2026 1
初日の出を見に行く。今年は六甲山の麓のあたりに登ってみることに。死ぬほど寒い。カメラの金属部分には 冬の冷たさが必要以上に集まっている。三脚を握る指が痛い。雲はあまりなく、無事に日の出を拝めそうである。 白い息を吐きながら坂道をのぼる。40分ほど歩くと目的地へ到着。少しずつ空が赤くなり始めている。 三脚を据えて1ロール。モノクロフィルムを入れてしまったので、赤から青へのトーンは写せない。 一時間ほどそこで立ち尽くし写真を撮る。これもこれで悪くないが、やっぱり海の方が好きかもしれない。 水面に走る赤い筋が好きだ。来年からはまた水辺に行こう。帰りにコンビニでカップ麺を購入し、冷え切った 身体を温める。塾に戻って二度寝。起きたらもうお昼過ぎになっていた。そのうち塾生たちがやってきて、 せわしない一日がはじまる。せわしなく時間は過ぎていき、何もできずに夜八時に。カップ麺しか食べていなかったので、 とても腹が減っていた。しかし元旦でスーパーも閉まっていたので、冷蔵庫にあるご飯と卵でただ腹を満たす。 年賀状の続きをかいて、本を読んだらあっという間に12時になってしまった。明日も同じような一日になる見込みだ。 おせちが恋しい。親にも年賀状を書かなければ。ぬるっと決意することもなく、一年がはじまった。
2026.1.2(金)
今日も生徒がずっといた。みんなが帰ったあと、10枚の年賀状をかく。これが原稿だったらカッコいいんだけど。 無駄に一枚一枚違う馬を描いている。有り余るenergyの無駄遣い。今日も豚汁をつくった。 優しい味だった。少しずつ店があいていき、街が明るくなるとホッとする。どうやったら女の子にモテるんだろう。 今日は特別に寒い日だった。二着持っているタイツの一着が見つからないので、ずっと洗わずにひとつのタイツを 履き続けている。ヒートテックのシャツも同様。芦田が間違えて捨ててしまったんだろうか。悲しい。 臭くならないことを祈るばかりである。今日は正月気分で、ずっと東浩紀の「動物化するポストモダン」を 読んでいた。近代についてやっぱりちゃんと勉強し続けないといけない。明日も休日みたいな気持ちで、ダラダラ 続きを読もうと思う。静かな正月だ。明日は写真でも撮り歩こうかな。カナメストーンのyoutubeを見ている。 これが日下と小野がいつも喋ってたやつか。とても魅力的だ。年賀状も書き終わり、日記もこれで書き終わるので、 こっそり豚汁の残りを食べてから寝ようと思う。明日はヒマだったら、HPに写真をテキトウにアップしよう。
2026.1.3(土)
小倉くんと西浦さんから、年賀状が届く。嬉しい。短い文章を10回くらい読み返した。小倉くんは最近、 競馬にハマっているらしい。さすがだ。無秩序に近づいている。宇宙と一緒だ。また会いたい。
正月といえば、ということで福原のソープ「マリン宮殿」へ。待合室には既に10人くらいの男性が、 もちろん男性が腰かけている。若者は2人組が多く、年配の男性は単身で乗り込んでいる人が多かった。 緊張のためトイレへ。排便するもトイレットペーパーがない。しかしこれから裸で性交渉に及ぶわけだから、 うんちつきあなるでサービスを受けるわけにはいかない。お尻に力を込めて閉じ、うんこを流してズボンを履く。 外のスタッフに落ち着いた口調でトイレットペーパーを要求。精神の昂りをここで表明するにはいけない気がした。 受け取ったトイレットペーパーでゆっくりていねいにお尻を拭く。そうしているうちに番号が呼ばれ、 指名し、また待ち、そしてまた呼ばれると、カーテンの向こうには可愛らしい女性が笑顔で待っていた。 ソープの60分コース(税込み14300円)の構成は、15分トーク、10分シャワー、20分エッチ、15分シャワー、 のようになっている。AVなどで見るソーププレイは90分コースから行われるものだと考えられる。 僕が指名させていただいた女性は同世代の可愛らしい方で、デート気分で前半のトークを楽しむ。 喋りを楽しく聞いてもらい、身体を丁寧に洗ってもらい、快感へ強引に導いてくれる。福祉である。 福祉だと分かっていても、頭良くて面白くてかわいい!と褒められると、え!?と好きになってしまいそうになる。 服を着ながら「面白かったってことは、連絡先を…?」と聞いてみると、店の連絡先を笑顔で教えてくれた。トホホ。 お別れまでの数分、少し余った時間で膝枕をしてもらった。「自分の会社じゃない下積みを頑張ってて、凄いと思うよ」 と少しさっきより低い声で褒められて、泣きそうになってしまう。ありがとう…。ミラタップの賞金を握りしめて、 また来ます。もう次はずっと膝枕でお喋りでいいくらいだ。後頭部に残る太腿の柔らかさと、頭をゆっくり撫でてくれた 手のひらの重さの記憶だけで、ここから100時間くらいは頑張れる。
しかし僕という男は悲しい生き物で、どんなに知性や力や品を身に着けても、裸を見せられて、 局部をひとたび握られてしまったら、こんなにも無様な生き物になってしまうのだ。鏡に映る、赤ちゃんの恰好をした 手足が異様に長いメガネの化け物を見て戦慄する。膝の上の僕と、必死に詩をつくる僕は、どっちが本当の姿なのだろう。 風俗嬢たちは、男が抱える矛盾について、どういう気持ちを抱いているのだろうか。僕はこの自分の中の強烈な2を、どう 捉えたら良いんだろう。ひとまず、賞金を死ぬ気で獲って、その賞金でまたつむぎちゃんに膝枕して貰いたい。やっぱり 矛盾していないかもしれない。
2026.1.4(日)
時間を忘れて一日仕事をした。気づくと12時だった。芝﨑くんの家のシャワーを借りる。昨日の風俗嬢の顔が思い出せない。 ひどく疲れた。裸なんて見れなくていいから、中学校の隣の席で出会いたかった。そんなことを思いながら髪を洗った。 妙に乳首がかゆかったのは、昨日舐めまわされたせいかもしれない。すれ違う船のように、こんにちはの汽笛のすぐあとに、 さようならの汽笛をならした気持ちだ。年賀状があと15通ほど残っている。これから気合入れて 書かないと。年賀状ありがとう!というラインは、何とも言えない寂しさだ。返してくれたっていいのにな。 こっちが勝手に送りつけているだけなのだが。髪の毛がずいぶん伸びてきた。どうしよう。いつ、どうやって切ろう。 視界の上からも、左右からも入り込んでくるようになってしまった。切りたい。負けるまで戦い続け、そして負けた日に 少しほっと満足して死んだ戦国武将が見上げた空。その空を僕も見たい。決定的な敗北と共に死を迎える生き方には、 やはり少し魅かれてしまう。さあ。もうひと頑張りしよう。
2026.1.5(月)
今日も時間を滑り落ちていて、気がつくと夜の底であった。やっぱり建築は楽しい。一生図面を描いていたい。 明日は間仕切壁とカーテンについて考えたい。壁は藤本壮介「T house」か長坂常「スタイロテーブル」の どちらかのアイデアを使えるんじゃないかと踏んでいるがどうだろう。僕が知る限りではそのふたつだ。 そこからもうひとアレンジして、塾の壁としてひとつの正解にたどり着きたい。しっかり水廻りのこもごもは 隠れているんだけど、逆に反対側が感じられるみたいな、そんな壁にできないか。なんとか予算の10万円に 抑えたい。今年はみっちゃん教室に恩返ししなければ。僕にできることはこれくらいしかないんだ。 好きな事をやっていたら、あっという間に時間が経ってしまって、このままだと明日死んでしまうといっても 過言ではないスピードである。一瞬一瞬を気抜かずに丁寧な素早さで過ごしていかなければ。 そう思うと歴史の400gもあっけなく食べ終わってしまい、すこし小腹が空いてきたような気もする。ウソ。 さすがにそれはウソ。明日の昼ご飯もいらないくらいだ。それよりもカーテンについてもう少し考えたい。 勉強不足過ぎて何も分からない。部屋に少しのアクセントと品を出したいがどうしたらよいだろう。 窓の外は1階で真っ暗だが、何か少し楽しさがあるようにしたい。あとは配線関係。こいつらも交通整理しないと 一気に壁床が散らばる。何とかせねば。続きは芝﨑くんの家で考えよう。年賀状もあと五枚。もう一息だ。
2026.1.6(火)
芦田が毎日ランニングすっぞ、とのことなので、ランニング用の緑の上下のジャージが欲しい。5000円くらいで どこかに売ってないかなあ。カナメストーンのyoutubeを見ている影響だ。新居(社宅)の物件を内覧する。 柵が少ないし低い。普通に落ちそう。しかし、南東に向いたいい部屋だ。一年だけど、良い部屋に育てて 誰かに引き継ぎたい。DIYのブログやyoutubeをずっと夜通し見ていたので、明らかに寝不足だ。パフォーマンス が低い。生徒が来て、二酸化炭素濃度が上がることも、終盤のバテの要因の一つと考えられる。明日からは対策 しよう。オシャレルームツアーのyoutubeを見ていると、思想が弱さが気になる。家に本が少なすぎる。思想も強くて オシャレな部屋にやっぱりしたい。塾も、おおらかさと共に、やはり思想を生徒に感じさせなければ。と思う。 ともかく今日は少しバテ気味なので、早めの就寝にしよう。あと短歌をひとつ思いつけたら、芦田の本棚から パクったノンスタ石田の「答え合わせ」を読もう。最近の、日中必死にアウトプットして、空っぽの夜に本を読んだりして、 インプットするリズムが良いかもしれない。これからは、なるべくそういう生活リズムにしていきたい。 真緑のジャージが欲しい。モリゾー色になりたい。明日はL字机の設計を完成させる。
