しかし毎回聞く。その姿勢が必要なのだ。 これが、人間として最初の曲がり角を間違えない上で大事なことなんだなと、思う。 僕は最後の曲がり角を間違えないことに必死で、ときどき最初の曲がり角を間違えてしまったりする。 最後の曲がり角っていうのは、例えば、箸の持ち方とか頭が良いとか、お土産を買うとか敬語を使えるとか、そういった形式的な礼儀全般を指す。 そういうのも大事ではある。でも、あんまりそっちに気を取られると、時々根っこを間違えてしまう。 人の話なんてそれっぽく聞いておけばいいのだ。効いて疲れちゃって、間違っちゃうくらいなら。 適当で良いから、ご機嫌に友愛を持って人間に接し続けられる方が上等である。と思う。 河原家に行くと、この家族の関係性と居心地の良さに本当に感動する。 家に帰ると、感動のあまり泣いてしまう。毎回帰りたくなくなってしまう。僕が世界に見つけられた、二つ目の安息の地である(一つ目は北岡くんの家)。 自分の輪郭みたいなのが溶け出していくのを感じる。サウナ終わりのサウナベッドでしか感じられたことがないものだ。 毎日この家に帰ってきたいくらいである。そのパターンの人生だったらどうなるんだろう…?と思う。本とか一冊も読まなかったかもしれない。
そんなこんなでまたもや身に余る歓待を受け、雨だからとまた、車で家まで送ってもらった。紙袋いっぱいの食料を渡してくれた。 バイバーイと言って、三人が乗る車はおうちへ帰っていく(パパはお風呂、四人乗りの車だから)。 また一ヶ月くらい、これで頑張れるなぁと思った。頑張ろう。次は…六月くらいになったら、また聞いてみちゃってもいいだろうか。行きたい…。 僕にとっての、スーパーハイパースパランドである。いつまで、こんな関係が続けられるかは分からない。でも、いつまでも僕は河原家にお邪魔して、こんな夜を過ごしたい。 そしてゆくゆくは、河原家が降り注いでくれた無償の好意を、僕も色んな人間に降り注げるようになりたい。河原家にも恩返しをしたい。 本当に、本当にありがとうございます。…
そうして、こうやって人の家で安らげば安らぐほど、僕が帰るべき、しかし安らぎを感じられたことがない、実家と、母の姿が脳裏に浮かぶ。 飛ぶとき、机の上には、僕が帰ったら食べれるようにと、おかずとサラダが、食卓の上に置かれていた。 赤いプチトマトが、食卓の光を受けて光っていた。僕はそれに手をつけずに、家を去ってしまった。 それ以来、家には帰っていない。本当は帰らなければならない。でも僕に、用意してくれていたプチトマトを食べずに家を出た僕に、家にのこのこ帰る資格なんてあるのだろうか…と思う。 ないんじゃないか。これは、どうしたら良いんだろう。二時間くらい布団の中で、プチトマトを思い浮かべていた。
2026.5.4(月)
おっちょと会う。おっちょと会って喋ると、日記なんて書かなくていいのではという気分になる。 おっちょとかトクちゃんが聞いてくれなくなったから、日記を書いているのではという気がする。 相変わらずどうも調子が出てこない。おっちょの左手の奥の方の指には指輪が光っている。 シンプルな服装の中で、指輪だけが、指輪ですよといった感じで存在を誇示している。 光っている。光らない指輪ってあるのだろうか。結婚指輪。どういうのがいいだろう。なんでもいい。脱線した。 不調と疲労から中々回復できない。「1Q84」はかなり面白い。色んな人がオススメするだけはある。 出かける度に電車の行き帰りで読み、結構読み進んでいるんだけど、それでもまだ上巻が100頁ほど残っている。 いつになったら読み終われるのだろう。道のりは長い。 クレヨンしんちゃんも順調に毎日一巻ずつ読み進んでいる。 道で、芝﨑くんみたいな変なシルエットの人間の後ろ姿が見える。さすがに芝﨑くんみたいなシルエットの人間がふたりいるとは思えない。 これは芝崎くんに違いないと思い追いかけ追い抜かし、顔を覗き込むとやはり芝﨑くんだった。そうだよね。 芝﨑くんと併走しながら道を下っていく。明日の卒計展にはミノウラさんが顔を出すという。 気色の悪いオカマ男である。ミノウラさんは絶対に下の毛を剃っている。オマタにおちんちんを挟んでいる。 挟みながら卒計展に来ている。いい歳して、いつまで卒計展なんかに来ているんだ。カジノにでも行った方が良い。 いつまで後輩を囲い込んで生きていくんだろう。リクルートスーツをお前が着るんだ。その青いちょっとだけ柄が入っているスーツを脱げ。 許さない。いや、何にこんな怒っていたんだろう。気づいたら怒ってしまった。間違えた。 そういえばニノさんは元気だろうか。元気に長いものに巻かれているだろうか。ニノさんは道を外したものに決して連絡をしない。 自分の人生に益をもたらす可能性が低いものに対して、その存在を徹底的に無視する。親が見たら泣いちゃうぞ。ニノさん。 末っ子なんだから、もっと可愛く立ち回りなさい。まあ良いんだけどさ。僕もいつか立派になって、ニノさんから僕に、連絡をさせてやりたい。 そんな日がいつか訪れると思うと、とても楽しみである。まあなんでもいいや。これもクソどうでもいい。大林は終わっている会社である。 言い過ぎかもしれない。とにかくミノウラ軍団は全員、絶対に足が臭い。パンツの中みたいな臭いがする。 芝﨑くんも大林に入ったら、そうやって足がパンツの中みたいに臭くなるのである。宇野くんもだ。全員臭くなる。 まあさすがにこれくらいにしておこう。鯉のぼる季節にする話ではなかった。落ち着きを取り戻そう。
ところで僕はいったい、どういった人間になっていきたいんだろう。僕は一生懸命、滑稽に生きている人間が好きである。 想定範囲内でスマートに生きている人間は嫌いである。やはり僕の胸を打つのは、カーンであり、ASKAであり、野原しんのすけである。 頭の良い人間が好きだ。頭の良い人間とは、誰も見つけていない因果関係を発見する人間のことを指す。僕の場合は。 そういう人の話は面白い。概ね長すぎるが、聞くに値するし、聞き終わったあとも、余韻がある。 根が実直な人間が好きだ。これは普通に良いやつは、ただただ良い。とにかく良い。 これはシンプルに。頭の良い人間は少ない。新しい因果関係を発見するよりは、イイヤツの方がなれる確率は高い。 良いやつになろうと思う。悲劇的に喜劇的な人間になっていきたいと思う。頭ももっとよくなりたい。 僕も色んな因果関係を日々生成しているつもりだが、あまりにもそれが役立たないので、実質、頭が良くないのと同じである。 まずい。調子に乗った僅かなカルーアミルクの酔いが回ってきてしまった。 ここまでだ。寝る。明日はゆっくり。しようゴロゴロと。洗濯だけして、卒計展は明後日にでも行こう。 冷蔵庫が恵んでもらった食べ物でいっぱいだ。僕ももっと与えられる人間になりたい。元気になりたい。 それはさすがに無理か。良い文章を沢山書いて、面白いことを沢山しゃべって、美しい建築をつくるんだ。そういう人間になる。
2026.5.5(火)
変わらず体調が改善され切っていない。目覚めると部屋は六時半とは思えないくらいに明るかった。 電気を消し忘れていたからだ。昨日の眠りにつく瞬間を思い出そうとしながら、電気を消す。何も思い出せない。 電気を消しても、なお部屋は明るかった。今日は良く晴れた一日のようである。
北岡くんはいつから雪山に登るのだろう。もし万が一があれば、臼井義人みたいに北岡くんも山で、命を落とすかもしれない。 それはとても悲しいことである。取り返しがつかないことである。もしそうなってしまったら、僕はかなり途方に暮れざるを得ない。 無事であって欲しい。でも都会で死ぬのではなく、雪山で死ぬというのは、北岡くんにとっては喜ばしい事のようにも思える。 北岡くんが死んだら、僕は北岡くんくらいまで髪を伸ばそうと思う。そうしたらば、忘れないでいれるんじゃないだろうか。 でもまあ死なないで欲しい。しかしでも、それは僕の都合であって、北岡くんが望むならば、僕はそれを止められはしないなぁと思っている。
いつも通りの、特筆すべきポイントのない一日を過ごす。 まず一時間ほど日記を書く。昨日書いたのは、5/3の日記である。書き終わると少し休憩して、次はビルの設計に取り掛かる。 あらゆる場所がうまくいっていないし、丁子くんの全く表情というのが無い表情、要するに不満な気持ちである丁子くんの顔が浮かぶ。 僕もこれを是とするわけにはいかない。昨日の大きな争点は、WCエリアに入れるスリット窓についてと、一階エントランスをどの場所にするか。この二つである。 どちらもあらゆる手を尽くして検討をした。結果、WC部分を正直に伝えるスリット窓は、ひとつの窪みに三つの窓が入るようにする。 トイレから外を見る眺望窓、トイレの換気窓、トイレ横の室の換気窓。この三つである。こんな文字の説明で伝わるとは思えない、許して欲しい。 フィッシャー邸のスリーピング・キューブを、道路側から見た時のアングルを思い浮かべて欲しい。 45度傾いているスリーピング・キューブの一番手前の角の両脇に深い窪みが設けられているのが分かる。 これのイメージである。この開口によって、外観に水廻りスペースを明示しする。 便座に腰掛けているときに空が見える。そしてそれぞれの部屋は換気が出来る。こういう窓する。なるべく建物の姿を表現したつもりである。 もしよく無かったら、次の号で考えてみようと思う。
もうひとつ、エントランス問題である。カーンの色々なエントランスを改めてみていくが、エントランスはどの建物でも重要視されていないようで、あまりピンと来るものがない。 どうしてカーンはエントランスを祝福しないのだろうか。そこに帯びる社会的なニュアンス、響きを嫌っているのだろうか。 カーンにとってわざとらしい玄関というのは、電話の時に声が高くなるおばさんの声みたいなものなのだろうか。 色々みて考えてみるが、やはりこの素っ気なさは異常である。一旦この考察は置いておいて、ビルの入り口をどうするかを考える。 一階は自転車屋とキッチンである。斜めに貫入させたスペースは600mmほど掘ることにした。そうすることで「部屋の中の部屋」という親密感は出たのだが、真ん中に段差を設けたことによって、今度は自転車屋さんが陸の孤島になってしまった。 自転車屋さんを手前にしたり、アプローチを建物の両脇に設けたり、それに伴いキッチンの位置を色々ずらしてみたり、とにかくプランをぐっちゃぐっちゃにかき乱してもう一度考えてみる。 しかしどれをどうやっても僕の頭の中の丁子くんの表情は死んだままで、よろしくない。 二時間ほどのたうち回り、結局プランはそのまま、アプローチを北入り(今までと逆)にすることで一旦の解決を見る。 南側道路に面しているという設定を破壊し、北側道路に面しているという設定に変更した。 道路側の立面に表情は全くないが、避難すべり台の円筒が一本、空に刺さっている。その円筒を回り込むと、そこに申し訳程度の入り口がある。 そこを潜ると、階段が正面に現れる。左側には自転車屋があり、右側には掘り込まれたキッチンスペースが現れる。これでどうだろう。 丁子くんもまあいいでしょうと言ってくれるのではないか。と思う。少なくとも、進みはした。一階部分はこれで行こう。 売れなかったら、僕のプランニングが良くなかったからだとなる。申し訳ない。しかし持てる時間の最善は尽くした。これで行く。
ちなみにまだ検討が済んでいないところで、現在把握できているのは、
・本棚と開口の関係(エシュリック邸を参照にする予定)
・すべり台部分の開口の納め方
・吹き抜け部分の大開口(今は細長過ぎて変になっている)
・階段の踊り場部分の腰掛と開口の設え
・階段部分のトップライト
・二階以降の床仕上げ
・外壁の割付
などなど…である。なんとか霊気が感じられるものになるだろうか。霊気。これが一番大事なものである。 霊気が立ち込める建築にしなければならない。今週、なんとしても追い込み、霊気に指を掛ける。