2026.1.7(水)
今日も秒針は遅刻をおそれて時間の廊下を駆け抜ける。午前中にL字机を案を固めて、15時過ぎから模試の書類提出を しに三ノ宮へ。昨日作った、塩麴鶏肉煮はとても美味しかった。その足で古着屋をまわり緑のジャージを探すが、 見つからない。ついでにzoffに立ち寄って、眼鏡の鼻あてを交換してもらう。久しぶりの人間界に疲弊。 引きこもりの大地くんと同じことを言っている。 帰りに今度はコーナンとコーナンPROにそれぞれ寄り、素材と金額のイメージをあてる。カーテンも 分からなかったので実物で確認。しかし実物を見ても全然分からない。良いカーテン屋に行かないと分からない のかな。とりあえず窓枠からではなく、天井からカーテンをおろせば良いんじゃないかと思っている。 もう1月7日になっているのに、少しも建築士試験の勉強をしていない。本当はこの日記を書いたり、短歌を 考えている時間に勉強しないといけないのではないか。いや、そんな考えたくない。 年賀状はあれ以来誰からも届かない。少し寂しい。でも、もう僕はみんなの中には戻っていかないと決めた のだから、これくらいでメソついてはいけない。心を強く持とう。なんの知識も技術もないし、それを 教えてくれる人はいないと思うと恐ろしい。自力で手に職つけていかねばならない。そんなことが この無精者の僕にできるとは到底思えない。明日は図面直しと、ゴミ箱と可動部分の再設計、塗料についての情報収集、 そこまでやりたい。あとはちゃんと本を読む。明日こそ走るのかな。早く運動服を手に入れないとヤバい。 そういえば、周がよぼよぼになって死にかけていてそれに号泣する夢を見た。周は無事だろうか。長崎は温かいのかな。 僕の足の裏のかかとも、年々確実に水分を失っている。
2026.1.8(木)
今日は一日の頑張りが足りなくて、疲れ足りない。朝、ポストに年賀状が届く。よっちゃんと宮本さんからだった。 嬉しい。思うと、男の子って年賀状、何枚送っても返してくれないから、手元にある年賀状は女の子からの方が 多い気がする。男子に出してる数の方が全然多いんだけどな。まあいいや。しかし皆大変そうだ。人生における この二十代中盤はそういう時期なのだとは思うが、どうも生きづらい。これが5年、10年経ったら、変わっていく のだろうか。変わらなかったら相当な親不孝である。しかし、これくらいの登り坂が本来の傾斜な気はする。 逃げていただけだ。マジで対峙していかないとな。年賀状でだいぶ決意表明してしまったし、淡々とやっていこう。 しかし毎日やっているのは日記と短歌しかない。31文字だけで大丈夫なのか。年賀状も書き終わったし、 明日から絵、再開するか。本もバンバン読まないと。短歌作ったら、今日届いた村上春樹の「遠い太鼓」を読もう。 土曜は久しぶりに写真を撮り歩きたい。やはり複数を真剣に考えるのは無理だ。今は建築しかできない。 パペットスンスン。負けられないな。キャラ被りだ。この席は地球にひとつしかない。引きずり降ろさねえと。 ヒラパ行きたい。誰か一緒に行く人、いないだろうか。万博公園も久しぶりに行きたいな。しかし塾も 頑張らないと。みっちゃん教室も繁盛して、定時で帰っているやつらをギャフンと言わせたい。背中痛い。 姿勢が悪いからだ。芝﨑くん、今年は痩せるって言ってたな。イケメンになってしまう。マズい。太らせないと。 ベランダにカップラーメンを投げ込もうか。こんな日の入らない部屋で夜中にこんな訳の分からん文章を書いて、 僕はこの先、いったい誰に出会うんだろう。というか一体だれがこれを読むんだろう。普通に読まれたら 困るし。三時になったので、さすがに本を閉じる。寝る前にもう一回、宮本さんがくれた年賀状を読んでみる。 何回読んでも、大きな大きな渦巻き迷路みたいに、だんだん自分がどこにいてどこに向かっているのかが 分からなくなってしまう。そんな手紙だ。今日は一日、そのおおきな渦巻きをじっと見ているうちに 気づいたら何にも焦点はあっておらず、慌ててまたスタート地点に戻るといった感じの一日だった。
2026.1.9(金)
塾で寝るときは、作業している椅子の真横に布団を引いて寝ている。瞼が落ちる瞬間まで作業と戯れていたいからだ。 女と寝ていない時は寂しいから、仕事とついつい寝てしまう。しかしこれはこれで幸せだ。余計なことを考え 無くて良い。ただキーボートを叩き続け、マウスを動かし続け、一行ずつ読み進めていくだけである。それが出来るなら 年金免除の書類も苦なく読めそうなものだが、これは不思議と全く頭に入ってこない。みんなはしっかり 年金を払っているのだろうか。僕はもうこのまま一生払わずに貰えない老後へ突入しそうな気配だ。 村上春樹の文章は、全部僕は、…と書かれているのに、一向に全然何も動きださないという気持ち悪さがある。 しかしその気持ち悪さがあったとしても、もしくは気持ち悪さが故に読みたくなるのかもしれない。 人間には30代まででしかつくれないものがあるみたいだ。村上春樹も言ってるし、ASKAも似たようなこと言っていた。 確かに「ノルウェイの森」や「WALK」は30代ではつくれるが、40代ではつくれないものな気がする。 今日は睡眠時間が三時間かつ、昼寝するタイミングが無く、頗る体調が悪い。図面束(束といっても10枚)を一応完成させる。 めちゃくちゃ事務所のCADを使っている。バレていないといい。明日は今年初の休日だ。何をしよう。カメラを初日の出以来 持ち出せてないから、散歩がてら写真を撮ろう。明日は図面を触りたくない。鼻くそほじりながら本でも読みたい。 紺野ぶるまとどぶろっく江口の焚火対談を見る。下ネタを言っていい人とそうでない人、というくだりで「雑にエロい人はダメ」 という言葉が出ていた。非常に耳が痛い言葉である。僕は基本的にすべての欲望に対して雑に満たしがちである。 エロスだけでなく、食事も睡眠も。そういう人間は下ネタを言ってはいけないらしい。もう少し、枕や食べるものに 気を遣えるようになったら、女性をもっと大切に出来るんじゃないだろうか。ちんちん、ちんこ、ちんぽこきんたまが 飛び交う対談であったが非常に勉強になった。竹本さんから年賀状が届く。いや、竹本先生だ。めでたい。
2026.1.10(土)
休日。朝起きたら九時で、目ヤニもそのままにコメダに行くが、わんさか人がいたので入店を断念。 また日の入らない部屋へ戻る。手紙が来ていないかと玄関扉のポストを覗き込む。 この小さな穴だけが僕と世界が繋がっている場所で、他にはどこにもない。 この小さな穴だけが僕の呼吸孔で、光が差す場所で、希望の大きさそのものである。 あとは僕が出した音が僕の耳に届くだけでしかない。 休みの日らしく、何もせず過ごすとやはり寂しい。昨晩の夜更かしで随分楽しんだし、 そろそろ普通に作業をしようと思う。無性にハヤシライスを食べたい気分になりつくった。 …気づいたら昼寝していて、夜の六時になっていた。一秒も有意義ではない休日にしてしまう。 しかしやる気は起きないので、今日は諦めて溜まっていたフィルムのスキャンをする。 ただの単純作業。楽しくない。九月末の安曇野の写真とかをスキャン。そんなことをしているうちに 竹本さんが論文を書き終わったと連絡が入る。合流してまさやへ。会えてよかった。人生はこうやって少しずつ 着実に進んでいく。今度は竹本さんとカラオケに行きたい。藤原さんからも年賀状のお返事が届いていた。
2026.1.11(日)
特筆することのない一日であった。芦田がいないと緊張感がやはり少なくて、張りのない一日になってしまっている。 明日はもう少し頑張らないとな。来週末には施工するのだと思うと、まだまだ詰めないといけないところが 沢山ある。まあ不完全さを許容しつつ、はじめていくことが大事なのだろう。そのうち続けていたら、 上手になっていく。「しょうまはプロみたいなもんだから」とトクちゃんは言っていたがそしたら 僕はなんなんだ。僕もプロのつもりでやっている。あれくらいはできるようになりたい。僕に家具をつくって 貰いたいと思ってもらえる人間になりたい。好きな子にベンチをつくって贈りたい。とっておきの失敗談で 笑ってもらいたい。おいしい夕ご飯を作れるようになりたい。悲しい時にはとっておきの歌を歌ってあげたい。 それくらいだ。仕事はできないし、金も筋肉も、優しさも美しさもないしがない男であるが、好きな子にベンチは 贈れる、もしそれが無理ならばベンチそのものになってあげられる(?)自分でありたい。三時。寝る。
2026.1.12(月)