そんな午前中のあと、午後は力尽きて倒れ込む。なんとか起き上がって洗濯をして、塾へ。 GWなのにどうして勉強なんてするんだろうと思うが、塾はあるらしい。 ちらほらと生徒たちが現れる。久しぶりに会う子どもたちは、とっても可愛い。 GWだし勉強しろとも少しも思わないので、ただただ久しぶりに友だちと会った、みたいな感じである。 損得のない、無垢な人間関係の重要さを子どもたちは教えてくれる。いつの間にかそういうものって、減っていってしまった。 忙しくなり過ぎて、欲望にまみれ過ぎて、自分に利益をもたらすか否かで人間を選択になっていってしまう。 まあそういうものなんだけどさ。でも、時々こうやって、そういうことを全て忘れ去れてくれる子どもたちの存在というのは貴重である。 大人が大人だけで生きていくっていうのは、とても苦しい事なのかもしれない。 子どもたちの無神経さ、無頓着さ、社会性の低さ(?)、そういったものに触れずに生きていくのは厳しいのかもしれないなと思う。 結婚したいかとか、自分の子どもが欲しいかどうかとかは置いておいて、生活の中に子どもという存在は必要なのだろう。
生徒のひとりが、僕の誕生日を覚えてくれていて、もう一ヶ月くらい経っちゃったけどプレゼントだよといって、カメラのキーホルダーをくれた。 シャッターを押すと、フラッシュが炊けてシャッターが鳴る機能も搭載されている。とっても嬉しい。 車に轢かれても痛くないくらいに嬉しい。 僕とその子の関係性なんて、朝の駅ですれ違う人くらいに微かなものだけど、でも、今の僕は、そういう人達からのさりげない善意によって、大きく支えられている。 大事なのだ。すれ違う人に親切にするって。なんかほんとに。 可能性のない僕を見限って行く人達がいて、僕もまあそうだよなと思う。 でもそれなのに、そんな僕にご飯をくれたり、プレゼントをくれる人がいるというのは、なんだろう。 損得とか僕たちの人生みたいなスケールを大きく超えた、太陽の光とか、そういうスケールのものに思える。 だって、今の僕に親切にするって、説明不可能すぎないだろうか。ニノさんみたいに見限って行くのが一般的な反応だと思う。 そう思うと、ね、あらゆるものに見境なく、親切さというのを、品無く撒き散らしていきたい。
ありがとう。その子の誕生日は六月だと言っていた。どんなお返しをしようかな。 …アシモかな。アシモ。ホンダが昔開発していた、二足歩行のロボット。さすがに10歳くらい年下の子にはウケないだろうか。 他には…大相撲のチケットとかかな…?どうだろう。悪くないんじゃないか。 小さいものか、美味しいお菓子か、予想外の体験か。まあまた梅雨になったら考えよう。 プレゼントのお陰で、夜はぐっすりと寝れた。 寝る前、布団の中で「1Q84」をゆっくりと読む。これはかなり凄い。2000円で体験できる芸術のレベルを遥かに陵駕している。 美しい…。無垢の善意と、規格外の美しさに抱かれて、寝た。素敵なGWを過ごしている。
2026.5.6(水)
はやく寝ると、目覚めが良い。五時半に毎日目が覚める。しかしそんなに早く起きても、コメダはまだ開いていないので、六時半まで二度寝をする。 しかし五時半にも自然に起きられるようになっているのは、嬉しい。日付が変わる前に寝るのはとても良い事みたいだ。
コメダでいつもと同じ午前中を過ごす。日記を書いて、書き終わったら少し休憩をして、それからビルの設計。 トイレ部分をモデルに起していく。平面図には現れない諸問題が立ち現れてくる。それらと格闘しているうちに回りの客は三周くらいしていて、時計の長い針も同じく三周くらいしていた。 十二時を過ぎていた。午後は卒計展に行こうと思っていたんだった。 身体も疲れ切っていたので、コメダを後にして家へ帰る。大家さんがくれた酢豚を食べる。 冷蔵庫には頂き物が溢れている。突然、飽食時代に突入してしまった。まだ、河原家から頂いた、スペアリブも残っている。 それは今日の夜に食べよう。ひとまず昼食を済まし、皿を洗って、疲れた身体を横に倒して休息を取る。 少しばかり微睡んでいたら、二時くらいになっていた。未だ重い身体を何とか起こし上げて、三ノ宮へと向かう。 緊張である。総合資格の人がいて、B4がいて、その中に一人で飛び込んでいかないといけないのは気が重い。 しかしまあ、この狭い街で、この頭で逃げ切れるわけなどないので、観念して自首するしかないだろう。 そんな気持ちである。誰かと一緒に行くという方策もあるが、それはそれでカッコ悪いような気がする。 やはり単身で乗り込むしかない。三ノ宮からキイトまでの道を、引き伸ばしながらのんびりと歩いていく。 信号待ちで横にいる人とかが、全員キイトに向かう大学生のように見える。頭の上を走る高速道路を眺めているふりをして、気を紛らわす。 今日は空は分厚い曇に覆われている。それでも東遊園地には、たくさんの人で賑わっていた。
会場に入ると、やはり小出さんと野村さんがいて、捕まる。身体の前で手首を並べ、おとなしく供述をする。 20分ほどで釈放される。熊坂くんと喋る。あいかちゃんにも会う。中江安田研の、顔は分かるけど、名前が分かんない子たちとも会う。 ツチタニさんにも会う。ツチタニさんはなぜか満面の笑みである。僕の顔にタコでも張り付いているのだろうか。 楽しそうである。顔見知りとひとしきりの雑談をして、卒計を一応見て回る。なんかみんな、結構おんなじじゃないか。 たしかに模型や図面は良く出来ている気がする。でも、なんか同じじゃねと思った。そしてあまりパワーを感じない。 建築は、少なくとも卒計はオーラで勝負するものだから、もっと頭の中の気持ち悪いところを滲み出させるものだから、もっとそういうことをしていいのになぁ、みたいな。 そんなことを思った。一番恥ずかしいところを、公然と街中に立ち上げるところに、醍醐味がある。 一番よく分からなかったのは、新神戸のやつだ。これはいい。他はまあZARA、H&Mみたいな感じ(ユニクロのちょい上くらい?)であった。 あとは熊坂くんのプロフィール写真はとても良かった。この卒計展で一番良かったかもしれない。
卒計展には、柴田さんがいた。最初に話しかけてみたら、どうも目が泳いでいる気がして、あ。これはあんまり話したくないかもなと感じ、ひとまず解散する。 その後、疲れたので椅子に座って休憩していたら、改めて柴田さんが話しかけてくる。 立って話すと身長差があり過ぎて喋りづらい。座るとちょうどいい高さだ。 今度は思っているより話し続けてもいいわよ、みたいな雰囲気があったし、僕も柴田さんと喋ってみたかったので、卒計展の会場のみならず、場所をピザ屋に移して、七時半の新幹線まで柴田さんとお喋りをする。 僕がイメージする柴田さんと、実際の柴田さんは結構違ったみたいだ。 僕のイメージは、挑戦屋さんで、崖があったら登って、口を開けば機関銃のように喋る、みたいな感じだった。 でも実際の柴田さんは、普通のスピードで喋って(話が盛り上がっていなかったから…?)、良い子ちゃん、だという。そうだったんだ…! 全く知らなかった。しかし普通にその柴田さんも、面白かった。走路上のものを全て無に帰すブルドーザーじゃなくて、普通の小さな女の子みたいだった。 変な感想だけど。新神戸へ向かう柴田さんを、三ノ宮の地下鉄まで送った。コインロッカーから、小さな薄水色(?)のキャリーケースを取り出している。 黒くておっきい、番犬みたいなキャリーケースだと思っていた。口に出しそうなのをこらえ、改札でバイバイをした。
そんなこんなで、疲れ果てて、GWが終わった。 やはり行きたくないなあというところに、時々頑張って、行ってみるものだなと思った。 疲れていたけど気分はルンルンだったので、三ノ宮から六甲道まで歩いて帰った。一時間ちょっとくらい。 しんちゃんを読んで、カーンを読んで、少し設計を考えていたら突然眠くなって、おそらく十一時過ぎにそのまま倒れ込んで、意識を失った。 目が覚めると五時半だった。照明が煌々と部屋を照らしていた。
色んな女性にご馳走して貰い、色んな女性と食事をした、不思議な一週間だった。 十代から八十代まで。よく分からないけど、振り返ってみるとそうなっていた。体調は相変わらず優れない。 元気が足りず、特に気が利いたことも言っていないので、本当にただ生きていただけだが、それでも色んな人に良くして貰った。 なんだろう。とっても変な感想だけど、やっぱり僕は、僕として生きているだけで、色んな人が気に入ってくれるかもしれないな…みたいな、自信というか信頼、みたいなものを、久しぶりに感じられた。 そう。僕を僕たらしめているのは、生きているだけで、皆僕のことを好いてくれるはずだという、世界に対しての完全な信頼である。 意味わかんなすぎると思うけど、そういう世界観に基づいて、基本的に僕は生きてきていた。愛されて育った化け物である。 しかしでも、そうやって生きていくのだ。新居千秋によると、新居千秋が24歳のとき、73歳のカーンは、事務所が倒産寸前で、シャツを二着しか持っていなかったらしい。 疲れると50歳年下に向って、「本当はもっとゆっくりしたいんだ。女の子が好きなルイスくんと、建築家ルイス・カーンがふたりいて、しんどい」などと言っていたらしい。 本当になんか、僕だけだろうか。このエピソードが胸に迫ってくるのは。僕はこの光景を想像して、そのなんか、ありのままの人生の切実さみたいなのものに、泣いた。 夜の事務所で、倒産寸前の事務所で、疲れ果てた70歳を過ぎたひとりの老人が、ある世界的建築家が、そんなことは一ミリも鼻にかけずに、東洋の若者に向って、こんなことを話しているのだ。 凄まじい光景ではないだろうか。ここまでありのまま、切実に生き切れる人間はいるだろうか…? カーンはやはり本当に凄まじい人間だと思った。本当に尊敬する。これこそが人生だ。 カーンとしんちゃんから、そして女性たちから、多くを学んだGWであった。僕の進むべき道は、この一週間の中に暗示されているだろう。 必死にお馬鹿なことを考えて、必死に建築を考えて、必死に女の子のことを考えて、考えて考えて考え続けて、追いかけ続けて、そしてそのまま年老いて野垂れ死ぬのだ。 そう思うと、めらめら力が湧いてこないだろうか。メラメラニンニン。メラニンニン。嘉門達夫である。 嘉門達夫ではない。カーンだった。カーンもきっと、全ての生き物を信じていたと思う。 やはり全ては世界を完全に信じる、というところから始まるのではないだろうか。 僕の墓碑、そんなものがあるとすれば、そこにはひとこと、
舟木健太郎(1999-?) 建築家
全ての生き物を完全に信じ抜いた男
と書いてもらえるように頑張りたい。
2026.5.7(木)
久しぶりのlabor。クソ疲れる。九時半で退社。ふらふらり。 昼間も、GWは基本的に昼寝をしている時間だったので、普通に尋常ではなく眠かった。 ティーハウスの窓辺の席で久しぶりに昼寝をする。とても気持ちが良くて、もっとこのまま寝ていたかった。 ティーハウスでの昼寝はやはり格別である。そんな理由で働く場所って決めていいんだろうか。 明日はつっきーたちと焼肉である。つっきーのサザンが聴けるんじゃないかと思い、ずっとサザンが頭の中に流れている。 つっきーは、どの歌い方の桑田を真似するのが得意なのだろう。「恋のジャックナイフ」とかをリクエストしたい。 僕がティーハウスに求めるのは、つっきーのサザン、昼寝し放題、カーンのcomplete workが欲しい。この三点のみである。
大家さんがカレーをくれるというので、帰りに大家さんの家へ寄る。 カレー以外に、爽健美茶、ハンバーグ×4、リンゴジュース、プチトマト、らっきょう、肉うどん×3を貰う。 貰い過ぎである。冷蔵庫から減る量より、冷蔵庫に入っていく量の方が多い。 大家さんのように不労所得があれば、こんな風な暮らしが何歳になっても出来るんだ…と感嘆する。 少しそんな話をしても、いいかもしれない。 家に帰って大家さんが作ったカレーを食べる。くそ美味い。 僕がつくるカレーとは、どうしようもなく、全然違う。肉の違いだけではなさそうだ。 鶏肉を牛肉にしたって、こんな上等なカレーになったりはしないだろう。 凄すぎる。なぜだろう。自分で作るカレーは、足し算したら美味しくなるレベルなので、チーズを入れたり、卵を落としたりしている。 でもこのカレーは、そんな小手先の必要はない。とにかくカレーを白ご飯。これだけでいい。 こんなにも同じ料理に違いがあるのか…というのを見せつけられ、驚きを隠せない。 今度、また来週、つくり方を聞いてみよう。
身体に砂袋を結び付けられて、生きているみたいだった。相変わらず体調が良くならない。 このまま僕は、一日10時間くらいしか活動できない人間になってしまうんだろうか…? やっぱり一日16時間くらい、僕はエッサカホイサカ活動したい。楽しい。7-23時くらいで。 今の生活は結構気に入っている。もっとも、仕事の比重は落としたいところであるけど。 元気になりたい。一週間も体調が優れないと、元気だったときがどんな感じの人間であったか、全く思い出せない。 五月は毎日22時に退社しよう。ひとまず。朝は譲れない。労働時間を一時間半ほど短縮する。 途中、疲れたら、しっかり横になって休む。もっとしっかり休憩して、活動している時の密度をあげたい。 折角だし、久しぶりに24時間円グラフを描いてみよう。定期メンテナンスである。自分が、どんな24時間を過ごしたいか。 短い日記になってしまった。ビル設計の締切が接近していて怖い。シンフォニエッタが終わった。25分の中で一日を振り返り切るのは難しい。
2026.5.8(金)
朝、コメダにつくと、横の席に、昨日と同じ女性(たぶん。ショートすぎて分からん)がいる。 向こうも僕が昨日の横の席の人間であると気づいたようだ。 衝立一枚を隔てて、僕たちはお互いにキーボードを鳴らしている。 向こうはどんな仕事をしているんだろう。そして今は、何をしているんだろう。 横の女性は、脱臭されて、不純な欲望たちは博士に取り除かれたみたいな、そんな見た目をしている。 PCはMac。何の仕事をしているんだろう。スポーツインストラクター、時々殺し屋だろうか。 「1Q84」の読み過ぎである。PCを立ち上げて、店のWiFiにつなぎ、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を流す。 この25分のあいだに、日記を書き終えれると良い。「シンフォニエッタ」、ささやかに雄大な楽曲である。 こういう力加減の作品。僕もいつか作れるんだろうか。それともヤナーチョクは、この曲をつくったとき、イイ感じに疲れていた、とかだろうか。
午後に新しく取り組もうとしているプロポのくそ眠い打ち合わせ。 多分普通に寝落ちしてしまっていた。でも良いんだ。眠いときは眠い。 次は道の駅に取り組む。道の駅をどう面白くするのか、あんまりイメージが湧かないけれど、建築の神さまへ捧げるべく、一生懸命やらないと。 ひとまずそうするしかない。 七時頃から事務所の若い衆と槻橋夫妻で、お疲れ様ということで、焼肉へ連れて行って貰う。 つっきーと久仁子さんは、一足先に車で焼肉屋の到着しており、僕たちが歩いて向かって後から合流。 到着すると、ボックス席の一角で、つっきー達ふたりは、身を寄せ合って座っていた。 歳月を経てもふたりは仲が良さそうである。 久仁子さんは昔のつっきーの話や、つっきーが沢山食べた話や、つっきーの太腿みたいなふくらはぎについてを、とても嬉しそうな表情でいつも話す。 つっきーのことが好きなんだなと思う。つっきーが久仁子さんのことをどんな風に好きなのかは、あんまり分からない。 でも疎んじているとか、そんなことは全くなさそうで、まんざらでもなさそうな顔をしている。 二人は僕たちに対して同時に喋りかけてくる。 どちらかが喋っている話題に関して、必ずもう片方が自分の喋りたいことをハモらせてくる。 段々慣れてきて、両方の話を左右の耳で聞き分けられるようになってくる。 やはりここでも、話をロクに聞かずに自分の話をすることと、仲が良いことが登場する。 やはりこれは近しい人間が仲の良さを維持していくのに、必要なひとつの要素なのではないか。 話を真に受けすぎない。聞き過ぎない。そして自分のことを全部喋る。 全て僕が苦手にしているものである。でもどうやら、家族仲を保つにはこういう鷹揚さが重要みたいだ。
つっきーたちは、僕たちがもう正社員になることを確信しているみたいだ。そんな善良な市民に対して、僕はノーとは言えない。 ティーハウスで一度働いてしまったら、もう他の会社では働けない。それくらい緩い環境なのだ。 強度不足の自制心しか持ち合わせていない僕は、そんな環境に身を委ねてしまって大丈夫だろうか…? でも、つっきーたちは、僕たちに残業代を出すために、自分達の給料を削っているのだ。 基本給は分かるとして、残業代まで、そんなに身を削って払う事ができるだろうか…? 僕はその立場になったときに、つっきーと同じ選択をできる自信がない。 そしてつっきーたちはそれを押し付けることもなく、何故だかゆるゆる楽しそうに生きている。 やまけんは事あるごとに「教えて欲しかったらもっと給料が安いところに行け」とか「うちは金ちゃんと払ってんだぞ」みたいなことを言っていた。 僕のお母さんも「あなたには毎月いくらお金がかかっていて、そしてあなたは今こんな点数を取っているのよ」と毎月、成績表と支払い額を並べて僕に述べていた。 つっきーは「うちは残業代、出しますから」というだけである。
どちらを選ぶこともできる。これからの僕の人生は。どっちなんだろう。 僕は母親のことをとても尊敬している。やまけんのことも同じくとても尊敬している。 でもこうなりたいなと思ったことはない。 僕は子どもに、尊敬されるよりも、尊敬されるのも大事なことだとは思うが、やっぱり「なんだ簡単じゃないか。楽しそうじゃないか。僕でもできそうじゃないか」と、そういう風に思ってもらいたい。 そういう方がより上等ではないだろうか。それならば…?つきおともう少し一緒に仕事をしても、良いのかもしれない。
2026.5.9(土)
今日も「シンフォニエッタ」を聞きながら、一日をささやかに祝福しながら、日記を書き始める。 良く晴れた日曜日である。
ナイスガイな周さんの誕生日に相応しい一日である。北岡くんもそろそろ、山登りを開始しているところだろうか。 小野や日下や、山本くんやもりりんも、原稿に追われ苦しんでいるところだろうか。 僕も僕の一日を、粛々と送ろう。今日は本当にモデリングを終わらせにかからないといけない。 しかしこういう日に限って、だいたいモデリングは進まないのだ。 まあいつものことなので、あまり気にし過ぎないようにしよう。 やはりまだ、光の入り方、部屋の中にどんな風に人が座っているか、その各所のイメージが足りていない気がする。 平面図だけではそこまで考えられていなかった。 とにかくはじめよう。ここからはそろそろ力を振り絞って、雑誌の完成に注力しなければならない。
芦田から突如の電話があり、忘れ物を急いで運び、流れで子どもたちに勉強を教え、昼ご飯を頂き、鬼ごっこに動員され、へとへとになり、そして寝落ちする。 それが11時から17時くらいまでのあいだに突如乱入し、あれよあれよと言ううちに、何も進まずに夕方になっていた。 夕方、家へ帰って、鬼ごっこの汗を流し、そしてもうひと作業に取り掛かる。 結局それから進んだのは、二階の窓と本棚だけであった。 九時くらいになったので、ご飯を二合炊いて大家さんのカレーを食べる。 それだけ食べたら眠さが押し寄せてきたので、クレしんを一巻読んで、寝た。多分十一時を少し過ぎたあたりだったと思う。
何かを成し得られそうな一日の過ごし方ではなかったが、でもまあ悪くなかったし、良いんじゃないかと判断してそのまま眠気の赴くままに眠りについた。 確かにGWを経て、少し改善された精神状態で生活できている気がする。芦田も、元気そうだねと言っていた。 元気そうなだけで褒められていて良いのか…?という問題は置いておいて、でもまあ悪くないんじゃないだろうか。 睡眠と休息の大切さを改めて感じている次第だ。そして人と会う。ちゃんとした食事を摂る。 ひとりの人間の肉体の矮小さを痛感する。 窓を開けて寝ると、気持ちが良い風が入ってくる。Institution. ひとまずはこれで。今はとにかく設計することが最優先である。
2026.5.10(日)
いつものように六時半に起き、朝陽を余すところなく浴びながら、七時にコメダに行く。 今日やることを確認して、モーニングセットを食べながら、本を読む。「1Q84」は中巻の半分くらいまで読み進んだ。 本を読むのは中々時間がかかる。でも楽しい。楽しいことを、長い時間をかけて行えるっていうのは、幸せなことだ。 楽しくないことを迅速に終わらせて、楽しいことを、ゆっくりじっくりやりながら、生きていきたい。 「シンフォニエッタ」がもうすぐ終わりそうである。今日も設計を進めないといけない。 まずは階段の図面を描くところから、やっていこうと思う。 終わった。八時四十分。やろう。今日はどこまで進められるかな。 あとは、トイレ掃除用具を買って、トイレについているうんちを綺麗にする。これが今日、やりたいことである。さあ日曜日。
でも習慣って、すごい。毎日しんちゃんを読むと決めて二週間ほどが経ち、毎日一巻ずつ読み進め、もうすぐ半分くらいが読み終わる。 このままだとオウトマティックに、五月末くらいには読み終わる。なんなら毎日の楽しい習慣がもうちょっとで終わってしまって、少し寂しい。 習慣にするっていうのは、タナカケイをはじめとした色んなおじさんが言うように、とても力を持つものみたいだ。そして楽しい。 一日一日に張りが出る。そして長い期間で見てみると、成果も出る。これは凄い。魔法みたいに感じる。ただ毎日ちょっとずつやっているだけなのに。 しんちゃんの次は、何を毎日の楽しい習慣にしよう。毎日、漫才を一本見る、とかにしようかな。それでいいボケをノートに文字起こす、とか。 今の僕にはそういう、深刻になりすぎないようにするための習慣が必要だ。身体の悪い傾向を丹念に矯正しようとするスポーツ選手みたいに、僕もしんちゃんを読んで深刻さを低減する、というのが大事なようだ。 次は何がいいだろうか。
2026.5.11(月)
昨日までのように軽い目覚めではなく、のっそりとした朝が来る。 喉から鼻にかけて粘土を詰め込まれているみたいだ。鼻をかんでみると、また鼻水が青虫みたいな色になっていた。 思い当たる節はないが、今日はこのコンディションで一日に臨まないといけないようである。 今日は朝のうちに、家賃の振込と、病院への支払いへ行かないといけない。 どうせ体調も悪い事だし、少し朝のルーティンを崩してもよいだろう。
昨日は結局、一日やり続けるも、モデリングは思うように進まず、失意と諦観の中、眠りについた。 最近はそれなりに元気になってきているが、それは諦観に基づく安寧であるような気がする。 昨日もうまく設計が進まないが、諦めて夜更かしをせずに寝た。しかし、本当にそれでいいのか…? 僕は僕自身の中で生きているだけでいいのだろうか。もっと自分の限界まで生きなくて、その手前で、まあこんなもんだよね、と納得していて良いのだろうか。 良くない気がする。病気は嫌だが、こんなもんだよねという一生はもっと嫌だ。 そう思うと、体調が許すギリギリ可能な範囲まで、挑んでいかないといけない。 難しい。丁度引き返せる限界までの冒険なんてものはあるのだろうか。それは無茶苦茶に前進を続けることよりも難しい気がする。 でも僕は、それをこれから習得していく必要がありそうだ。村野藤吾も坂口恭平もそういえば同じようなことを言っていた。 沼地に赴き、そして必ず生きて帰る。二人ともそんなニュアンスのことをどこかに書いていたと思う。 死んでしまってはダメなのだ。難しい。うーん。マジでその技術を習得する必要があるな。 簡単にイチイチ破滅に飛び込んでいたら、いつまでたっても一進一退である。 僕にそんな器用さがあるのか、そんなものは元来持ち合わせていなさそうだが、ひとまずやってみよう。 生きていくって難しい。あらゆる難しさがある。
「我々が優れた完璧な人間になろうと努めれば努めるほど、影は暗くよこしまで破壊的になろうとする意思を明確にしていく。 人が自らの容量を超えて完全になろうとするとき、影は地獄に降りて悪魔となる。 なぜならばこの自然界において、人が自分自身以上のものになることは、自分自身以下のものになるのと同じくらい罪深いことであるからだ」
カール・ユングの言葉として「1Q84」に引かれている言葉である。僕が抱えている問題のある面を簡潔明瞭に説明してくれている。 僕の中にいる悪魔は、僕が僕自身以上に優れようとしてきた結果ともいえよう。 そしてもっと優れようとするたびに、悪魔は必ず襲ってくる。エレベーターとおんなじ仕組みだ。 どうしたら良いんだろう。均衡。諦め。階級。幸福。イイヤツ。ワルイヤツ。どれも自分で選べるような気がしてしまう。 実際はそんなことはないのだろうが。僕はどうしていけばいいのだろうか。
Without your love, it's a honkey-tonk parade.