九時半頃に目が覚める。カフェに行くのも気が向かなかったので、芝﨑くんの家でシャワーを借りついでに そのまま部屋の日向で文章でも書くことにした。あたたかい。シャワーを浴びて部屋に戻ると、太陽が動いて 部屋に満欄の(そんな言葉はないかも)日差しが差し込んできていた。幸せだ。そのまま音楽をかけて、ウトウト しながら文章を書く。原稿六枚分くらいの駄文を書いた。気づいたら十二時をまわっていたので、塾に戻って昼ご飯を食べた。残りもの、最後の ハヤシライス。食べ終わったあとにはこびりついたソースを洗い落とす重労働が待っている。水が冷たい。 久しぶりに太陽を浴びて歓びを知ってしまったからか、どこか悲しい。日の光による影が、心のどこかに こびりついてしまったみたいだ。爪先が冷たい。今日も手紙は来ない。芦田は大きな音を立てて 旅行から戻ってきた。そしてボロンボロンとパンツからちんちんが零れ落ちるときの重さの言葉をまき散らし、寝た。 昼寝である。また静寂が始まった。皿を洗う音で眠りを邪魔するのも気が引けるので、 ひとまず静かに本を読むことにした。 夕方はみっちゃん教室の公用車(芦田の赤い電動自転車)で岩屋の方まで教えに行く。「みっちゃんは神戸大だよ?」 と子どもたちに蔑まれるが、僕も神戸大だから賢いんだよなんて恥ずかしいことは言えずに、甘んじて馬鹿アフロ を受け入れた。今日は空気が冷たく素手で自転車を運転してよい日ではなかった。芯まで冷えて塾に戻る。 冷えすぎた身体のコントロールに苦慮しながら芦田が帰るまで作業を共にし、芦田が帰ると同時に芝﨑くんの家に行き、 「遠い太鼓」の続きを読む。さすがにこの三連休で読み終わらないわけにはいかないので、久しぶりに気合を入れて ページをめくる。200頁ほどを駆け抜ける。読了。気持ち良い。例えるとピンチをセカンドゴロゲッツーで 切り抜けられたときくらい。もうすぐ27歳。もうすぐ2時。不思議と今の自分を記録しておこうと思った。今度、 北岡君に一日お願いして、撮ってもらおう。
2026.1.13(火)
ゆずちゃんと付き合いはじめて二年の日である。僕の脳みそはだいぶ都合よく作られていて、 付き合っていた頃のゆずちゃんの笑顔ばかり思い出される。 それなりの理由があって別れた気もするが、それもあんまり思い出せない。幸せな人間である。 出会った日のゆずちゃんは、抑揚のない変な喋り方をしていて面白かった。 付き合い始めた頃もそんな喋り方で、マルデゼンブカタカナノモジヲヨンデイルヨウナ、そんな喋り方が好きだった。 付き合いが深まるにつれ、僕らの喋り方は面白さより親愛さを採用するようになり、 段々その片言カタカナ喋りは影を潜めていった。 でも、ひょっとしたら僕らは別れたことで、またあのカタカナシャベリができるんじゃないか、というそんな期待もある。
曇りがちな空だったためか、10時頃にようやく目覚める。部屋を出て塾へ。芦田が次々と繰り出す色んな話を取り損ね続けながら豚汁をつくる。 僕の家探しは難航中。どうなるんだろうか。毎年のクラス替えのように、ようやく馴染んできた頃にいつも環境はチェンジしてしまう。 塾の床と布団と身体がようやく馴染んできた気がしたが、また違う部屋になりそうだ。 本当はケンが昔住んでいた部屋に住みたいが、そこは少し家賃が高い。 それに社長よりいい部屋に平社員が住むなんて許されるんだろうか。昼ご飯を僕が先にお代わりすると、それに対して必ず一言言及する芦田がそれを許すとは考えにくい。 たとえば僕の充電器が、気づかぬうちにドシャッと隅に寄せられていたりすると、自分が塾を散らかし汚していく居候ように思えてくる。 そんなことに一回一回ケチをつけていたらキリがないし、芦田にはなんの悪意もなくただ部屋を片付けているんだろうが、そうやっているうちに自分の存在の必然性が少しずつ少しずつ、スイッチの上に積もる埃を拭き取る速度で消えていっている。 この部屋は、僕にとっては塾である前に僕が寝て目覚める部屋であり、芦田にとっては僕が暮らす部屋である以前に俺の塾なのだ。色んな時代の領土問題はこうやって発生している。そしてどんな時代も、常にその土地は強き者の手に握られる。 幸いにも今晩は悲しみより先に眠さが訪れ、気づけばまぶたは降り、身体も床に転がっていた。 照明はそれに気づかず、煌々と部屋を照らしていた。
2026.1.14(水)
朝、塾の生徒を見送ったあとに銭湯へ。おじいちゃんしかいない。高いところにある換気用の窓には青空の水色がうつっている。 銭湯はお湯に浸かること以外、何もしなくていいという点で優れている。二時間ほどお湯に浸かり、 更なる休息を取るべく喫茶店へ向かう。しかし店先で中の様子をうかがうと、「魔女」の声が。 なぜか魔女と呼ばれているその人は、芦田の下の部屋に住む50代のおばさんで、占いをしているらしい。 職業病なのか、信じられないくらいウソをつく。今日も本当は「ホノルルを経由してハワイにいる」はずなのだが なぜか新在家にいる。休みたい日におばさんのウソを聞かされたくないので、喫茶店のモーニングは断念。 諦めて古い食堂へ向かう。照明がたくさんついているのになぜか暗い。店員さんが沢庵の皿を割る。 オムそば定食を食べる。意外と満腹。 昼寝をしたいところであるが、その足でそのままコーナンPROへ。ひとまず椅子の試作品をつくってみる。 ラワンランバーコアt18:一枚と35角L4000:1本を購入。12時半に作業を開始。 のこぎりで角材を切るが、垂直が出せずに平行四辺形と台形の脚を量産する。次に合板から座面と幕板を切り出すがこれも当然のように歪んでしまう。 そういえば自分の手先が不器用であったことを思い出した。図工の授業で、つくりたいものがつくれたことが無かった。 小学生って色々と手先の器用さが求められる場面が多い。そのたびに自分の指先が思うように動かせないことと、できてしまった何か違うものに対して途方に暮れていた記憶を思い出す。 木くずの粉塵が絶えず空間を飛び交っていて、切断機が絶えず甲高いカ行の大きな音を鳴らし続けている。 マスクせずに作業するべきでは無かった。せき込みながら作業を続ける。木くずは喉だけでなく、服の繊維と繊維のすき間にもみっちり入り込んでいる。 ほぼ一着で冬を過ごしている僕にとっては致命的だ。 すべての工程に悪戦苦闘しながらもなんとか2脚が完成。その頃にはもう19時半だった。軽トラ貸出しサービスも終了してしまったので、 歩いて椅子と端材を運ぶ。こんな切り刻まれて規格化された合板でさえこんなに苦しんでもらう文明に飼いならされた自分の矮小さに 落ち込んでしまうが、ひとまず完成はした。出来はまずまずではないかと思う。なんなら良いくらいだ。三本足はどんなに歪んでも安定するということが分かった。 背もたれもなく、コンパクトなので机の下にしっかり納まる。数点の細かい反省と修正ポイントはあるが、概ねこの方向性で進んでいってよさそうだ。 つくることは人を謙虚にさせてくれし、何より楽しい。塾の椅子と机が終わったら、次は本棚でもつくってみたいと思いながら、 力尽きていつもより早く寝た。
2026.1.15(木)
替えたばかりの歯ブラシはその新しさ故に硬すぎ、その硬さ故に歯茎を破壊し、歯磨き粉の白に血の赤を混ぜる。昨日作った角煮を食べる。角煮は不思議な料理で、肉塊を使用している割に、 肉を食べている感じが少ない。俺の皿にもっと肉をよそえとクレームが入る。半分くらいは冗談だが、言い換えればそれは半分本当ということである。 芦田は、僕が芦田以上に胃袋を満たす可能性に対して入国審査くらい厳しい。僕が芦田に最初に教わったライフハックは「料理をシェアするときは個数で分配できない 不可算な皿から食べた方が良い」というものだった。僕はそれ以来、芦田とピザを食べるときは、芦田が一目散に確保したピザの対角線のピザを二番目にとるようにしている。 そんな昼飯を終えたあとは馴染みの不動産「エステート溝口」へ。僕が住む社宅を借りに行く。人生ではじめて北向きの部屋に住む。 一万円高い南向きの部屋に住む選択肢もあったが、それは不相応だろう。書類の僕の名前の隣には「年収96万円(見込)」と書きこまれた。 エステートのおばちゃんは、貴族風情の僕の都落ちにご満悦である。しかしその気持ちも分からなくはない。友達だから許す。りさぴは ふたりで神戸にどんな家を建てるかを考えているという。幸せだ。どこで誰と幸せになるのかが、想像できている。対しての僕は、 どこで幸せになればいいのか、だれと幸せになるのか、どちらも全く分からない。困った。どうなっていっちゃうんだろう。 ひとまず喫緊のことから考える。家政夫の社宅には毎晩社長が大きい足音を立ててご飯を食べにくる。ついでにシャワーも浴びてく。 少しずつ何枚もテッシュで鼻をかみ、2時間で5回くらいトイレに行く。それでも気を落とさないような部屋づくりをしないといけない。 座りやすい一等席があると、芦田は問答無用でそこに腰掛けることが想像できるので、僕が座る椅子は玄関から机をまわりこまないと座れないようにしようかと思う。 そんなことする必要もない気がするが、ここにしか僕の居場所はないのだ。そういえば昔から毎晩、気づいたら僕の部屋でコンビニ弁当を食べていた。 別にいいけどどうしてそんなことになっていたんだろう。幸せ追求レベルに差がある人間同士が生活を共にすると、大抵は追求不足な方が硬い座面を、小さい角煮を、 女二人組のブスな方を引き受けることになる。万有引力みたいなものだ。新しい部屋の北向きのベランダからは、100戸ほどの南向きのベランダが見えた。 ベランダの手すりに大きく電話番号を書いて結び付け、友だちを増やそうかなと思う。