愛がなければ、全ては安物芝居に過ぎない。
やはりそういう結論しかないのか?僕にはまだ分からん。分からないなりに人生を進めて行く必要はあるので、ひとまず今日も、やるべきことをやっていこう。 やりながら悩めばよろしい。
2026.5.12(火)
小野の誕生日である。晴れている。鼻水が相変わらずひどい。鼻から黄緑色の精子が湧いているんじゃないかみたいな。 それくらいの粘度を持った液体が鼻の穴を摘まれせ続ける。かんでもかんでも、終わることのないイタチごっこが永遠と続いている。
ふう。皆の原稿が出揃う。どれもとても良い文章である。でも僕には、あんまりこれは悪い文章だ!という感覚がない。 一生懸命、裸になって汗を散らしながら書いている文章は、どれも恥ずかしくて、そしてとても美しい。 人間はこうやって時々、本当に恥ずかしい思いをしながら生きていかないと、どんどん間違った存在になっていってしまうのかもしれない。 僕も、文章読んだよ、と言われるたびに、とても恥ずかしかった。ヌードデッサンのモデルをしているみたいな。 その一言で、突如として丸裸にされて、交差点に信号機と並んで立っているみたいな、そんな気持ちになる。 恥ずかしいこと。それは生きていくうえで、とても大切なことみたいだ。 恥ずかしさに苛まされながらも、懸命にそれを表現しようと試みる。表現することは常に恥ずかしい。 自分が何に影響を受けているか、その影響下で何を考えているか、表現の技術はいかほどまでなのか…。そういったことが一瞬でバレてしまう。 その日までの人生の最高到達点が判明してしまう。僕という人間の射程の限界が白昼の元に晒されてしまう。 そんな立派な人生でもないし、よく考えたら、どうして表現したいという気持ちになるのか、さっぱり分からない。 歌を歌ったり、絵を描いたり、文を書いたりしてしまうのは何故なんだろう。カーンはexpress、表現しようという願望みたいなことを言っていた気がする。 それが生きる理由なんだみたいなことを言っていた気がする。確かにでも、そうなのかもしれない。 恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。そして自分の矮小さに呆然とする。悲しい。 そうやって、自分のダメなところを人目の触れるところに置いてしまうのは、品に欠ける行為なのかもしれないとも思う。 どうなのだろう。皆は僕を見る度に、あ!下品な生き物だわ!とか思うんだろうか。
何もつくりたいものが無くなってしまったら、でも僕は生きていけない気がする。 表現したいという願望、表現しきれないというもどかしさが無かったら、本当に何のために生きるのだろうか。分からん。 というか頑張れない。頑張れないというか、次はもう少し良くなるはずみたいな、そういう登り坂の予感みたいなものが感じられない。 数学の帰納法みたいに、n=k+1のyの値が、n=kのyの値より大きくならなかったら、n=∞のときに、y=0になってしまう。 0に向かう人生、いや本当は0に向っているんだろうけど、それが明らかになってしまっている人生って、どうやって送っていけばいいんだろう。
そもそも表現したいという願望ってなんだろう。陽キャの発表はどうしてあんなに普段と違って下手くそなんだろう。 一概に陽キャの発表が下手とは言えないが。というかまあ、伝えたいことがある発表は優れていて、伝えたいことがない発表は聞くに堪えない、これに尽きるのだろう。 では伝えたいこととは一体、なんなんだ。どうして伝えたい、という気持ちが湧いてくるのだろう。逆に湧いてこないのだろう。
緑はますますその色の深さを増している。マンションの駐車場には、光と影が鮮明なコントラストを描いている。 駐車場にだけしか、人間以外のための空間にしか、そういったいい光と影は残されていない。 それは言い過ぎだろうか。でも、人間を思いやり、気を遣うことによって、どんどんと光と影は死に絶えている。 優しさは毒なのだろうか。
時間はお金ではない。時間は時間である。 労働が、時計が、その輪郭を乱している。時間は時間なのである。 学生の頃みたいに、本を最後まで読み切ろうと決めた瞬間に、本を最後まで読み切りたい。 働き始めてから、労働者に身分を落としてから、そういう贅沢な時間の使い方ができなくなってしまった。 悲しいことである。本を読み切りたいと思った瞬間に、最後まで本を読み続けられるというのは、豊かさだったのだなと気づく。 何事も失うことが肝要である。失うまでは、それが豊かであったことが、分からない。
やまけんの情熱大陸は見ていないが、放送しているという事実が、あの部屋での出来事をまた僕に思い出させる。 昨日は熱心に模型をつくっていた。手に集中していると、自由になった頭の中にだんだんと、怒っているときのやまけんのつぶらなふたつの瞳が浮かんでくる。 人間は、自分の正当性に100%の確信を持って相手を攻撃するときに、最も純粋な瞳の輝きを取り戻すのかもしれない。 そんなことを思う。介護施設の利用者を見つめるやまけんの瞳と、僕を叱責するときのやまけんの瞳。それはきっと、どちらも同じくらいに澄んでいる。 どうして?憐れなる存在だから?どうしておんなじ瞳になるんだろう? そんなに純粋に攻撃してしまうほど、僕は人生のあらゆるところを間違っていたんだろうか…?????? 僕は人生で、あれほど純粋に目を見つめられたことはない。 模型が間違っていた時、図面が読みづらかった時、法規チェックが間違っていた時…。 やらかしまくっている僕の問題も多分にあるのだが、でも、これが僕の人生における最も純粋な瞬間である、というのは、とても悲しいことだ。 次はじじいになって、おねしょをもらした時に、僕はまた同じような純粋無垢な視線に洗われるのだろうか。 情熱大陸はちゃんとその部分を描きとっているだろうか。 疑問は尽きない。人間は考えるべき生き物ではないのだという事実を痛感する。 というか生き物は本来、考えるべきものではない。考えないことの方が上等である。 必要なのは罰するための法律ではなく、嫌いと思った瞬間に相手に暴力をふるうことである。 今日もまだ、やまけんは生きている。僕には見えないが、確実に今現在、この瞬間に同時存在している。 それはとても恐ろしいことである。 子どもの頃、宇宙にはブラックホールというものが今も存在していて、その向こう側というのも同時に存在していて、それについて想像すると怖くて仕方がなかった。 山崎事務所についても同じような怖さがある。FMラジオのリリコだけが、陽気に何かを喋っている。 ブラックホールや山崎事務所や死ぬことなど、抱えきれない量の恐怖を抱いて生活をしている。 抱え込むべきではないものたちだ。逃亡手段は、没頭と肉体の酷使だけである。
いつか、愛を基底に据えて生きたい。鳩みたいにではなく、誰かに対しての特別な愛情みたいなものを、確かな手応えを持って抱きたい。 愛したい。生きているうちに、僕も愛情深い生き物になりたい。
2026.5.13(水)
昨日咳をしすぎたからか。起きた瞬間にがっかりしてしまう体調の優れなさである。 冴えないおじさんの身体の中身をそっくり入れ替えたみたいに、身体が重い。これが自分の身体とは思えない。 精液みたいな粘度の痰が出る。鏡で自分の顔を見てみると、心なしか血の気が足りていない気がする。 広背筋がずっとカナヅチを押し付けられているみたいに痛む。昨日一時まで粘ってしまったのが良くなかったのだろうか。
懸案だったキッチン横の部分が、バワの別荘「ヌルガンガ」の窓辺のアイデアでなんとかひとまずの解決をみる。 嬉しい。今日はキッチン廻りである。あとは階段横の段差部分。そのあと、エントランス、北部分、南部分、二階吹き抜け回り、二階南部分、三階北部分、三階南部分。…ここら辺まではいきたいところである。 良い光、良い光、過ごしやすい窓辺をつくりたい。そうかんがえるとやはり、南側は環境変化が大きくて難しく、北側に大きく開く方が良いという気がしてくる。フィッシャー邸みたいに。 フィッシャー邸は光と敷地に対しての向き、方向みたいなのがとても優れている。毎日図面を見ている。そのたびに、これしかないなあ、という気持ちになる。 ため息がでる。東向きの寝室の窓。西日が一瞬差し込むリビングキューブ。川の眺め。カンペキ~!(IKKO風/久しぶりに)である。 まだまだ勉強するところがたくさんある。気持ちの良い窓辺。あまり直接日光が差し込み過ぎると、もう五月でも暑くてカーテンやブラインドを下ろさないと仕事にならない。 昼寝にはなるけど。難しい。やっぱり庇が必要だろうか。バワはどうやって庇と窓辺にかけているのかな。庇ではなくて普通に屋根の軒で処理しているかもしれない。 スリランカは沖縄みたいな感じで、通年で温暖であり、もう少し過ごしやすそうである。近年の日本の極端な四季の中で良い窓辺をつくるのは難しい。
エントランスについて考える。掘り込んでポーチを設けるほどの余裕はない。セオリーでいけば、ここは引戸である。 でもどうもそこに納得がいかない。「window box」という上と左右の三方向が飛び出しているタイプの窓辺を見かける。 これはひとつありえるかもしれない。あとはバラガンの住宅のどこかにある、ピンクの庭への勝手口のような扉。 窓枠がないピンクの板が上下に二枚。下が開いて、上は開かない。少し不思議なエントランス。これも面白い。 他には、玄関扉以外の様々な開口を集合させ、機能をまた全て分解し、そしてまたひとつの窓のように再統合する。 これを一度試してみよう。
身体中が痛んでくる。本当におじいちゃんみたいだ。鼻水がとまらず、うんちも下痢である。 鼻から尻にかけての間の部位も不調である。こういうときが一番本当に体調が悪いときだったりする気がする。やれやれである。 二日ばかり予定があって、元町のコメダに来ていなかったが、金曜日以来に訪れると、やはり僕の横には男の人と女の人のあいだみたいな人がいつものようにいる。 朝のコメダで、僕の彼女(彼?)だけが若い。一体何の仕事をしているんだろう。あれ?気づいたらいなくなっていた。 全くその気配を察知出来ていなかった。やはりそういう仕事なのだろうか。そういえば「1Q84」の中巻が読み終わった。 いよいよ下巻である。ここまでコツコツ千ページも読んできたのかと思うと感慨深い。今年はずっと村上春樹を読んでいる。いつになったら全部読み終われるんだろう。 漱石も読みたいんだけどな。30代になったら、ドストエフスキーとか、チェーホフとか、カフカとか、筒井康隆も、志賀直哉とか…色々あげたらキリがないけど、まだまだ読みたい。 何歳まで生きられて、何歳まで本が読めるだろう。働き始めても、こうやって読みたい本がある、時間をつくって読書をしたいという人間であったことに驚いている。 僕は本は読むが、別に自分が読書好きな人間だと思ったことはなかった。三宅香帆が言うみたいに、働き始めたら本を読まなくなると思っていた。 卒業と同時に自動的に疎遠になる友人みたいに。そういう種類のものだと思っていた。 喜ばしいことである。少なくとも本は、求める限りは傍にいてくれる。建築もだ。求めても求めても、遠ざかっていく。 触れることはできない。そういったものたちのお陰で、生き永らえている。その途方もなさの前に立ち尽くし祈るのみである。 そのわりには我を出し過ぎな気もするが、それはでも許して欲しい。久しぶりにこの言葉を思い出した。 山崎事務所で毎日怒られること。我を出すな。難しかった。今も出来ていない。これはもう僕には本当に難しいものなんだろう。 我を出しているつもりなんて、本当にあんまりないんだけどな。因果関係のつくり方、考え方が根本的に間違っているんだろう。 もうでもそれはしょうがない。間違え続けるしかない。なるべく正解の方に近づいていきたい。沢山、なるべく早めに失敗するに尽きるだろう。
大家さんにカレーのおいしさの秘訣を聞いたら、ルーはジャワカレーで、隠し味にはハチミツ、ソース、出汁を少し入れていて、肉は牛スジで、完成してからニ三時間寝かせているわよ、とのことであった。 ひとまずルーをジャワカレーに変更してみよう。わずかな手間の集積が、大きな差となって生まれているのだろう。
スカルパのカステルベッキオ美術館の、建物の躯体と分離してスチールサッシを入れるあの作戦、あれもエントランスの参考になるかもしれない。 ちょっともう一回見てみよう。
明るい言葉は、鼓膜を明るく震わせる。らしい。「1Q84」に書いてあった。これはひとつ覚えておいた方がいい言葉である。 後、昨日読んだものの中で、印象に残っているのは、人間は週に6時間以上、仕事に関係のない話をした方がいい、ということである。 週六時間。結構意識しないと、下回ってしまう。これは頑張ろう。今週はどうだろう。毎日仕事中に30分くらいは雑談することと、週末誰かに一回くらいは会って話すこと、店員さんとかにもいけるだけ話しかけること。 ひとまず隙を見て人間に話しかけていった方がよさそうである。孤独の濃度を下げていかないと。 でも一番は、毎日少しずつ、一日一時間くらいはどうしようもない話をするのが大事なような気がする。意識しよう。そういうのを学ぶために、クレヨンしんちゃんを僕は毎日読んでいる。
2026.5.14(木)
体調が優れない日に限って帰れない。昨日は結局終電まで労働。 なんとかシャワーと歯磨きをやり切って、風邪薬を飲んでして就寝。 しかし、アダルトコンテンツに登場する潜入捜査官のあのスーツ。あれは本当に実在するものなのであろうか。 まず女性潜入捜査官というのは本当に存在するものなのだろうか。それとも欲望の思念が実体化した蜃気楼みたいなものなのだろうか。 どっちなんだろう。歴史的経緯を踏まえて、アダルトコンテンツで現世に存在しているのだとしたら、それはとても面白い。 筒井康隆だったら、ここからお話をどんどん膨らませていき、面白いお話を書きそうだ。
潜入捜査官は重要ではない。 潜入捜査官に思いを馳せてから、寝る。 起きると、久しぶりに27歳の肉体になっている。いままでは起きても起きても、老人の身体の中で生活しているみたいな感じで、全ての動作が億劫で、筋肉が凝り固まり、身体の中に何か所も、そこだけ重力が三倍になっているみたいな箇所があった。 今日はそれがない。鼻水や咳や痰は相変わらずだが、身体にはすべて等しい重力がかかっている。 本当に久しぶりである。嬉しい。やはり終電までシャカリキで働くのが、一番健康に良いのだろうか…? たしかに久しぶりに閑散とした24時の商店街を歩いた。そういうことなのかもしれない。 そして迷いなく寝る。一日に対して、何の思い残しもなく。そういうことなのかもしれない。 あとは黄緑でない鼻水を一日でも早く見たい。いつまでこんな鼻水を出し続けないといけないんだろう。 ティーハウスのテッシュが凄まじい勢いで減っている。僕が一ヶ月くらいずっと鼻をかんでいるせいである。 そういえば、6月から正社員になるよ!と伝えた。バイトのような気楽さはなくなり、電話対応やどんどん来るメール、打ち合わせの時に珈琲を淹れたりと、諸雑務が増えるが、それは甘んじて受け入れよう。 成長に相応しい環境ではない気がする。環境負荷は殆どないに等しい。 でも、成長よりも、機嫌よく生きられる方が大事なのかもしれない。と思った。この一年。 終わらない体調不良の中で、何もできない布団の中で、そんなことを考えていた。 こうやって書いていると、自分の決断が果たして正しかったのか、自信がなくなってくる。 やっぱりもっと、少ししんどいけれども、喰らいついていって、その先にまだ見ぬ景色が待っている、というのを目指すべきなのかもしれない。本来は。 分からない。どうなんだろう。 でも僕はもう、ちょっと疲れた。疲れてしまった。「べき」人間では生きていけなくなってしまった。 自分は全く、尊敬されるべき立派な人間ではないことを知った。大量の弱点を誤魔化しながら生きているに過ぎないと知った。 そこからまた出発しなければいけない。果たして一体、どんな風に組み立てていくべきなのか、さっぱり分からない。 しかしでも、遅刻まみれのティーハウスで、心地よい風に吹かれながら昼寝をして、家族とも距離を置いて、世俗から隔絶された六甲道で、誰にも気づかれずに、しばらく生きていても良いかもしれないと思った。 ティーハウスで働くなんて、考えもしなかった。人生分からないものである。
「責任」ってなんだろう。目に見えないものである。アルバイトと正社員の間に流れる川である。 不可算名詞である。感じるべきものなのだろうか。それって。女潜入捜査官みたいなものと、大差ないのではないか。
このまま、なんの進展もなく年老いていくのだろうか。みんな卒業して神戸からいなくなるのに、僕だけここに漂って生きていくのだろうか。 家族もなく、愛する人もなく、愛することも知らず、誰にも気づかれず、希望も失望もなく、ただただ生きていくのだろうか。 考え疲れた。また元気な時に考えよう。しかし、まったくどうなるか分からない人生だから、面白いのかもしれない。 やり直しはきかないし、先も見通せないし、希望と呼べるものも殆ど持ち合わせていないが、それだからこそ、やっぱり面白いのかもしれない。
文章は焦ると上手く書けない。ゆっくり焦らずに書かないといけない。 模型つくりが待っている。今日はプレゼンの日である。僕の人生もかかっている。 上手くいくといい。鼻毛を思い切り抜くと目が覚める。健太郎。僕の名前。健康太郎。健康になりたい。 ここからが本番である。健康でいつもふざけているおじいちゃんにならないといけない。偉くなってはいけない。 立派になってはいけない。尊敬されるべき人間になってはいけない。 固いおちんちんは固いおちんちんでしかないが、柔らかいおちんちんは、いなりずしもなったりするし、時には象さんになったりすることも出来る。
2026.5.15(金)
体調が悪い。ずっとだけど。さすがに限界なので休んで耳鼻科に行くも、マイナンバーカードがピーピー言ってしまって受診できない。 しょうがないので家に戻って仕事。最低限を終わらせて就寝。そして起床。二日分のクレヨンしんちゃんを読んだ。 ずっと鼻水が改善しないというのは、おそらく副鼻腔炎である。北岡くんが教えてくれた。 明日は耳鼻科に行こう。二週間以上症状が続いているし、このコンディションで毎日を過ごしていくのはかなりしんどい。 全額負担でもしょうがない。治療しよう。
今日はそうしたらばどうしよう。今は六時半。まだ外は明るい。 シャワーを浴びて、飯を食って、本を読んで寝よう。 飯を買いに行く元気もなく、冷蔵庫の中も空っぽで絶望していたが、冷凍庫に冷凍餃子が入っていた。 九死に一生を得る。ひとまず冷凍うどんを食べて、少しエネルギーを補充する。 身体の調子は良くならない。困った。日記はいったんこれくらいにして、シャワーと食事に取り掛かる。 元気になりたい…。こんな日もあったねと、本当にいつか笑い話になるのだろうか。とにかく日記を埋め続けるのみである。
それにしても、僕が体調不良でなかったとしても、中尾くんのつくる資料はしっかりしていて、全然僕のよりも凄かった。 人と比べ過ぎても良くないが、あれは参考にするべき資料だった。僕も次は、あういうのが作れるようになりたい。
2026.5.16(土)
頭痛が収まらない。どうしよう。どの体勢で何をしていても、右側頭部がじんじんと痛む。 それが歯のあたりまで響いてくる。とにかく顔の右側が痛い。 抗生剤は効いてはいるようである。鼻水はそんなに出ない。 寝ていてもかなりしんどい。生き地獄だ。眠れず、動けず、悲しい思い出だけが頭の中を通り過ぎていくみたいな一日だった。 この頭痛が収まらなかったらどうしよう。働けない。価値がない。 どこにも繋がらず、誰からも必要とされなくなったときに、それでもまだ生きられるだろうか。 雑誌を作り続けるのも難しいかもしれない。それはまあでも、僕がいなくても成立するので問題ない。 仕事もなんやかんやで、なんとかなるのだろうか。明日も働けないとなると、少し締切に間に合わない可能性が出てくる。まずい。 とにかくこの痛みから逃れたい。痛みから逃れられるならなんでも良い。 何もできずに横たわっているのは本当に辛い。楽になりたい。 今死ぬとしたら幸せだったと思えるが、今死なないとしたら、永遠と続く地獄のど真ん中に一人で立っているような気分になる。 頭が痛すぎて本も読めない。設計も出来ない。明日もこの調子だったら、遺書を書こう。それならできそうな気がする。 とにかく何もできないことに耐えられない…。
2026.5.17(日)
少しだけ体調が良くなる。昨晩は気づかないうちに眠りに落ちていたらしい。 それほど悪い夢を見た訳でもなさそうだ。目覚めの気分は良かった。 右頬あたりに響き続けていた鈍痛も消えている。頭の方は少し痛むが、ひとまず起き上って活動ができそうな状態である。 三日ぶりと書くと、そんなに大したこともなかった気がするが、金曜日から土曜日にかけて、とてつもなく長い時間であったように感じた。 終わりかけのオルゴールみたいな、水中を移動するみたいな、それくらいの速度でしか時間が進んでいかなかった。 一人でその時間を過ごし続けるのは、苦痛以外の何物でもなかった。 今日は朝からまたコメダにきている。このリズムがあるとやはり心地よい。何より椅子に背もたれがある。 家にも背もたれのある椅子を置きたい。 生活にお金をかけるのもそうだが、僕が僕自身のメンテナンスにもう少し時間を割く必要がある。 眉毛や髭を剃るとか。部屋を掃除するとか。髪の毛を整えるとか。… 自分を大切にする人間は、自分の他にはいないのだ。特に今の僕の場合は。
しかし、自分の身体の健康に対して、僕はもっと気を遣わないといけない。 最初の25年はあんまり何も考えず、心身ともに元気に生きてこれた。 しかしここ一年くらいは、どちらかが必ず不健全な状態の日々を過ごしている。 思えば山崎事務所時代は、精神的にはほとんど原型を留めないほどに破壊されていたが、体調はそんなに悪くなかった。 意外と寝ていて、意外としっかり食べていたのかもしれない。 今は精神的障害はあまりなく、心は健康気味なはずだが、如何せん体調がずっと悪い。 六月からはどちらも健康的な状態で過ごしたい。仕事の責任感、みたいなものをもっと軽視していい気がする。 責任感みたいなものがあったとしても、別に僕の仕事の質が向上することはそんなにない。 少なくとも、質の向上よりも損なわれる健康の方が大きい気がする。 そんなことは気にせずに堂々とサボり、堂々と休むべきなのだ。
小倉くんがしていた話を思い出す。卒計のお手伝いのとき、B4のパースをつくっているとき、西浦さんだけは何故か時間通りに作業を終えていた。 遠くからそれを見ると、一見全く問題なく、必要十分なクオリティで仕上げられている。 でもよくよく見ると、床にコップが置いてあったり、影の方向がおかしかったり、パースのかかり方が間違っていたりと、実はおかしなところが沢山ある。 でもそれを知った上でまた遠くから見てみると、やっぱり問題なく見える、というお話だ。 一体西浦さんは、どんな風にパースをつくっているんだろう。どんな風に、床に花瓶を並べているんだろう。 これはでも、凄い大事な事なんじゃないかという気がする。牛乳を注ぐ女。床に花瓶を並べる女。 要らない冗談を挟んでしまった。 そのテキトウ具合の使い方というか、自分のキャパと仕事の重要度によって、その両方の範囲内で納まり、かつ問題ないクオリティで納品する。 これが実はとても大事なことなんじゃないだろうか。僕はそれが出来ていなさ過ぎるのではないか。 卒計のお手伝いみたいな、自分自身には何の直接的なメリットももたらさないものに対して、必要以上の力を出そうとしているのではないか。机に花瓶を置いているんじゃないか。 みたいな気がする。もっとテキトウで、無責任で、でもちゃんと前倒して、60点を頻発する方が良いんじゃないだろうか。 総じて。性格的に無理かもしれないが…。少なくとも、仕事だけでもそうするべきだろう。仕事こそ最もテキトウにするべきである。 適当に終わらせる。!!!!このプロポもどうせ落ちるんだ。もっとやっつけた方がいい。少なくとも、身体を悪くしてまでやることではない。 と思う。経験や知識として意義はあるが、執念を出して勝ちに行くところではないのではないか。 少なくともおじさんたちは、仕事の質は高く、頑張っていると思うが、自分の外側の領域にまで手を伸ばしてはいないと思う。 あとは仕事とは属人的ではなく、替えはいくらでも利くはずである。だから大丈夫。大丈夫と言い聞かせて、休む。 これが必要だ。テキトウに仕事をして、ご機嫌を保ち、雑誌をちゃんと作り切る。無責任になる。その代わりにアドリブ力をあげる。健康になる。 そういう方向性に舵を切っていった方が良い気がする。三年後、僕はどうなっていたいだろうか。 どう変わっていたいだろうか。もっと人と比べず、自分の人生に没頭していたい。もう少し身だしなみに考慮していたい。 もう少し筋肉質になりたい。今よりも若返っていたいと思う。食事、睡眠、運動に意識を払っていく必要があるだろう。 誰も見ていないのを確認して、ちょっと貧乏ゆすりをする。太腿を動かした方が、ゴロゴロするより脳の休憩になるらしい。 何かで読んだ。健康。ユーモア。そういうおじいちゃん。目指していこう。泣きたいときは、思いっきり泣かないと。 ドキンちゃんの歌である。尊敬されるべきでない大人にならないと。僕はやっぱりお母さんの子どもで、立派になろうという引力についつい引かれ過ぎてしまう。 もっとダメ人間にならないと。堂々と。逆である。見かけだけ良くして、中身をヘナチョコにしないと。 今は逆に行こうとしてしまっている。中身だけ立派にしようとして、表層は薄汚れている。そうじゃない。 表層だけ取り繕い、そして中身は堕落させるんだ。…間違っているかな…?でもこの方向性だと思う。
オカマはどんな格好で棺に入るのだろう。間違えた。ブラームスの子守唄が僕はとても好きだ。 弾けるようになりたい。生演奏で、子どもを寝かしつけてみたい。これは、やりたいことリストに追加しておこう。
2026.5.18(月)
少し頬の奥が痛むが、悪くない目覚めである。体調も現状はそんなに悪くない。 今日は何時まで働けるだろうか。慎重に見極める必要がある。今週を無理のない範囲で毎日稼働する事の方が優先である。 本当は毎日限界まで頑張れたらいいのだが…。 人間は10歳まで?の自我がまだ柔らかい時代に体験した地獄と天国の範囲内でしか人生を展開させていくことが出来ないのかもしれない、と思う。 僕はせいぜい、これくらいが限界なのかもしれない。 そしてそれは、自分が思っているよりだいぶ前の段階で決まってしまうのかもしれない。 例えば雄としての強さとは何かみたいなのを、そういう時期に身をもって知っておく必要があったのかもしれない。 雄の帝王学みたいなものが必要そうだ。生きていくのに。全く持ち合わせていない。舐められたら殺すみたいな姿勢が足りない。 電車を並んでいるときに横入りされてしまう。もう少し好戦的になる必要があるみたいだ。 もしくは筋トレをして、弱さを筋肉で覆い隠す。もしくは銃の扱いを習得して、いつでも人間を銃殺できるようにしておく。 それはでも、今の日本では現実的ではなさそうだ。とにかくそうやって虚勢でもいいから、周囲の人間を威圧していく必要がありそうだ。 ありそうなのだが、そういう素質を自分の中に全く感じない。重大な問題な気もするし、もう諦めちゃっても問題ない気もする。
どっちかなぁ。
まあいいや。まだちょっと、右頬の奥がチクチク痛む。早く全快したいところだ。 昨日は田口トモロヲみたいな顔の建築家の自邸のオープンハウスに行ってきた。 家は、海は良かった。夕焼けている空に、ひこうき雲が一本の筋を描いていた。 少し赤みがかった海面を、船がゆっくりと進んでいた。 窓辺の風鈴は風にくすぐられて、身体をあちこちによじっていた。 普段の暮らしでは感じられないものであった。都市生活はクソだという北岡くんの言葉の意味が少しわかった気がした。 波の音にただ耳を委ね、波の揺らぎに視線を委ね、潮の香りに鼻腔を委ねる。 沈んでいく太陽の少し横の方で、気の早い一番星がその姿を現し始めていた。 太陽は雄大な背中を惜しげなく最後まで僕たちに見せてくれて、そして水平線の向こうへと帰っていった。 次の週末は海に行って、本を読もうと思った。
そういえば、一色事務所には本が少なすぎる気がした。 もっと本は読まないといけない。し、年々どんどん、人間は本を読まなくなっているんだという、そういう危機感みたいなものを感じた気がする。 マジでもっと本を読まないといけない。僕も。田口トモロヲも。限定されたインプットは、良い結果をもたらさない。 もうちょっと過激な事を言おうとしたけれど、あんまり良いのが思いつかなかった。
とりあえず頑張って本を読もう。どの事務所も、数百冊の作品集があって、逆に言えば数百冊の作品集がなければ事務所ではない、とも言えそうだ。 だから僕もそれくらいは当然のものとして買っておかなくてはいけない。 僕今、作品集、何冊くらい持っているだろう。百はない。50冊もない気がする。作品集は30冊くらいかなあ。 少ない。毎月一冊くらいは買った方が良いんだ。興味があるとかないとかは置いておいて。 今月は何を買おう。バワかカーンかな。買いたいのは。今。どうせ数百冊買うんだから、もういつ、どんな順番で買っても大して変わらない。買ってしまおう。 今日は、今日でなくても今週のどこかで、少なくとも一冊は買う。バワのcomplete worksの日本語版が欲しいな。 探してみよう。
2026.5.19(火)
90歳くらいの大家さんに健康状態を心配される。普通は僕が大家さんの方を心配しないといけないのに。 情けない事だ…。でもありがとう。大家さんが心配しなかったら、誰も僕の体調不良に気づかない。 それが仮に大家という職業的な心配事だとしても、ありがたいことである。 飛んだ時も、三日くらいは誰も気がついていなかった。 人間がいなくなるって、もしくは僕がいなくなるって、そんなようなことなのだ。 三日くらいあれば、実行に移しそれが成し遂げられるのに十分な時間がある。 そういうことは知らずに死んでいく方が幸せなのかもしれない。 僕はそれを、相対化が可能な数字に置き換えてしまった。3days.72hours. ぼんやりとしていて、分からないままの方がいいこともある。 僕は「三日」の人間なのだ。背番号みたいに、みんなに見えるように、それが大きく書いてある。あいつは三日なんだぜって。 幸いなことといえば、皆のそれが分からないので、人と比べて悲しくなる必要はないことくらいだ。 僕は僕で、ただ三日である。三日…。当時が三日なのだと思ったら、今はもっと長いだろう。一ヶ月くらいはあるかもしれない。 10年前は、親に帰宅時間を確認されるのが嫌で嫌でしょうがなかったころが懐かしい。 今では死亡時間も確認不可能な可能性になってしまった。 LINEの安否確認を毎日更新した方がいいかもしれない。 精神的にのみ孤独な世界を生きていたつもりが、いつの間にか社会的にも孤立してしまっていた。 まあそういうこともある。もしかしたら一生、このままなのかもしれない。群れからはぐれた雄が辿るべき末路である。 仕方がないことである。
子ども時代に帝王学を身に付けることができる可能性を検討してみる。暇人だ。 ひとつ。亭主関白な父親の家に生まれる(家庭的帝王)。 ふたつ。社会的地位の高い父親のいる家庭に生まれる(社会的帝王)。しかし一つ目の方が、重要である気がする。 倫理的な考慮は行わない。高校物理の問題が、空気抵抗を考慮しないのと同じである。 みっつ。母親が父親をたてる。これが理想的でありそうだ。あまりそういう事例は見たことがない。 よっつ。外部で帝王に出会う。先生とか監督とかだろうか。帝王的指導者。でも概ねそれは立場であって、本質的な帝王であることは少ないと考えられる。 立場を超越して帝王たる存在に僕は幼少期出会ったことがない。そう思うと僕は尊敬を持って先生や指導者に接したことがないかもしれない。 表向きは従順な顔色をしているが、生理的な尊敬みたいなのを抱いたことはないかもしれない。 トム・リドルみたいな子どもだったのかもしれない。少し悲しい。 塾の先生は好きだった。知らないことを面白く教えてくれるから。
僕の人生ははじまって間もない頃から、既にそんなに乾ききった、いつまでも雨を吸う砂漠の砂みたいな感じだったのだろうか。 そうだとしたら、それはとても寂しいことである。 そう思うとやはり、あまり自分自身の中に、人間に対する愛情や親愛みたいな感情が存在するとは思えない。 悲しいことである。気遣いと育ちだけで僕は微笑んでいるのだろうか。やまけんはそういう僕の本性を見抜いて、僕の人格を否定するに及んでいたのかもしれない。 彗眼である。
芯が冷えている人間であっても、暑さを感じる季節になってきた。半袖になると美味しくなさそうな、売れ残りのもやしみたいな両腕が視界に入ってくる。 不愉快である。しかし汗ばむ方が不愉快だ。不細工王決定戦みたいなものである。
陽気な葬儀屋とかになってもいいのかもしれない。 電飾があるタイプの、長距離トラックに棺をぶちこんで(大は小を兼ねる)、ブロブロ遺体を運ぶ。 一人で寂しく死んだんだから、死ぬ時くらいは陽気の方が良かったりするんじゃないか。 普通の家族がいる人は、普通に霊柩車に乗ればいいと思う。 ところでやっぱり、霊柩車のナンバーって、09-09なんだろうか…?