2026.1.16(金)
昨日は少し落ち込み過ぎた。自身の親不孝について深追いしすぎた。ネガティヴなことを書きすぎた。反省。少し泣いて、少し寝たらそんなに 突然落ち込むことでもないなと思った。完璧な文章が存在しないように、完璧な絶望は存在しないということを忘れていた。うっかり。 昨日は山本くんから年賀状のようなメールが届き、おっちょから年賀状が届いた。嬉しい。朝起きてまず山本くんにメールを返す。 おっちょまでは到達せず。その後二度寝して、気づいたら芦田がいて、そのままコーナンに行って、沢山木を切ったり、やすったりした。 とても疲れた。軽トラを返しに行く信号待ちのときに「失敗辞典」を思いつく。肉体が疲れ切るともう食事と睡眠のことしか考えられなくなる。 一日なにも食べていなかったので、歴史の塩ラーメン、400グラム、全マシをかちこんだ。口の下の方から漂ってくる脂とニンニクの臭いを 感じながら地面へ倒れ込む。明日も頑張ろう。明日はセンター試験だ。ナガノくんたち。がんばれ。足もくさい。周さんから年賀状が届く。 ミュージアムロードコンペの一次審査の結果が発表されており、僕の番号029はお呼ばれではなかった。ふぁっく。 またHPに載せておこう。すべり台のアイデアは今回日の目を見なかったので、またどこかで使ってみようと思う。
2026.1.17(土)
いつ訪れるか分からない芦田の目覚めを待ちながら「1973年のピンボール」をうつらうつらと読む。 読み終わっても芦田はまだ目覚めない。59、59、59…と59秒を刻み続ける時計のような時間を過ごす。 前にも進めないし後ろにも進めない。そんな感じだ。小野からメールが届く。嬉しい。心配かけてごめんよ。 みんなにまた会いたい。日下からもメールが来る。明日の朝、会うことに。これも嬉しい。 もしかして僕は一人ぼっちではないのかもしれない。友だちがいるのかもしれない。 三時半ごろに芦田は目覚めて、そこからコーナンに行って机の天板などを切る。閉店まで切る。 松屋で牛丼を食べる。牛肉も木材も、こんなに薄く切ってしまえるのか。木の表面をやすればやするほど、 木の肌が違う何かになっていく気がする。手触りはとても心地よい。しかし木としてのなにかは失われているような気もする。 身体を使うと疲れて夜更かしが捗らない。頗る眠い。書く気力が湧いてこない。読む気力も。 僕はどうしてこんなに恥ずかしいことをたくさんあけっぴろげに書いてしまうんだろう。 寂しいから?違う。羞恥心の欠如?恥ずかしい。世界を信頼しているから。違う。そしたらもっと芦田に喋るはずだ。 ホームレスが寝顔を隠さないみたいなもの。今のところこれが一番外れていてはいない答えだと思う。でもやっぱり違う。 書けば書くほど、どんどんほんとうのことから遠ざかっているような気がする。 読まないで欲しい。でももっとたくさん読んで欲しい。素直になればなるほど、矛盾がひろがってくる。 自分がなんなのかよく分からなくなってくる。卵や花瓶のように硬くて脆いものを壁に投げつけたい。 嗚呼。嗚呼って感じだ。どうなっているんだ。あぁ。…
2026.1.18(日)
ミスチルの「sign」ってどことなく悲しい気持ちになる歌だ。 反抗期の15歳の反抗期のさなか、この曲を聴いて「親に反抗している場合ではない」と思った記憶がある。 日下に会う。日下は本当は、日本海のような荒れた海の人なのだが、会う時はいつも瀬戸内海みたいな穏やかさを漂わせている。 何か色々喋った気がするが、そんなことはあんまり大事ではなくて、とりあえず僕たちは待ち合せて、会った。日下はフレンチトーストを食べていた。 テキトウな情景描写ですまない。あっという間に時間が来てしまった。大事なことは伝えられなかった気がする。 本当はハグが握手をしようと思ったが、やり方が分からなかった。ので、とりあえず一回振り返って、もう一度バイバイをした。 将棋教室のあと、不動産屋へ契約締結へ向かう。家賃は本当に三万円でいいらしい。 そして更に大家さんは、色々と困っているだろうから布団とかLEDとか、あるものはなんでも貸しますよ、と言ってくれているという。 どうしてそんなに優しいんだ。生かされている…。四年で四回くらいしか会ったことのない大家さんの善意によって、生かされている。 生かされている…。ありがとうに詰め切れない想いを、抱擁に変えて伝えたい。本当にありがとうございます…。どうしてなんだ…。 そして今日も机椅子制作に励む。今日は生徒たち共に塗装をする。思いのほか難しい。実際にやってみると、上手くいかないことばかりだ。 思いもよらない角度で上手くいかなくなる。イライラしているのが伝わるし、自分もイライラしてしまうのを感じる。 これも難しい。あらゆる角度で難しい。しかし最後は、そこそこイイ感じの机の天板が塗り上がったと思う。 夕焼けの空に飴色を足した色で、天板は満足そうに胸を張って輝いていた。と思う。 終えて塾に戻る。とにかく、途方もなく二人とも疲れていた。なんとか重い手足を動かして夕ご飯の支度をする。 今晩は鶏汁。豚汁とほとんど同じメニューであるにも関わらず、こんなにも違うのかと驚く。 しかしその驚きを音にするほどの元気はなかったので、黙って食べた。 食べ終わったので、日下がくれた結婚雑誌を読む。出会うべきふたりが出会ったという事実に驚異する。 この胸に花が咲きあがってくるような歓びというか、驚きというか感嘆に対して適切な言葉が思いつかない。 とにかく良い。「出会って半年後、自然に交際が始まった。いつからか、互いが互いにとって「もうひとりの自分」のような存在になっていた。 交わるたびに、欠けていたものが少しずつ満たされ、話すたびに、これまで知らなかった自分自身が顔を出す。 二人でいることが、生きることそのものをより鮮やかにしてくれた。」僕には決して書くことができない、愛と敬意、確かさを含んだ言葉である。 すごいなぁ。本当にすごい。お月様の上のお話みたいだ。すごい。人生ってすごいな。遠くからでいいから、ふたりが並んで歩いているところを見てみたい。
2026.1.19(月)
朝。目が覚めると、頭の中がまるで鯨の睾丸になってしまったかのように重い。 息を深く吸って、睾丸へ新鮮な空気を届ける。それを繰り返すことで少しずつ睾丸は溶けていき、鯨のそれではなく僕の脳みそへと戻っていった。 塾に戻り、黒ずみはじめたバナナを食べる。小さいオリーブオイルがふたつある。角材の木片もふたつある。エアコンの設定温度は22度。 一日中の作業で今日も疲れ果て、夜ご飯を用意する気力が無かったのでマックへ。 塾からマクドまでの道で、トクさん(トクさんではない、おじさんのトクさん)に出会う。 ベビーカーを押しながら酒を飲んでいる金髪のおじさんとすれ違っているな…くらいの認識でプラプラ歩いていたら、まさかその金髪飲酒ベビーカー押しパパは知り合いであった。 人生で起きる全ては自分の責任なのだ!!!と言われビビる。周りの通行人もビビる。 30代後半の飲酒子持ち金髪が、20代後半の無職ちゃんちゃんこアフロメガネ金髪に、駅のロータリーで説教しているからだ。 僕も未だかつて見たことがない。でもほんとにその通りだよな。と思った。いろいろ言われたのち釈放され、ようやくマックにつくと、僕の冷めた袋がぽつんと置かれている。 ほんとうにその通りだよな…と思いながら塾に帰った。今読んでいる「羊をめぐる冒険」が読み終わったら、小説、いっちょ書き始めてみようかな。 なんの予感もなんの確信もないが、まあ書いてみるしかない。やっぱやめて絵本かもとにかく本を一冊つくる。 僕は自分が何に対して評価されて、何に対してひんしゅくを買っているかあんまり分からないが、でもやっぱり変なおじさんに忠告されるくらいには、僕も変な人間なのだ。 腹くくるしかない。くそ。もっと立派じゃない人に言われたら、僕にはできないっす…みたいな卑屈になれたんだろうけど、酒飲みながらベビーカー引いてるおじさんに言われたらしょうがない。 これが読まれたらヤバイな。まあいいや。とにかく覚悟はいるだろう。明日は休日。しかし14時間ぶっ通しで生徒がいる。休日…? これで休めたやろ!って言われるのか。くそ。とことん休もう。明日は「羊の冒険」を読み切っちゃおうかな。とにかく本をつくる。 そのために本を読む。机と椅子つくりは峠を越えた。あとは組立てだ。もうコーナン行きたくない。本のタイトルは、「2035年のキャッチボール」とかどうだろう。 激パクリである。「万延元年のフットボール」「1973年のピンボール」に連なる第三作(?)である。とりあえず書いてみよう。 ドストエフスキーにもきっと、今日は遠足に行きました。バナナをおやつに食べました。木がたくさん生えていました。バナナの木ではありませんでした…みたいな文章を書いた日もあったであろう。 少し落ち着いて考えると、ふつうにロシアにバナナの木は生えていなさそうだ。それくらい質の低い小説を、書く。
2026.1.20(火)