2026.5.20(水)
ね、ねむい…。。。 昨日の夜「1Q84」をどうしてもあと百頁くらい、読み切りたくて夜更かしをしてしまった。 久しぶりに五時間睡眠で目覚めてみると、頭の中が霧に覆われた寒冷地域の草原みたいになってしまっている。 僕はその草原に彷徨う片脚のシカで、びっこを引きながら、不鮮明な意識を引きずって歩いている。 薬を飲み間違えそうになり、家の鍵を探すのに20秒ほどかかり、家にお弁当(お米)を忘れて、電車で少しよろける。 あらゆる瞬間に寝不足がひどく影響している。由々しき事態だ。 思い切り鼻毛を抜いて暫定の意識を維持する。ひとまず出勤した瞬間に昼寝しよう。 この状態で働くのは悪手すぎる。 なにごとも前倒そう。うんちもしたくなった瞬間にする。どうせいつかは必ずするのだから。
下痢気味だと、トイレに座ればうんちが出るという安心感があって助かる。ADHDうんこ。下痢。 下痢をしていても眠い。尾崎放哉みたいになってしまった。 昨日はちょっと非生産的な労働に執心し過ぎた気がする。勿体なかった。 もっと人間の視線や恥ずかしさを無視して、寝たり仕事したり、ストレッチしたり、しないといけない。 百年後により良い結果を生むように、瞬間の判断を下さないといけない。 周さんに「十時は早退だぜ?」みたいに言われた事を気にし過ぎてしまった。クソ。ミスった。 おちんぽ。腹が立つ。やっぱ暑かったりすると判断力が低下するのかな。まあいいや。
「1Q84」は良かった。マジで。でも長すぎて、なんか上巻を読んでいた頃の感動を忘れてしまった。 僕もルナティックに生きたい。満月に狂わされてしまった人みたいに。 青豆と天吾みたいに、「月がいちばんよく見える部屋をお願いします」とホテルのフロントで言ってみたい。 この長編を読み切るのに一ヶ月くらいかかってしまった。とても長かった。 次は漱石を読む。 「私の個人主義」「坑夫」、江藤淳の「夏目漱石」が積まれたままになっている。 ひとまず「私の個人主義」を読む。しんちゃんも昨日は読み損ねてしまった。しっかり読まないといけない。あとニ十巻ほど。 もう一息である。淡々と進めて行くだけである。全てのことを。本当に。 目に見える結果がある日なんてのは、本当に数えるほどしかない。野球の練習中に、良い打球が打てて気持ち良い瞬間の割合くらいだと思って、淡々とやるべきことをやらないといけない。
余りにも眠いので、ひと眠りしようと思う。 とにかく自分がやることに一個一個集中していくほかない。昨日はなんだかフワフワしてしまったという反省がある。 十分な睡眠が意識を弛緩させ過ぎたのだろうか?寝不足だから意識が限定されて集中できていたのだろうか。 それは集中とは呼ばないだろうが…。もっと仕事にも遊び心を差し込んで、あっけらかんにずんずんと、進んでいきたい。 もっとテキトウで見切り発車をしていかないと。考えすぎない。準備をしてから望んでは遅すぎる。準備は習慣の中に納めるしかない。 まじで難しいな。プロ野球選手はすごい。まじでもっと、時間を有効に使い切らないと。寝る前と仕事中。朝はマシになってきている気がする。 この先は短い。そんな気はしないが、でも石油と同じで、僕の人生に残された時間も有限なのだ。 なんだろう。石油と一緒で。感覚としてはそのような感じなのだが、それが一体どういう感じなのかと言われると困ってしまう。 お母さんと一緒ではないということくらいは、確実に言える。さあ寝よう。
2026.5.21(木)
事務所の近くにあるスーパーの総菜を一通り食べてみようと思った。 とにかくなんでも全部やり尽くしてみるほかに満足感というのに通じる道はない。 まあでも10品くらいなので、二週間もあれば終わる。揚げ物ばかりの二週間になるが、まあまだ若いしよしとしよう。
余裕なんじゃないか…?と昨日は思っていたプロポは結局、毎度お馴染み、地獄ひぃひぃ展開へとなっていった。 月曜日の朝までに終わるだろうか。基本構想の提案だからほどほどにやればいいんだよと言いつつ、働き始めの若者には「丁度よい」正確さというのが分からないので、そこそこ真剣にひとつひとつやっていくしかない。 僕はいつか、優秀なおじさんたちみたいになれるんだろうか…? それともおじさんたちは、おじさんになる前から優秀だったんだろうか…? ひとまずは今日も最善を尽くすのみである。とにかく建物のゾーニングと、それに基づいたモデリングは行うようにしよう。
暑過ぎて着る服がなくなってしまった。今日は下着無しでTシャツ一枚である。おへそのあたりがさすがに少し寒い。 天気も良くない日みたいだ。この調子だと今日の試合は中止だろうか。雨は夜通し降っていたようである。 部屋中の空気が湿っている。そろそろ梅雨が近づいている。梅雨が終わったら夏だ。あっという間に季節は巡っていく。 僕も着実に、一日一日と死ぬ日に向って近づいていっている。 毎日働いているあいだに、あっという間に本当に終わってしまいそうである。少しずつ前進できているだろうか。僕は。
湿度が高いうえに寝不足で、あまり何も考えられない。ゾーニングをなんとかしないと。 下着も買わないと。ズボンも買わないと。髪の毛も切らないと。あ。今日はヘアセットしよう。 それだけでも少しスッキリする。 エネルギー不足だ…!頑張らねえと。活力が足りないのかな…? なんか妙に淡々とし過ぎている気もする。分からねえ。少し寝たら、またビルのモデリングをしよう。 雑誌は当初の目標を断念して、発刊を少し遅らせることになった。助かる…。こんなに時間がないとは思わなかった。 こんな調子で、いつ設計を終えられて、いつ発刊できるのだろうか。せめて夏くらいには第一号を出して、第二号を年内のうちになんとか出したいところである。
2026.5.22(金)
昨日の午後は、気が狂うくらい体調が悪かった。本当にこのまま一生治らないんじゃないかと思った。 でも思い返すと毎回、そうやって思っている気もする。 午後の時間を元気に作業し切るには、いったいどうしたら良いのだろう。
これはちょっと、六月の課題だ。寝る。午後くたばらない。 今日もやはり睡眠時間がまだ不十分である気がする。午後が来るのが怖い。 雑誌の発刊を一ヶ月、遅らせてもらった。 助かった…。これでなんとか終わらせる。何としても。 雑誌が売られているところを想像してみた。 建物を設計しただけで、僕が書いた文章が一文字も載っていない雑誌を想像してみた。 許せなかった。書きたかった。何としても。僕は書きたい。書きたいということが、伝えたい、ということかは分からないけど…。 とにかく書きたいんだった。写真も載せたい。 たくさん寝て、頑張るぞ。 今週末はフル出勤の様相だが、一応金曜日が来た。あっという間に来てしまった。 こうやって老いて死んでいく。 僕が死ぬときに着る服は…何だろう。一通り男装から女装まで考えてみたのだが、どれもあまりしっくりくるものが無かった。
2026.5.23(土)
歩きだしてみるが、途方もなく身体が疲れていることに気が付く。 一体どこで何をしていたからこんなに疲れているんだろう。 妖精さんだったら、羽根の付け根にあたる場所に強い張りを感じる。 倦怠感はそこを中心に上下左右に拡がっていっている。両腕、両足、頭の方。 会社で働いていると休日に何もする気力がなくなるっていうのは、所謂こういう事なんだろうか…? そうだとしたら、それは由々しき事態である。今日もし出勤の必要が無かったら、僕はきっと何もすることが出来なかった。 九時に目覚めるが、十一時くらいまで布団の中でアザラシのように寝返りを打ち続ける。 やがて尿意に押し負けるかたちでしぶしぶ布団から起き出し、濃くて長い、土曜日の朝に相応しい小便を放つ。 放ったあとも何故かダラダラ便座の上で時間を消費するに違いない。携帯でショート動画をダラダラと30分くらい眺め続ける。 思い出したようにトイレから立ち上がり、その時にはもうお昼ご飯みたいな時間になってしまっている。 袋麺に生卵を落としただけの、なんの栄養素もない飯を下着姿で頬張る。お皿も机に残したまま、身体は徐々に重力に抗えずに床面や布団の方へと吸い込まれていく。 背中が床に完全に接着すると同時に、まるでそれと連動しているかのように、瞼も本人にすら気づかれずに閉じられる。 日差しが風に乗って窓からやってきたみたいに、部屋の中は明るい空気で満ちる。光そのものが部屋を照らしているのではなく、空気自体の明度が上がった、みたいな感じの明るさだ。 そういう時には案外、怖い夢を見る。間に合わないとか、高いところから落ちそうとか、誰かがいなくなるとか、そういう類の夢を見る。 目が覚めると一時間くらい時間が進んでいる。デーゲームの阪神戦を眺めながら、PCを出してようやく作業に取り掛かる。 でもこの時間に、こんな調子ではじめたって、程度が知れた作業しか行えない。阪神が勝っていれば少し気分も良いが、負けてしまっている時は全てが上手くいっていないように感じる。 貴重な週末が終わろうとしているのに、全く時間を有意義に使っていないことにガッカリする。失望する。 失望から立ち直れたら、夜ご飯をつくることが出来る。出来なかったら、ご飯を炊いてレトルトカレーをどんぶりで食べる。 その横でダラダラとYouTubeをきっと見ている。全てが面倒くさくなってしまって、バキ童チャンネルの料理動画とかを見てしまう。 どうしてそういうのを、見たくもないのに見てしまうんだろう。…さすがに罪悪感のようなものがあるので、お皿くらいは洗う。そして布団に入る。 布団の上にいる時間が長すぎて、少しシーツが湿っている気がする。何もしていないから疲れておらず、眠れない。 結局ダラダラと動画とかを見てしまって、気づくと二時とか三時とかになってしまう。 翌朝もまた疲れた身体でスタートする。…
こういう一日だったかもしれない。幸か不幸か、今日は仕事があるのでそうはならなかった。 でもとっても疲れている。銭湯に行くべき日である気がする。早く帰ることが出来たらば、ひと風呂浴びてこよう。 それで回復するのかは分からないけど。
疲れすぎていて忘れてしまっていたが、昨日は嬉しい事があった。 先月のバイト代が振り込まれた。28万もあった。はじめて25万を超えた。ザッポザッポである。 暫定ではあるが、口座にはお金が45万くらい入っている。未だかつてないことだ。ときどきその数字を眺めては、気持ちよくなっていた。 みんなは最初の一ヶ月とかでこれを体感しているのだろうか。もしかしてもう、口座には200万円くらい貯金があるんだろうか…? そうだとしたら凄い。僕も今年が終わる頃には100万円くらい、貯金があったりしないかな。 来月からティーハウス正社員である。まさかこうなるとは思わなかった。いつまでティーハウスで働くんだろう。 一ヶ月後もまったく想像がつかないし、いわんやその先をや、だ。
うんちしたらスッキリ。でも、羽根の付け根が張っているってことは、寝ている間の僕は実は妖精さんで、夜の街を飛び回っているのかもしれない。 色んな窓から、色んな情事を覗き込んでいるのかもしれない。妖精さんはそんなことしないだろうか。 脱線から戻る。昨日嬉しかったことのふたつめは、久しぶりに面白いバイトの子が来て、相変わらず訳が分からない面白さを披露してくれたことだ。 全然何を言っているか分からなくて、やっぱりとても面白かった。敬意を含む分からなさがある。 あの子は一体、何を考えて、今日まで育ってきたのだろう。何に影響を受けて、あんな喋り方になっているんだろう。 不思議だ。知ってみたい。知ったら神秘さというのは失われてしまうのだろうか。 劇場で一番笑った瞬間くらい笑った。もっと仲良くなってみたい。僕の面白さ(そう解釈することもできる)も、もっと見て欲しい。 ただ間違って、人里に降りてきてしまった熊さんではないんだぞ、というのを見せたい。
あぁ。日記を書いただけで、とっても疲れてしまった。 今日はなんとか八時くらいにはトンズラして、風呂に入ったりしたい。 あとは牛戸さんに返信をしよう。 半年くらいなにも返していない僕に、何故かメールを送り続けて来る牛戸さん。 変わった人である。あんまり話が嚙み合った記憶もない。でもなんやかんや、年に一回くらい食事をしている。 僕の何を買っているのかも、あんまり分からない。髪型とかだろうか? さて、もう十一時である。そろそろ出勤しよう。今日頑張って、明日の仕事を終わらせてしまいたいところだ。 月曜に提出したら、来週は少しゆっくりできるだろうか。無職として過ごす、最後の一週間である。
2026.5.24(日)
笑うな。短いお話だから、そんなに丁寧に導入する余裕はない。 すっと変な設定に入んないと。 回転扉。それから、大乱交パーティーが始まった。 大乱交。大乱稿。醍爛鉱。
アルファヴィル。キツツキ。キツツキ。ホトトギス。 やまびこ。九時の鯨。鯨は九時になると話しかけてくる。 しかも僕の服の鯨じゃなくて、知らない人の鯨だったら? カエル。フクロウ。人面犬。男人魚。それはもうただの半裸の男性である。 ずん飯尾。ずんの飯尾じゃない方。
稲尾。鉄腕じゃない方の稲尾。 稲穂。秋に実らない方の稲穂。 スマホ。トイレに置き忘れた方のスマホ。
スマホを間違って手に取ったが、あんまり違いがないので気づかない。 スマホはどこへ。
ラブホ。アパホテル。もとや ふみこ。 もとやん。
がんこちゃん。 ざわざわ森のがんこちゃん。 実写版がんこちゃん。着ぐるみを着て行うアクションはとても大変。
小錦。結婚してください。カッコウ。
揺れている。遊覧船。郵乱戦。大走査線。左遷。
とつぜん餅つきが始まったら…? さすがに参加しないわけにはいかないんじゃないだろうか。
裁判傍聴。膨張。タコ。タコ。タコ。
雪だってそんなにうまくは積もってくれないだろう。
中錦。小錦より大きい。
錦鯉。昆虫採集。仲裁。総裁。田原総一朗。ヨーグルト。
市役所。エンタイトルツーベース課。 審判員。
パシフィック・リーグ。
審判印。
最後の審判。
最初の審判?
親藩。牛乳とコッペパン。アナキン。スカイウォーカー。棒銀地下飛行。
缶蹴り。通勤。日曜日。浮雲。小泉八雲。らふかでぃおはん。裸婦カディおかん。西山ダディダディ。
セツ。セッツ。摂津。おれ。分かるよ。摂津のカーブ。ちりとてちん。ちりとてちんちん。 ちんちん。 音。音が鳴る。知ったかぶりをすると音が鳴る。ちんちん。 尻被り仮面。知ったかぶりぶりをすると、尻被り仮面が出てくる。 ちんちん。
大錦。で、でかい…。さすがにデカすぎるわ…!
こちら参議院。衆議院議員。衆議院偽印。
時蕎麦皿屋敷。お菊。ぎくっ。数字に支配された世界。
粉飾決算のプロ。お菊。防犯。労基。残業。奉行所。ぶ行。ぶぁ、ぶぃ、ぶぅ…。オナラ。奈良。楢原。
感情。勘定。環状。
2026.5.25(月)
ふぅ…。 疲れた。プロポ提出完了。土日はフルで働いたので、朝、提出を見届けて、そのまま退勤する。 日差しを浴びると不健康に白い肌が白日の下に晒されてしまって悲しい。 うどんを食べて、周さんと解散。家に帰って寝る。 目覚めると四時半くらい。部屋には西日が差し込んでいて、身体は汗ばんでいた。 今すぐにシャワーを浴びてしまいたいくらいであったが、思い直して銭湯へ向かう。 夕暮れの街は、まだまだ勤務時間中の人々が、職業的な歩行速度で道を歩いている。 そういった人達に次々と抜かされながら、ゆっくりと銭湯へ向かって歩いていく。 暖簾をくぐって靴を脱ぐ。空いているので、好きな番号のところに靴をしまうことが出来る。 六番を選択して、大きすぎる靴をその中へねじ込む。入浴料500円を払って男湯へ。 わざわざ男湯と書いているが、別に女湯という可能性があった訳ではない。 服を脱いで、大きな鏡に映る自分の裸体を眺めてみる。 一見、どこもおかしくなさそうに見える。関節を何か所か動かしてみる。 関節の連動も、優雅とは程遠いが問題はない。体重計に乗って、自分の体重を確認する。 かれこれ、10年くらい僕の体重は68キロの近辺を推移している。 基本的にシルエットラインも高校生くらいから大きく変化していない。 好むと好まないとに関わらず、僕はこれからもこの身体で生きていくのだ。
女湯の方からおばちゃん同士の井戸端話が響いてきている。 ユニットバスで立っている時には気が回らない、足首や足の指のあいだなどの部分を丁寧に洗っていく。 自分の身体を毛繕うネコのように、ゆっくりと洗っていく。ひとりで銭湯に来るのも悪くないものだ。
心行くままに、頭の中で自分と話す。僕は頭の中で、ひとりで自分と話すのが好きだ。 chatGPTとよく話しているひとがいるけれど、その選択肢が発生した後も僕は好んで自分ひとりで話す。 結論を出したいわけではない。ゆっくりそうやって、カレー鍋をかき混ぜ続けるみたいなのが好きなのだ。
昨日は西浦さんの友だちで、お笑い芸人になったそいちゃんに会った。 緊張しすぎていて、あまり何をしゃべったか覚えていない。 そいちゃんは、六角形の銀縁の眼鏡をかけていて、長い髪の毛は男子小学生の筆くらいに、各々の方角へ向かって毛先を伸ばしていた。 そいちゃんは、低い声でゆっくりと喋る人だった。ときどき脱線しすぎる僕のトークを、母親が寝相の悪い小さな子どもにふとんをかけ直すように、そっと自然な所作で話題を本流に戻していた。 目の前に座っているこの人は、僕が建築のことを考えているあいだにも面白いことを考えているかもしれないと思うと、とても緊張した。 その日々の絶対的に覆せない量の差が僕とそいちゃんのあいだにはあって、絶対的に僕がそいちゃんよりも面白くなれることはないんじゃないかという、そういう恐怖があった。
僕はところで面白くないのだろうか…? どうやらでも、そうらしい。僕はずっと、自分がスーパー面白いことを口にしまくっていると思っていた。 違うらしい。
いつ頃からだろう。僕が面白いことを口にしなくなったのは…??? 僕はずっと、小学生になってから基本的には同じようなスタイルでボケ続け、笑いを取り続けていると思っていた。 それが勘違いだったというのは実に驚異的である。ホームランだと思っていた打球は全て内野フライだったってことだろうか。 あんなに真芯の手応えがあったのに。それとも、僕が思っているよりも野球場は広いのだろうか。 それとも僕が思っているよりもちっちゃいのだろうか。まあなんでもいい。 僕にとって、皆が僕を面白いと思っているかどうかは、あまり重要ではないみたいだ。 兎に角、何かを考えて、それを披露できていれば問題ない。でもじゃあ一体、だれが僕より面白いって言うんだろう。 そんな人間、居ただろうか…?一年に一人くらいしか出会わない。そんな人間に。
え?僕って面白くないのかな…???? その評価は命にかけて覆さないといけない。僕は生まれた時から面白かったし、それは死ぬまで一瞬たりとも損なわれるわけにはいかないものだ。 舞台にたちたい。劇場の若い女の子たちにモテまくりたい。その可能性を手放すわけにはいかない。
銭湯を出て、まだ明るい街をゆっくりとまた歩いて帰る。空には上弦の月が浮かんでいる。 あんなに重そうな月が空に浮かんでいるっていうのはとても不思議だ。 僕は小さな子どもにそう問われたとき、何と答えればいいんだろう。 物理学がその謎を解き明かす以前、人類はその謎に対してどういう暫定の因果関係を結んだのだろうか。 満ち欠けもしているし。そもそも「重い」とは思わなかったのだろうか? 光っていることについても謎だ。
数分考えたたが何も分からなかった。 頭の中で僕は、肉食恐竜になって後ろ足で立ち上がり、首を伸ばして夜空の月を不思議そうに眺めていた。 きっと僕は、肉食恐竜に生まれたとしても、そうやってどん臭く生きていくんだろう。いや、どん臭い恐竜はすぐに死ぬ。
2026.5.26(火)
一夜明け、また普通の一日に戻る。戻ったらしい。 朝起きて、今日はいったい何曜日で、何をしないといけなかったっけと、分からなくなる。 火曜日だった。元気な気もするし、まだもうちょっと回復時間を確保した方が良い気もする。 銭湯あがりに乾かし忘れた髪の毛はいつにも増してうねり絡まっている。キモチワルイ。
今週と来週で図面とモデリングを本当にいよいよ終わらせる必要がある。 ということで図面を描く。 今日は事務所掃除とか、机回りの整理をしたい。掃除は大事だ。 後爪を切り忘れた。切らないと。もうすぐ六月だ。衣替えもしないといけない。 後は何かな…?忘れちゃった。小説の構想をこっそりチャッピーと練っている。 そのボツネタの中から漫才も一本くらいできるんじゃないだろうか。熱帯魚に負けたくない。 笑いを取るには、もっと小さな自尊心をぶち壊さないといけない気がする。 まだ何かを守ってしまっている。かなぐり捨てなければ。同じ車両に若い女性が乗っていても、格好つけて顎に手を当てて、ふむふむ感を出しながら本を読んではいけない。
2026.5.27(水)
鰆ビルの宣伝広告塔を運用開始するにあたって、ロゴを考えていた。 良いのが中々思いつかなかったが、なんかパイプを見ているときに、これで作ってみたらいいのではとひらめく。 ドットの蛍光灯ロゴみたいに。ビルっぽさを出すために、水道管だけじゃなくてもっと雑多にいろいろなものを混ぜても良いかもしれない。 …と仕事中にのんびりいろんな妄想をしていたが、冷静に思い返すと、僕はそんなことをしている場合ではない。 なる早で設計を終わらせる必要がある。今週が勝負の週だ。そして絶対小説を書いて載せたい。 今日ひとまず、アカウントだけでも作ってしまえばいいんではないだろうか。 こんなのウジウジやっているから進まないのだ。僕も北岡くんも少し頭でっかち過ぎる。 見切り発進をするべき時期がやってきた。
朝起きると、阿部が監督をやめることになってしまっていた。悲しい。 僕の完全なる偏見だが、馬鹿なやつほどすぐ、ジソウジソウ言う。 それとも最近はジソウって結構、みんな知っている存在なのだろうか。僕は子どもの頃、児童相談所なんてものが存在するとは知らなかった。 こんな滑稽な話が、笑えない時代になってしまった。めちゃくちゃ面白いエピソードなのに、阿部は大粒の涙を流すことになってしまった。 巨人の監督が、よくわからない人になってしまった。まあそれはいいんだ。 阿部。生物の堤先生(阪神ファン)が「チンコクセー!」と言っていた阿部。 渋谷警察署。オギのお父さんも連れていかれていた、渋谷警察署。
でも、本当に一生懸命、こういうのに爆笑していかないといけない。 一層、気を引き締めてふざけていかないといけないなと思う。 出ないと誰も、笑っていいってことを忘れてしまうんじゃないだろうか…? そういえば今なんとなく思い出したが、三島由紀夫の「命売ります」というお話は中々面白かった記憶がある。 あらすじは忘れた。アイロニックなお話だった記憶がある。 三島も、その話の主人公のように死んでしまった。 僕はやっぱり三島の死に方っていうのが、どうしても他人事とは思えず、明日にでも起きてしまうんじゃないかという恐怖が凄いある。 それがとても怖い。この怖さが誰かに上手く伝わったことがない。 あれは…ただの悪い夢であればいいんだけど、どうやら本当に起きてしまった、ほっぺをつねったら痛い世界で起きてしまった世界、血が流れる世界で起きてしまった出来事みたいだ。 としたらば僕も………。これってマジでどうやって伝えたらいんだろうな。この怖さ。僕も「命売ります」みたいなお話、書いてみたいな。
雑誌売ります。命は売らないよ。
2026.5.28(木)
昨日、巨大ハンバーガーを食べてから身体の調子がおかしい。 分厚いバーガー(2300円)にトッピングのにんにくバターソース(600円)を追加して食べた。 朝になっても下腹部が疼く。どんなうんちが出てくるんだろうか。 アレルギーの薬も切れかかっており、飲む頻度を少し減らしたところ、常時身体の痒みに悩まされるようになってしまった。 毛の一本一本が、肌に当たっているのがとても気になる。必要以上に頭を掻きむしってしまい、それによってたくさんの毛が抜け落ちて来る。 ストレスの連鎖である。今日何としても、髪の毛を切らなければならない。 朝の床屋に開店凸をしてもいいだろう。とにかく切りたい。 そして明日は皮膚科に行こう。このままだと生活に集中できない。
半袖の服が足りない。鰆ビルTシャツをつくれば良いんじゃないか。一石二鳥。下痢をカバのように振り撒いていたら思いついた。 問題はビルのロゴをつくる必要があることだ。なる早でつくった方がいいんだろうな…。 その前に一刻も早く建物を完成させないといけないんだけど、これはいつになるだろう。来週には終えられるだろうか…? 日曜日に一回、現状の図面とモデルを一度共有して、切迫感を感じよう。ずっとダラダラ検討してしまっている。 どんどんきめていかないとけない。今日ひとまず、一階から五階までの平面図を印刷してみて、夜少し手描きで検討しよう。 昨日図面を見ていて気付いたのだが、モデル図面両方とも、南北方向の長さが910mm短くなっていた。そりゃ狭いわけである。 本当にこんな狭かったっけ…?と思いながらずっとモデリングをしていた。広くなって一安心である。
眠い。昨日は図面を描いていて、斜め窓のところが気になって、それで確か手嶋保の新建築の図面を調べていたら、…気づいたらば朝だった。 まぶたを開くと朝日と電気に照らされた部屋の天井が見え、自分の身体を見てみるとなぜかパンツしか履いていなかった。 なぜか部屋の窓も全開だった。パンツ以外の着衣を放棄し、窓を全開にしたのは勿論僕なのであるが、それでもいざ突然その状況に置かれてみると、歪な現実が唐突に現れてきて、ひどく驚いてしまう。