ひどく疲れている。ホームページの模様替えに、部屋のタンスや本棚を動かすくらいの体力を使った。 小学生の百マス計算の丸付けが一向に進まない。0と6がほとんど同じに見える。これは僕の疲れに起因するものではない。 疲れた身体で作ったハヤシライスはあまりにも水っぽい。さらさらとお米とお米のあいだを流れていく。 隣の机に置きっぱなしのバナナがどんどん黒ずんでいく。ほのかに甘い匂いが鼻先で跳ねている。そんなに甘えたって、どうすることもできないよ。 バナナくんどころではないんだ。すまない。あぁ。背中が重い。考えれば考えるほど、何が一体書けるのかという気がしてくる。 今日は静かな一日だった。いつも早口でしゃべりかけてくる芦田がいないだけでこんなにも違う。今日は風が強い日だった。 今日やろうと思って書きだしたことの半分も塗りつぶせていない。結局180センチの人間と、158センチの人間が見える世界は、どれくらい違っているんだろう。 眠い。このまま地球の重力からはぐれてしまったらどうしよう。いっそブラックホールでもいいから、ぼくを繋ぎとめてくれないだろうか。 とにかくなにも分からない。ひとりだと特に書くこともない。ハヤシライスにはバターとチーズを入れてコクを出しているんだ、って書こうと思ったけど、 今日は失敗してしまったので全く説得力がない。死んでしまうこと以外に確かなものが何も見つけられない。 そこに至るまでの道のりをいかに盛り上げるかであることは分かる。そこまで分かっていたらあとは盛り上がるだけなのだが、僕はこんなに声が小さい男だっただろうか。 とりあえず表彰式に着ていくティラノザウルスの着ぐるみは確保した。舐められるわけにはいかない。受賞の喜びを咆哮として鳴らさないと。 怖い。また怒られそうだ。でもこっちも生きないといけないんだ。怒るなら殺してくれ…。しかし着ぐるみを着て、ひとりで歩けるかな。これは少し問題だ。 どこで着ぐるみに着替えるのかという問題もある。夜行バスからティラノザウルス?少し気が重い。どうしたら良いかな。 とにかくやることをやろう。小説もとにかく書いておこう。とりあえず、僕の人格を、父親と僕のふたつに分けて書いてみたら良いんじゃないか、という仮説がある。 大江健三郎のパクリだ。最初はパクらないとやってられない。最後はキャッチボールをする、という方向に向かっていきたい。 現実の僕とお父さんも、最後はキャッチボールをすると良いのではと僕は思っている。お父さんと僕が別の世界を生きていた20年をどう描いたらいいか、さっぱりわからん。 内科医の日常がまずあまり分かっていない。お父さんの経歴も心情も分からない。一郎という名前だけど、長男なのか次男なのかもわからない。 分かるのはひとつ、僕と同じ顔という事だけである。どうしたもんか。リーマンショックは書きたい。 僕はリーマンショックの年のあの空気感をしっかり覚えている。多分暇だったからだ。 あの何とも言えない悲しい感じ、体育の授業があるのに朝目覚めたら灰色の雲がもうベランダの高さくらいまで降りてきているみたいな感じの空気を、僕はしっかり覚えている。 それが歴史においてどれほど重要かは分からないが、僕たちの世代には少なからず影響を与えていると思う。2008年。 阪神も優勝できなかったし。干からびた老人が瑞々しい葡萄を口に含もうとする瞬間みたいな、全ての湿度を書いてみたい。 日記ばっかり書いていてはダメだ…。気を取り直して、芝﨑君の肉じゃがを味見しにいく。どうやら失敗したらしい。 折角なのでその事実をここに記しておく。本来の日記の役割だ。
2026.1.21(水)
「羊をめぐる冒険」を読み終えた。鼠は死んでしまった。 自分の弱さに絶望しながらも、自分の弱さを愛していた。それが失われて違う自分に変わっていくことを鼠は拒否した。 他にも話の中で悲しいことは少なからずあったが、死んでしまうことほどの衝撃はない。 やはり死というのは、どうしようもなく取返しのつかないものらしい。 僕たち、僕と、僕を含むその周りの人々の世界にも、そろそろそれが訪れるべき季節ではないだろうか。… もう一二年くらいの話だろうか。本当に取返しのつかない出来事が必要だと思う。誰かが死ぬ必要があると思う。 もし、この一二年で誰も死ななかったとしたら、僕が死ぬべきなのだろう。 少なくとも僕と芦田はどちらかが近いうちに死ねば、残りは確実に爪を石碑に食い込ませられるんじゃないか。 何となくだし、何事も起きないことが一番ではあるが、これしかないんじゃないか…という気がする。… どこまでも引き伸ばされていく退屈な日常に甘んじられたら、生きのびることができる。しかしこちらの方が遥かに険しい道のりだ。 それが許せないなら、赤いコードを赤いコードと結び、緑のコードを緑のコードに結ばないといけない。 ここまでが午前中のお話。そんなことを考えていた。 昼過ぎ、北岡くんとりょうたくんが模型を運ぶ車に乗り込む。日差しの分だけ暖かく、それ以外はすべて極寒というひどく寒い日だった。 神戸から桂へ下道で走って行く。途中、途方もなく大きな工事中の橋桁をくぐる。あれはどの交通を支える脚なんだろう。 もういっそあんなに太くて大きいなら、あれをマンションにしてしまえばいいんじゃないだろうか。 京大に模型を運び込み、りょうたくんとは桂駅で別れ、カメラバカはそのまま琵琶湖へ向かう。時刻既に五時半。 西の空が僅かに明るいばかりで、あとはもう殆ど黒の青の空であった。一時間ほど車を走らせる。 やっぱり東浩紀は凄い。とか、フーコーの話をしていた。あまり分かっていない。 琵琶湖に着くがあたりは真っ暗で、ただ星が綺麗なだけだった。 三脚に載せて、ふたりとも一度だけシャッターを押してあとは星を見て喋る。一本タバコを吸わせてもらう。 喫煙描写のためにと思い試してみたが、ただ喉がヒリヒリするばかりであった。 難しい。ようやく気づいたが、普通に夜は諦めて、朝行った方が良かった。大切なことは然るべきタイミングでいつも気づけない。 ガソリンを入れ、ケアについて話しながら下道をぶっ飛ばし、車を五条のタイムズカーに返す。駐車がとても難しい。 試行錯誤しているあいだに、横に止まる赤い車と僕たちの車が完全にぴったり接してしまった。 前にも後ろにも進めない。こうなったらこの小ぶりの赤い車を持ち上げて動かすしかない…と観念したとき、たまたま赤い車の持ち主が駐車場に現れ、あっという間に車を動かしてくれた。 しかし二車が接してたところには、しっかり白い傷が。終わったと思い、そのことを持ち主に告げて見てもらうと「あ。これはもともとあるやつ」と一言。 助かった…。警察のお世話にならずに済む。おじさんはただ早く帰りたかっただけで、本当は僕たちがつけてしまった傷かもしれないが、 とにかく無事に終わった。恐怖と焦りも重なり、身体は芯から冷え切る。今年の運を使い果たす。良かった。 北岡くんちに戻り、キムチ鍋を食べ、一冊本を借り、終電で六甲へ帰る。 そのまま部屋の床に吸い込まれそうだったが、メールをくれたもりりんに今晩中に返事をする必要があったし、今日も寝る前にやっぱり少しでも書かなければだった。 もし仮に、若くして北岡くんが山奥で遭難してしまったりしたらどうしよう。 僕は誰に夜中クソLINEを送ればいいんだ。 北岡くんが心がけて少し汚い食事をしているらしい。芝﨑くんは今日はカルボナーラをつくった。 寝る前なのにお腹が痛い。大きく放屁すると横で寝る芝﨑くんがピクリと動く。そして僕にはあと三年と少ししかない。
2026.1.22(木)
もし僕がある日死んだら、その日からここの日記は、
うんちうんち!!
を叫び続ける、飼い主に去られた悲しいインコのようになってしまう。それもそれで良さそう。
あまりにも大きい善意に戸惑っている。僕の価値に対して善意がデカすぎる。 鼻歌がミリオンヒットしてしまっている。おむすびひとつに貨物列車が用意されてる。生麦ひとつで薩英戦争している。 (大名行列はあまりにも列が長いので速度は無いが止まりづらいらしい。それなのに横切ったから…という考察がどこかでなされていた。聞き齧り。) 大家さんは入院前に僕に生活一式のセットをくれ、とまり木の人は大量のお菓子とお弁当とチーズケーキををくれ、もりりんは僕を心配して怒っている。 星と星のスケールだ。太陽だ。無性で無限の光だ。どうなっているんだ…。 嬉しい。申し訳ない。本当にありがとうございます…としか言えない。 本当はもっと宇宙の響き、立体感がある。言葉は難しい。ぺったり。ふゅるふゅる。尾根が谷に落とす容赦のない影。 今日も一日コーナンプロ。顔馴染みが増えすぎて気まずい。気まず過ぎたのでお菓子をあげた。軽トラを返す時に出迎えに来てくれた。 もうタメ口で喋りはじめてしまった。疲れた。人生の終着が迫りつつあるので、さすがに焦った。 食事もおしっこもなしで頑張った。濃すぎてほぼ赤のおしっこがさっき出た。人生が説明できない状況に陥っている。 僕はなぜ今ここにいるんだ。GPSが役に立たない。この椅子、この灯り、この頭痛。この混乱。困惑。混浴。こんにゃく。なぜ。なぜ…。 ラブレター、ラヴ・レターを書く必要がある。一体誰に…?一体何の目的で…?