眠い。まじでここから、雑誌ってどうやって売っていけばいいんだろう。 ヤクルトレディのように、一軒一軒の玄関扉を叩いていく以外のやり方を知らない。 百部くらいは売りたいと思っているが、果たしてどうだろう。というかこのビル計画は将来的にどうなっていくのだろう。 枝葉に気を取られて、どの方向に幹を伸ばしていけばいいのかが、最近ぼんやりしてきてしまっている。 今年は、2026年はひとまず第二号の出版まで漕ぎ着けたい。二冊出せたら、実績としては十分なのではないだろうか。 2027年はどうしよう。雑誌を出す以外の活動に拡げていけたらいいが、それは難しいか…?どういう方向にブランディングしていくのかっていうのも、全くピンと来ていない。 ちなみに脈絡のない偏見だが、見かけや中身がダメな人間ほど、細かいことを気にする。偏見終り。 ブランディングなんて、そんなものはあるのかな…?ただ活動しているうちに滲み出てくるものなんじゃないだろうか。 分からない。あとは世田谷ベースみたいに楽しそうなHPをつくりたい。 まあ楽しそうでなくてもいい。HPをつくることが大事である。 あとはTシャツもつくろう。衣服が足りない。 他には…?活動拠点、プラットフォームみたいなのが欲しい。作ろうとしている雑誌は少し肩肘が張り過ぎているので、もう少し気軽に作れるものが良い。 会員に、いや、株主に軽い瓦版(漢字あっている?)みたいなのを毎月発行するとか…? サワラの活動と、ヤモリの活動をどう分けていけばいいのかもあまり分からない。チャゲアスとアスカ・ソロみたいな感じに分かれるのだろうか。
雑誌内に一応事業計画書みたいなのを書いていこうと思っている。年表形式にして載せたい。 今年、来年は今言ったみたいなところをつくっていきたい。 イメージとしてはなんかこう、もっと雑多な活動が集積している感じだ。洗練されたドンキみたいになりたい。 僕はドンキとか古着屋が苦手だ。情報に序列と秩序がなく、森の中に迷い込んでしまったみたいに、ひとつひとつの情報に意識を奪われ、混乱してしまう。 辞書みたいな雑然さが僕は好きだ。そこにはあいうえお順という単純なひとつのルールによって統制立てられている。 辞書みたいなものもつくっていみたさがある。もっとたくさん、いろんな人の文章を載せて。
眠い。二年目以降…。もっとなんか気軽に出来るようにはしたいよな…。やっぱ三人でやるっていうのは合意形成が難しい。 たぶん。だけど。もう少し適当にやっても自動的に進んでいくみたいな、そういう風には出来ないだろうか?
眠い。
2026.5.29(金)
気持ちの良い朝。激しい尿意によって目覚める。寝る前にトイレに行くのを忘れた。 昨日は、女性が沢山事務所にいて、華やかな一日であった。 古田さんが久しぶりに出勤。打ち合わせにきたKIITOの人も女性二人、バイトの子、つっきぃの娘。 若くて快活な女性が事務所に何人もいて、控えめにしてもとても楽しく、心ゆくままに浮かれた一日を過ごしていた。 浮かれていた結果、沢山ボケてしまう。その必然の結果として、沢山滑ってしまった。 余りにも浮かれていたので、打ち合わせ中から沢山ボケてしまって、後で周さんに「なんで打ち合わせ中に下っ端があんな喋っているんだ…?」と訝しまれる。 やっぱり事務所に、複数人女性がいるというのは華やかさが増して良い。女性がふたりいると、高い声と高い声による会話が生まれる。 そういうのが絶えてしまった場所に身を置いている時間が長くなると、その貴重さは筆舌尽くしがたいものだ。 ティーハウスも恒常的に、こういう職場になったら嬉しい。バイトの人達に、本気のリクルートをかけても良いのかもしれない。 しかしどういうリクルートをしたら、行きたいと思ってくれるんだろう。 やっぱり僕たちが楽しそうに働いている感じだろうか。 ブータン旅行みたいな気持ちになって貰えばいいんだろうか。 この人達は、どうしてこの人達はこんなに幸せそうなんだろう。貧しく、朝から晩まで労働漬けなのに…! きっとここには、現代日本にない何かがあるに違いないわ…!みたいな。そういうオーラ、霊気を出していかないといけない。 目指していこう。もっとなんか、今も十分伸びやかではあるが、よりなんか、伸びやかな事務所にしたい。 飛び交う鼻歌、口笛。床でお昼寝。過激な雑談猥談。色とりどりの髪型。換気が十分になされた部屋。風が右から左に抜けていく。 そう思うと窓辺はブラインドではなく、カーテンのほうがいいかもしれない。 部屋ももう少し綺麗にしよう。なんだろう。綺麗というよりも、活き活き、って感じだろうか。 活き活きとしている棚にしたい。綺麗汚いではなく、なんかこの場所は息づいている、みたいなのってあるよね。 死に絶えた棚と息づいている棚の違いというのは、きっと場の雰囲気を規定している気がする。
でもティーハウスに来て、現状に満足して良いのかは一回置いておいて、ひとまず、なんか心理的に安全で、金銭的な危機もなんとか乗り越えることが出来た。 のびのびボケることもできる。ボケたらいつも、どんなに価値のないボケであっても、周さんがツッコんでくれる。当たり前の幸せみたいなものを、噛みしめながら生きている。 大学を卒業してから一年とちょっと、長い混迷期間に一段落をつけられたのではないだろうか。 これから設計が本格化していったら、おそらく当然のように地獄のような日々が開始されるのだが、でもまあ、それは一旦忘れて、ひとまずはこの幸せを一回噛みしめよう。 ここまでなんとかこれた…。娘の結婚式の時の感情を水割りしたみたいな気持ちだ。
しかし、どんなときもやっぱり「自分で考えていることが自分にとって面白い」ということが大切だなと感じる。 基本的には常にその姿勢でここまでの時間を過ごしてきたし、これからもそのニュアンスをちゃんと思い出しながら生きていきたいと、そういう所存である。 穏やかな一週間の金曜日の朝。今年で一番優雅な一日かもしれない。そして今日は母の誕生日だ。
2026.5.30(土)
芦田と山田くんと、山盛のステーキを食べに行く。 並んでいた頭の臭いおじさんが芦田の知り合いだったらしく、合流し四人で、より大きいサイズのお皿に挑戦。 肉2.6キロを四人で平らげる。おじさんは肉汁をジップロックに入れて持って帰って行った。 そのあと、芦田と少しバーで喋る。芦田は最近、10時7分に塾を出て、10時45分に寝ているらしい。そして5時45分に起きているという。 さすがだ。僕ももう少し家に帰ってから寝るまでの時間を詰められる。覚悟だ。 結局は、覚悟があるか、死ぬ気でやっているかどうかというところの問題に行き着いた。 覚悟…。まだもうちょっと足りていない。もう少し必要だなと思う。 でもそんなすぐ決まってくるものでもなさそうな気がする。 覚悟が決まっていく方向に、少しずつ自分を流していくくらいしか、僕にできることはないんじゃないか。 僕はあの頭の臭い仙人みたいなおじさんになるか、平凡な家庭を築こうと努力するか、そのどちらかなんだぞと、芦田から喪黒のように指を突き付けられる。 ビシッ!! ひぃいぃん…!! …ちいかわかな、、、カクゴキメテ。まあちょっと頑張っていこう。 昨晩の一時的な高揚は波を引き、昨晩の昂奮がウソのように今はただ眠い。 人間はそんなに簡単には変われない。悲しいことではある。 とりあえずでも、雑誌は頑張って売りまくろう。300くらい目指していっても良いかもしれない。元手は一応ある。 もうちょっと色んな人に嫌われて差支えないし、もっとPUSHしていく方がいいだろうし、もう少し死ぬ気でやった方が良い。 頑張りましょう!!!この週末はなんとしてもたくさん、雑誌作業を進めないとな。 でも眠い…!冷静になって少し休む必要がありそう。今日はしっかり昼寝しよう。というか今すぐ寝た方が良さそう。寝よう。 後週末はズボンを買いたい、髪を染めたい、写真現像に出したい、スタディの落書きをスキャンしたい、出退勤記録を打ち込みたい。出来れば銭湯に行きたい。 まあでも焦らず。一個一個やっていこう。まずはビルの立面図を書き出すところからだろうか。 いやその前に、ZINEフェスの予約だな。まずそれをやろう。でもマジで日記、そろそろ頑張って書かなくてよくなってきている気がする。 かつてはケアとして必要だったが、最近はあまり必要としていない。でも文章を書く習慣というのは大事で、それは残して置いた方が良いよね。どしよか。 まあまた考えよう。ひとまず予約。そしたらちょっと昼寝したい。
2026.5.31(日)
ヤバイ!もう日曜日。昨日はトリオカさんのところでの夜ごはんのあと、なんかカラオケに行く流れになり、ついカラオケに行ってしまう。 そんなことをしていたら、時計の針はもう12時を過ぎており、やむを得ず入眠。そんなこんなで今に至っている。 週末が早い。たしかに誰かと一緒に過ごしていると、時間というのが早く過ぎていっている気がする。 一人の時間が長いときの方が時間の流れはゆっくりだ。やっぱり頭の中でグルグル考えていると、時間が経つ速度というのは遅く感じるようになるんだろうか。
命をかけた日曜日にしないといけない。日曜日という方が前に出てしまうのは良くない。 五月が終わる。前半は体調がずっと悪かったので、あまり楽しい思い出がない。後半ようやく身体が健康になって、少し落ち着いた。 雑誌も進みつつある。仕事も取れた。社員旅行の計画もしてみよう。 名建築に泊まりたい。泊まれる名建築って何があるだろう。やっぱりいきなりインドか…? インド経営大学。今年はもうちょっとでも、なんかハードルが低いものをひとつ挟みたい。 南か北、かな。種子島とか屋久島とか…? 分からん明日、模型を作りながら雑談してみよう。
ところで昨日一時間くらいかけて書いた、鰆ビルの紹介文は北岡くんに「生理的に凄いい嫌だ」という言葉を頂きボツになり、改めて書き直すことになった。 最近しんちゃんを読む中で僕の中に醸成されたリズムとユーモアだったのだが、とてつもなく受け入れ難いものだったようだ。 まあいいや。僕は出来には満足している。不評だっただけだ。久しぶりに濃い文章が書けて満足している。
昨日カラオケの誰かの何かのMVで見た子どもたちに向けて読み聞かせをしている映像はとても良かった。 確かに僕も、小学生になる前は、自分で読まずに、寝る前、母親にお話しを読んでもらっていた。 「けんちゃんときゅうちゃん」みたいな英語勉強用の教材であったが、筋が気になってその話を毎晩せがんで少しずつ読み聞かせてもらっていた気がする。 読み聞かせというのは大事なのだ。本を自分で読む前のフェイズとして。 ビルにも読み聞かせをするための場所をつくろうと思った。
いよいよ締切が近い。来週までに、図面とモデリングは絶対終わらせないといけない。やばい。 結構追い込まれてきている。しかし追い込まれてから最後の一粘りが、空間に立ち現れてくる最も重要なものになるはずだ。 もう一押し。もう一押しが何かある気がする。読み聞かせはひとつであった。もう少し絶対何かある。ちょっとそれを手描きで探そう。 何かな…。まだあんま分かってないんだよな。機能的な何かかな…????分からねえ。 今日の夜九時がミーティングだったはず。それまでにひとつ展望が欲しい。必ず見つけ出す。なんだろうまじで。 ていうか五月終わるんか。六月も健康第一、睡眠第一に、命を懸けていこう。設計が終わって、原稿が書けているはず。はず…。。。