書く/必要が/ある。
2026.1.23(金)
「ひゃくえむ。」を読んでいたら書く前に力尽くて寝てしまった。一節引用。
「不安は対処すべきではない。人生は常に失う可能性に満ちている。そこに命の醍醐味がある。 恐怖は不快ではない。安全は愉快ではない。不安とは君自身が君を試す時の感情だ。 栄光を前に対価を差し出さなきゃならない時。ちっぽけな細胞の寄せ集め1人。人生なんてくれてやれ。」
2026.1.24(土)
御堂筋線。扉沿いに立っていて、椅子と棚の間の筒状の空間を眺めている。その奥にも、もうひとその奥にも、同じ筒が反復している。 僕はまた吸い込まれていく。吸い込まれていくことに抵抗することができない。この筒は永遠に繰り返されてしまうのではないか。 どこまでも続くパース・ペクティヴ。どこまでも小さくなっていく、僕の視線…。
ぐるぐる巻きの女性に会った。その渦を最初はそっと眺めていたが、次第にその距離は近づいていき、気づけばそのぐるぐる巻きの中に踏み込んでいた。 そんな一日であった。ぐるぐる巻きの迷路の中は深い森になっている。そのでは風が吹いていないのに葉と葉が擦れる音がする。 何故だろう。僕の胸の音だ。何故だろう。もう少し冷静にならないとならない。…
僕たちは大学の同級生である。互いを認知してから六年ほど経っている。それ以前は知らない。その六年間もそれほど多くの会話を交わしたわけではない。 今日初めてふたりであった。駅から公園を歩き、公園を歩き、公園からカフェへ歩いた。向かい合って座った。まだぐるぐる巻きを外から見ている。 目が合った。来ても良いよ、と聞こえた。あなたのままで良いんだよと聞こえた。少なくとも僕はそう感じた。その感覚を信じた。ぐるぐる巻きの中へ、足を踏み入れていった。
入る直前の景色をなるべく正確に記述する。左の窓から春のような光が差していた。僕たちは話が一段落着いたあと、その合った目をお互いそのままにしていた。 その時に僕には、この瞬間の彼女と共に30年後の彼女が見えた。不器用で破滅的な道を進み続けた彼女の顔が見えた。つむじの根元が少し白くなっていた。表情には疲れが浮かんでいた。 そうやって生きてきた人の、その充足とその疲労と、そのよろこびとそのかなしさが見えた。我々のあいだに流れる今の穏やかさは、儚いものと知った。長くは続くまいと知った。 とても美しくて、とても悲しかった。その小さな身体の小さな手に、抱えきれないほどのものを抱えていた。それは僕にも抱えきれない量のものであった。 僕はその光景から目が離せなかった。離すことができなかった。かけるべき言葉も見つからなかった。肝心な時に言葉はいつもどこかに隠れてしまう。 とにかくあるもので何とかするしかなかった。僕はその瞬間に出せる精いっぱいの言葉を述べた。
「僕は・あなたを・肯定している」
これが精いっぱいであった。不甲斐なかった。彼女は微笑んでくれた。しかし彼女の人生に対して、僕の言葉はあまりにも軽かった。 記憶もそこまで。僕は力尽きてしまった。その続きは森の中だった。…
起きてしまった出来事、抱いてしまった感情が以上である。自分の想像でき得る範囲を大きく超えたことが起きていた。 先には多くの困難が想像できた。僕はもうこのぐるぐるに吞み込まれていた。 もちろん、僕たちは今日会おうとして会ったんだけども、それによって起きた出来事は、僕たちの、少なくとも僕の想定を大きく超えていた。 それは起きてしまっている出来事であった。気持ちより先にはじまってしまっていた。受け入れようと思った。怖いが、身を投じていこうと思った。 それにあたってもう少し言葉を足したい。僕は、弱い存在であるため、あなたの荷物を引き受けきることができないと思います。 が、同じくらい足掻くことは出来るかもしれません。ひとりで泥んこになるよりは、ふたりで泥んこになる方が、お互いの姿を見て笑えるかもしれない。 そして、今日あなたが僕にくれた眼差しのように、僕もあなたの存在、生き方そのものを肯定できる人間でいたいと思います。また公園を散歩しましょう。
以上!今日の日記。ラブレター…。恐怖!!!震えが止まらない。どうしてこんなことを書いた…?チベットまで走って行って、鷲に衝突して鳥葬されてしまいたい。 西に向かって走る。本当にどうなっているんだ僕の人生。だいぶ字余り。
2026.1.25(日)
雪が、雪が降っていた。星が降っていたのかもしれない。寒かった。そして悲しかった。どうするべきなのか、殆ど何も分からなかった。 明日、ついに家を得る。4ヶ月ぶりくらい。しかし同時にまた何かを失った。左脚を得るために右脚を失ってしまったような気持ちだ。
しかし目線が悲しみばかりを追いかけているだけで、視界の外ではちゃんと小さな音楽隊が祝祭的な音楽を鳴らしている。 僕が音楽隊を見ようと思えば、今日の日記は音楽隊の話に終始してもおかしくはないのだ。そのことを忘れてはいけない。 雪や星は、嬉しい日にも積もる。
「ロシアのバナナの話」を書きたいという気持ちになってきた。2025年以降の僕は、書いていることだけが本当に唯一のレーゾン・デートゥルである。(レーゾン・デートゥル:存在理由) 他には何一つとして価値はない。徐々に追い込まれつつあるため、少しでもその袋小路をひろげるために書く。だいぶ後ろ向きな理由だ。 相変わらずなにも思いつかない。だからとにかく全て書く。とりあえず短編くらいの長さで良いとして、書いてみよう。 目標は「書き切る」。今週一週間。ジャンルは読んだ人に教えて貰おう。 弱さについて、どう対処していくのかということを少しでも書けたら嬉しい。
2026.1.26(月)
ここ数日で、教えてもらったが書き漏れていたことを記しておく。ひとつめ。キムチ鍋を食べるときには、ごま油、ニンニク、オイスターソースを混ぜた液体をつくり、そこへ鍋を浸して食べると美味しいらしい。 北岡くんが中国人留学生に教えてもらったことを、僕にも教えてくれた。ふたつめ。限界まで到達したら、辛ラーメンにえぐい量のチーズと生卵を入れて食べる。 と良いらしい。宮本さんが言ってた。でも一山一回らしい。毎晩服用するものではないらしい。僕はまだそこまで自分を追い詰めたことがない。 でも一回、出口を辛ラーメンで塞いでみても良いかもしれない。
感情が波のように訪れては、僕の足元を蹴飛ばしてまた去っていく。どこへ流されたかが分からなくなる。そしてまた次の波がやってくる。 また次の分からない場所へ流されていく。入口がある部屋には必ず出口があり、僕という部屋を訪れた人たちは出口から去っていく。 このことがまだ受け止められない。大家さんの元へ今日も挨拶に伺うと、スッと封筒が渡された。これで服と靴を買いなさい、という。 封筒の中にはおそらくお金が入っている。 ありがたい気持ち、ありがたすぎて困惑する気持ち、そんなにみすぼらしかったかと恥じる気持ち、そんなに可哀想でもないよ!と抗議したい気持ち。… それらを感情の顔をそれぞれ足してまとめた、福笑いみたいな顔になってしまう。とにかくただただ頭を下げ、頭を下げてもバームクーヘンの外側みたいな色なんだけど、とにかく頭を下げて盗んでしまったんじゃないかという気持ちで帰ってきた。 封筒の中には三万円が入っていた。家賃一ヶ月分。家賃も三万五千円を三万円にしてもらっていた。大家さんは僕を、どう思っているんですか? 僕なんて、とは言ってはいけないけど、僕なんて、そんな優しくもないし、愛情深くもないし、自分のことしか考えられない欲望まみれの人間です。 なのにどうして…?契約書の家賃以外、何も大家さんに与えていないのに。どうしてなんだ。どうしてなんだぁ…。。。 また僕はこうやって、入口へむかってきてくれた人を少しがっかりさせて出口へ向かわせるだけではないのか…? それとも僕はネズミ捕りのような人間になって、入り口だけの人間になって、そしたらもうがっかりした人の顔を見なくても済むのだろうか。 しかしネズミ捕りは良くない。変わりたい。 ネズミ捕りではない、しっかり入口と出口を備えた人間で、そしてよく考えられたテーマパークのように、入り口の時より充実した顔で出口を潜れるような、そういう人間になりたい。 出来れば、出口から出ていかないで、いつまでも僕の部屋にいてくれる人がいたら、嬉しい。…。。。…
(大家さんに限らず、色んな人があらゆる角度から助けてくれている。鳥岡さん、エステート溝口のみんな、心配して連絡をくれた友人たち。 僕はいったいどういう存在なんだ。僕たちの間に流れる川の幅は?深さは?その川には橋はある?)
感情を制御できない。僕の心と身体に乗せきれない量がある。涙を止めるために整理しなくてはならない。 ひとつ。塾のDIYもまだまだ作業があること。あと二週間くらいは無休で作業する必要がある。 ふたつ。DIYを行いながら、修正箇所の設計変更と材料の選定をしないといけない。数量、コスト、納期。三つを睨んで調整する必要がある。 みっつ。芦田が今たくさん言っていったこと。まとめると収納の設計。塾のお菓子をどこにしまうか。塾の小物をどこにしまうか。 よっつ。自分の家。家にはとりあえず色んな人がくれたものが散らばっているだけで、寝ることとおトイレ以外はまだ何もできない。 生活に必要な消耗品などは一つもない。Wi-Fiもない。カーテンもない。無いものが多すぎて、何が無いか分からない。 いつつ。東京に行った際の予定がなにひとつ立っていない。まずバスを取ろう。次に宿を探そう。 むっつ。明日の夜ご飯。芦田が実家に帰らないとなると、芝﨑くんとの約束を破らないといけないかもしれない。その調整。 ななつ。人生に対する漠然とした大きな不安。 以上。とりあえず、今晩はトイレ、シャワー、睡眠ができれば良い。洗濯も最悪どこかで芦田の家で回そう。あと芦田に明日の夕飯の確認。 東京の行き帰りのバスだけ取る。そうすると少しは安心すると思う。 とりあえず今日はここまでやって寝よう。あまり追い込むと、また遠くまで沢山歩くことになってしまう。深呼吸。深呼吸。 泣いてしまったぶんの水を一杯。陽気な音楽を流す。バスを取る。バスを取った。明日の夕飯も確認した。 心を鎮めるために写経をする。「クソデカ感情短歌コンテスト」すごい日本語だ。…
写経を終え、部屋へ帰る。何度も登った階段を、また登る。ひんやりした深夜の急階段。懐かしい。 部屋は一階分上へなり、南向きから北向きになった。503号室。キーッと毎回鳴る内開きの扉。電気をつけると、部屋は寒い上に散らかっている。 世界は、人生は少しずつしか良くならない。机の上を片付け、ガス屋さんの書類をまとめ、夏布団を棚にしまう。 混沌に秩序をひとつずつ与えていこう。慌てない。洗濯できるようになったら、大家さんがくれたお金で服を買いに行こう。 今週は何か一つ料理が作れると良い。塾で寝泊まりする生活もようやく慣れたと思ったが、あっという間に追い出されてしまった。 三学期にようやくクラスに馴染めた時の気持ちを思い出す。僕はいつも遅い。然るべきタイミングというのを逃す。 もう少し慌てないっていうことを、身につけてもいいかもしれない。 孤独に狂いそうなら意地を張らずに母親に連絡してもいいかもしれない。 そして実家から太陽の塔のポスターを送ってもらってもいいかもしれない。 寝る時の読書灯が欲しいな。一月は書きすぎた。元気でとても良い。少しは自分を褒める。 特に何も良いことは無かったが、月が綺麗だったり、星が綺麗だったり、空がとても青かったり、良い瞬間はあった。 家…。家って、良いんだなぁ…。暖房の音だけがぶがぁぁと響いている。 数十冊の本、カメラ三台、服二着。そしてひとりの僕。いろんな人がくれたものがたくさん。 未だ産まれた日のようにか弱く、そしてこんなにも与えてもらっているのに依然として泣きわめいている。 本当におろかだ。しかしでも、そんな状況だけども、しんどい、死にたい、楽になりたいけれども、でも、死にたいことと同じくらいの大きさで、生きていることに感動する。 星の光がその長い旅の末に冬の空で輝いていることと同じだ。本当にありがとう…。
2026.1.27(火)
文明とは伝達である。どっかの何かの本に書いてあった。この前芦田も生徒に対して人間の本質はコミュニケーションにある!!と言っていた。 僕はこの点に関して非常にまずい気がする。僕は常に自分が出したい音に如何にして漸近するかということを考えている。 時々、人間を喜ばせようと一寸コミュニケーションを試みるけど、だいたい僕が選ぶ誕生日プレゼントは、僕が一番欲しいものである。 それが奇跡的に喜ばれたりして、なんとか持ちこたえて生きている。しかし実際のところ、コミュニケーションは殆ど習得できていない。 文明の外の人間なのだ。伝達しなければ、何も残らない。何も…。自分の死と共にすべて消える。恐ろしいことのように感じる。 僕はこの歳にして、伝達という文明の根幹について、もう一度しっかり取り組み直す必要があるのではないか…?
そういえば昨日、ある生徒が僕のPC二貼ってある寝顔絵が欲しいと言ったので、代わりにスマホの裏に入れてある似顔絵をあげた。 ゆずちゃんが付き合いたての時に書いてくれた絵だ。世界にあの絵は二枚存在していて、一枚はとうこちゃん、もう一枚はその生徒の子が持っている。 いつかどこかの世界でその二枚が出会ったりしたら面白い。そういうお話もつくれそうだ。
今日も一日作業。色塗りやすりかけ。僕が木をやすっているというより、木が僕をやすってるみたいだ。 なんかさすがに疲れる。僕の体力がないからかな。とにかく疲れた。でもまだ悲しい。悲しいってことは、まだ疲れ切っていないんだろう。 そういえば今日の朝は、一年ぶりくらいに歓びの朝を迎えた。本当に久しぶり過ぎて混乱してしまう。 修論も修論の後も、春休みも四月以降も、飛んでるときも飛んだ後も、特になんか朝が来てよかった、なんて一回も思っていなかった。 思っているより早くトンネルに入っていたのかもしれない。
とても疲れたので灘温泉へ。温泉ってさすがに死にたくなんねえな…!と思わず笑ってしまった。 建築学科二回生のチュウトハンパなグループに遭遇する。集団の特徴をひとことで言い表すと中途半端、である。本当は面白いやつらなのかもしれない。 でも、若くてとっても良かった。若いってこんなにも輝かしく感じるものなのだな、と思う。それをちゃんと一日一日、使い切らないとな。 大家さんからビール三本と枝豆、傘を貰う。もうよく分からなくなってきている。でも、冷静に考えたら僕は超優良借主であった。 四年住んで汚れ一つなく、友人を二人空き部屋に連れ込み、後輩を家財で吊って部屋を引き継がせていた。めっちゃいいやつだ。 過去の僕。なんでそんなことしてたんだ…?それはよくわかんない。
ということで躁鬱人間の一日を過ごした。喜んだり悲しくなったりして疲れた。やはり感情のレバーが少しおかしい気がする。 僕はいったいどういう人間なんだろう。データ不足。分からない。僕はいったいどういう人間なんだ? 何が向いてて、何が向いてないんだろう。剝いていると剝いていないという変換に、一瞬視線が吸い寄せられる。 でも、意外と別に普通で、そんな特別っぽいことなんて出来ないんじゃね、という気もする。 一般的な家庭で育った、一般的な論理思考と、一般的な時間感覚と空間感覚、一般的な範囲内の倫理観の人間だと思う。 特筆すべき経歴もない。学生生活はおおむね、友だちと一緒に登下校していた。要するにその範疇の人間なんじゃないか。 そんなことはない?そんなことはある?どっちなんだろう。マックのドリンクみたいに今ここで選べるのかな。
そういえば西浦さんって、絶対に入口を潜らない距離感にいる。僕の入り口は、潜るとすぐに出たくなるってバレているのだろうか。 入口の前。声がぎりぎり届くところ。部屋の中は何となく見え、部屋の中の僕からはからはなんとなく見えない。そんな場所。そんな距離。 僕はよく竹馬で許可なく乗り込んだりして、問題を起こしている。怒られている。失望されている。猿!!と思われている。 竹馬の友にかけたジョークなんですよと必死に弁明を試みるが、大抵は扉をしっかり閉められていて、その声は届かない。 ジョークは面白く、そして伝達される必要があるから…。素早く入口までは行き、そこからは慎重に足を運ぶ。 人間社会はこのルールで成立しているみたいだ。ふむふむ。明日から実践。存在理由をつくらないと。 面白いって、思ってもらいたい。世界を少し賑やかして、死にたい。書きすぎだ。プライバシー。 「思ったより元気そうでよかった」ってどういう事なんだろう。 僕はどのくらいの元気さが現状にふさわしいんだ。先に提示してくれ。合わせる。1から70まで。 別に全然元気ではない。しかし元気だ。名馬と呼んでくれてもいい。メンブレしてても10時間くらいは普通に働ける。 僕の元気さとは右手と右脚が揃って出てしまうタイプの歩き方なのだ。だから「思っているより元気そうでよかった」っていうのは、 右手を見ているのか、それとも右脚を見ているのか、それとも他のどこを見ているのか、僕はさっぱり分からない混乱してしまうのだ。 書きすぎだ。名馬興奮。落ち着こう。文明の本質は興奮ではない。伝達なのだ。しゅっぽしゅっぽの熱伝導は、あまり現代的な伝達方法ではない。
2026.1.28(水)
とりあえずメモ。あとで編集。こんなメモばかりの携帯を落としたら、特高に捕まってしまう。
・西浦さんと芦田の意見がだいたい一緒なのは、高いところから見ているからなのでは 高いところから見る景色は、どこのどんな高さであってもそんなに変わらない。
・僕の現状の存在理由。精神的部分のさらけ出し。露出狂。おそらくこれのみ。
・芦田は紙袋を捨てる。捨てれば捨てるほどいいですからぁ!と言って捨てる。 僕は紙袋は捨てないが、有効活用できた試しはない。芦田は役立てられないものは、こうやってちゃんと自分の元から離していく。 あらゆる人間関係も紙袋のように、役立てられないものはちゃん捨てる。僕は、紙袋もあらゆる人間関係も手元に残そうとしてしまう。 そして役立てる事が出来ない。役に立つ。役に立たない。僕は役に立たないものばかり集めている。雪かきというより雪集め。
・お皿を洗おうと思ったが、洗剤だけあってスポンジがなかった。アヒージョ…。
・東大生(?)の読書のスピードは全然違う。まるで…のよう。思いつかない。
・家の布団と塾の布団、どちらで寝るか迷う。どちらも僕のものではない。
家で寝ると、洗えていない靴下を履かずに済むが、日記が書けない。 塾で寝ると、洗えていない靴下を履かないといけないが、ギリギリまで寝れて、日記が書ける。 日記を書くのが僕は好きだ。日記を書くのを楽しみに日を生きているのかもしれない。 そう思うと、日記に書いてね、という要望は拒否するべきだった。まぁ仕方ない。 日記がなかったら、僕の人生はもう僕のものでは無くなってしまう。ノーオリジナル。全て借り物。渡されたもの。 僕はピアノの先生の家とかの窓辺に飾られている小さな人形と同じ。 夜、みんなが寝静まったころ、こっそりと自分の人生を謳歌している。
・気つけば眠りに落ちていた。気絶ではない。布団の上だった。悔しい。80パーセント。
・雑然と散らかった部屋を見ている。あるいは僕の感情。あるいは瀬戸内海。浮かぶ島々。ではなくて脱ぎ捨てられた服。
・餅。冬につかれる餅。つかれているときの餅のように、気持ちは叩かれたり回されたり、濡らされたり叩かれたり、を繰り返す。 そして最後は美味しくなってしまう。不本意。
・半分眠っている時には、僕をそっと起こすように、そっと答えを教えるように、色んな言葉が駆け巡る。 でも完全に目を覚ますと、言葉たちはピタッと動きを止めてしまう。かくれんぼみたい。
・虚構を通して世界を理解し、虚構をコピーして世界を表現している。雪かきなんてしたことない。詐欺師。ニセモノ。紛い物。 大きな筋がまず間違ってはいないだろうか。…
・夏と冬の裂け目。秋ではない。三月の春と四月の春。行ったり来たりの春と、着実に進む春。
・一日の流れの感覚/1.240キロ 時速10キロ 24時間/2.4800キロ 時速200キロ 24時間 こんな違いってないだろうか。僕はとにかく記憶がいつも遠い。あっという間に無限遠。 昨日が、夜ご飯を食べている時の朝ごはんの記憶が、月初めのソープが。遠い。単純に記憶力の問題かもしれない。
2026.1.29(木)
激しく疲れた。非現実的な規模での疲労と睡魔。とても静かだ。椅子を作っていた。 ずっと作っていた。もう椅子なんてなくなってしまえという気分になりつつある。12時間ほど作業してなんとか9脚完成し、残りが18脚になった。 何かがおかしい。ずっとこの静かさのままでいて欲しい。インパクトのガ行詰め合わせみたいな音をもう聞きたくない。こりごりだ。 芦田は東京へ行った。りさぴが炊き込みご飯を作ったから食べたいという理由で。その通りだと僕も思った。それくらい殺伐とした日々を過ごしている気がする。
才能。才能というのは恐ろしい。普通の人間の僕にとっては、なんでもない床にいきなりぐちゅぐちゅぺっ!をされるみたいな衝撃がある。 ぐちゅぐちゅぺ。才能は嵐のように僕の小さな秩序を破壊していく。強い風と藁の家。それが毎日。僕も炊き込みご飯が食べたい。 ローストビーフが食べたい。しかし静かなのは良い。音楽をかける元気もない。ずっと無音。頭の中も無音。電車の音だけが微かに聞こえる。 椅子をつくっている時は、よく実家で流れていたクラシック集を聴いた。なんでもない退屈な日曜日の午後を思い出す。 東京によくある70㎡に満たない3LDKのマンション。南向き。リビングに隣接する和室。リビング横の小さい洋室。 これが僕の部屋。廊下は短い。どこかの部屋から子どもがピアノが練習している音が聞こえてくる。 母親はダイニングテーブルで生協の注文票を書いている。 大地くんはリビングで昼寝をしているか、スポーツ観戦をしている。 僕はだいたいやるべきことをサボり、本を読んだりノートに落書きをしている。 早くも一日が折り返していることに気づき、途方に暮れる。夕方はいつも悲しい。大きな南向きの窓から西日が過剰に差し込む。 カーテンを僕と太陽のあいだに立たせる。母親は注文票を書き終え、半分寝ながら図書館で借りた文庫本を読んでいる。 母親は現実的で理性的な世界の人間だが、読むのは小説だけだ。評論は読まない。舟木家の人間は基本的に小説しか読まない。 世界を改善するためにはという思想がないため、ただ享楽に耽るために読書をする。…こんな平凡な日々がかつてあった。 今も母親と大地くんのあいだでは続いているのだろう。僕はそこから飛び出した。あんまり馴染めていなかったから。 でもそのCDはとても懐かしかった。僕たち三人が一応家族としてのかたちを維持していたころの集合体の輪郭を思い出した。 それが僕の価値観にどんな影響を与えているのかは、よく分からない。何も与えていない気がする。しかしクラシックは落ち着く。
食堂でバイト終わりの小倉くんと会った。小倉くんは、こんな不幸な話、笑って聞くしかないじゃないしかないじゃないですか、といってヘラヘラしていた。 こちらもありがたい。深刻に聞かれても困ってしまう。また小倉くんとはのんびりたくさん話したい。 二人とも非生産的な人間なので、非生産的な会話に終始しそうではあるが、それがいいのだ。 小倉くんは戦争がはじまってもヘラヘラしてそうでいい。 戦時中になっても、こんな不幸な状況、笑っておらんとやってられないじゃないですか、とか言って教官に思いっきり殴られるのだ。 でも軍服は似合いそうである。小倉くんはそういった感じの青年だ。意志を持ってへらへらしている。素敵だ。
昼寝をすると、なぜかいろんな悪夢が矢継ぎ早に次々と展開されていく。悪夢メドレー。昔から、15分の昼寝でもしっかり変な夢を見た。 一応今日の昼寝の時のメモがある。「空間/プールの夢/よく見る空間 鳩を殺す話/そして鳩はイカになっていた。 私は残るわ、どこかで見た話。 幼児に殴られ続ける悪夢。 大学の頃の夢が途切れることなく高校の頃の夢に変わっていた。 新庄監督」 一体どんな夢を見ていたんだろう。せっかく頑張ってメモしたのに、何も分からない。
信号が無いところを、立ち止まらずに渡れると嬉しい。これもメモにあった。その通りだ。「ダンス・ダンス・ダンス」を読み終えた。 とても楽しそうに書いている本だった。それがとても良かった。僕は今までまったく村上春樹なんて読んだが無かったけど、お話にでてくる「僕」に僕は非常に親近感を感じる。 いや、誰でもそう?だから売れてる?まあいいや。「僕」って一人称はやっぱりいい。僕は「俺」っていう一人称が、どうしても好きになれなかった。 なぜだろう。でもやっぱり「俺」と「○○ちゃん」という一人称はおかしいと思う。世界に対しての自己存在の提示がデカすぎる気がする。 あと、「俺」は使える場面と使えない場面があるのが気に喰わなかった。僕は常に同じ面を地球に見せる月みたいに、なるべく毎日、自分の同じ面を見せたいと思っていた。 今はそれほどでもないが、幼少期はそれにひどく固執していた。一貫性。人間は一貫性が大事であるとなぜか確信していたのだ。別にそんなことは無かった。 こういった非生産的頑固が、僕の人生を変な方向へたびたび転がしていく。「俺」って一回くらい、調子乗って言っても良かった気がする。
2026.1.30(金)
書くことと、鬱状態にあることは密接に関係しているかもしれない。修士論文書き終わりくらいから、僕の精神状態は、どうにもしがたいズレが生じていた。 少しだけ、しかし全てがズレてしまったトレーシング・ペーパーのように。二、三月は特に文章を書いていない。三月末頃から書き始めている。 気づけば毎日書くようになり、毎日怒られるようになり、毎日電車で泣くようになり、毎日階段の踊り場から地面を眺めるようになっていた。 僕は精神の健康を取り戻したら、一文字も書けなくなっちゃうんじゃないか。それは少し寂しい。今のうちに、書けるだけ書かないと。 小説を重い腰をあげて書き始めた。毎日800字。一人の人間。一つの場所。一日以内。これがチャッピーが提示した内容。これで書いてみなさいな、って。 これくらいなら、毎日なんとかいけそう。ちょろちょろと、おじいちゃんのおしっこのように書いていってみよう。
今日も10時間くらいは椅子をつくった。気が触れてしまいそうである。でも結構いい。愛着が湧いてきただけかもしれない。とにかく全部できた。 明日から机をつくる。塾講師よりは、家具製作の方が性に合っている。頭に描いた何かが、物体として世界に登場すると、興奮する。 紙に書くのも興奮するが、興奮の終点はそれが物体として実際に世界に登場するときだ。僕の背よりも高く積み上げられた椅子たちを見て、こんなサイズの仏像をつくりてぇぜ、と思った。
距離。物差し。道標。座標。やはりどこかがおかしい。世界認識の道具の部分で、大枠のところでズレが生じている。あるいは僕だけが正しくて、みんな全員間違っているっていう可能性もある。 本当はみんなアフロじゃないとおかしいよ?みたいな。それは当然あり得ないが。 ベンツのマークとか本当でいいのか。僕はベンツのあの先端から少し生えているマークを見ると、ポキッてイってやりたくなる。ジャガーとかは壊せ無さそうなのでそうは思わない。 ドイツ人はどう考えているか分からないが、ベンツのあの部分はもう少し太くしても良いと思う。正直さ、公平さ、誠実さ。それらはあまり価値がないものだったのだろうか。 僕が持ち歩いていた公平な物差しは、僕の得にならないばかりでなく、誰の人生も良くはしていないのだろうか。ではそれに代わる物差しとはいったいどんなものなんだろう。 弱いものを小さく見積り、強いものを大きく見積もる物差しだろうか。結局それがうやっぱり必要なのだろうか。 弱い人間を、弱いままに生かしておいてどうなるんだい?とジャガーのエンブレムが僕にささやく。どうなるんだろう…。僕はそれに対しての反論が思いつかない。 ベンツのエンブレムもしたり顔で僕を見ている。うるさいお前はほんとうに今度へし折ってやるからな。こうやって人の尻に乗る人間が、エンブレムが、僕は嫌いだ。 話が逸れてしまった。弱さ。どう扱えばいいんだろう。僕はどの物差しによって、子どもたちに何を伝えるんだろうか。
明日は坂口恭平に電話してみようと思う。2/5についてどうするべきか、聞きたい。僕はボスを前にどうしたらよいんだろう。 もし話し掛けられたら、なんて答えればいいんだろう。しかし、しかし僕の筋を通さないといけない。舐められてはいけない。 しかし目の前にした瞬間にまた立ちすくんでしまう。弱いからか。僕は、ボスも笑顔にしたかった。 何が喜ばせるだよ殺すぞ、って感じだと思うけど、僕は弱いなりにそう思っていたのだ。もう眠くて考えられない。とりあえず坂口恭平に相談してみようと思う。 僕は、僕として、2/6からまた生きていきたいんだ。
2026.1.31(土)
一月が終わる。虚無。底なしの果てしないむなしさ、かなしさ、さみしさ。こんなに必死に、僕はどこへ向かっているんだろう。 そしてこれが終わってしまったら、次はどこに向えばいいんだろう。その永遠の繰り返し。でも泳がないと、岸辺につかないと、溺れて死んでしまう。 僕が流しているこの涙は、ちゃんと川まで流れついて、海に注ぎこみ、そして雲になって、また雨になることができるんだろうか。 それとも涙すらひとりぼっちで、僕と一緒にこの部屋で俯くしかないんだろうか。部屋には少しずつ光が入らなくなっていっている。もうすぐ夜だ。